恵まれた立場にいる人がどんなことをしなければいけないのか?

いま話題になっている「きみたちはどう生きるのか」という本を読んだら、
期待以上の良本でした。

僕の心に突き刺さる内容があったので綴っておきます。

まずは、お金持ちと、恵まれない立場にいる人の話。

世の中は、実質的に平等ではありません。
みんなが、違う場所、違う家族のもとに、違った条件で生まれてきます。

僕は、正直言って、
かなり恵まれた環境に生まれました。

何不自由なく育てられたし、心理的にも経済的にも常に余裕がある環境の中で育てていただきました。そのこと自体は、家族に、環境にとても感謝しています。

ともすると、
恵まれた環境にいる人の中には、鼻を高くしている人もいます。

僕は、フィリピンに住んでいた時に夜遊びスポットのガイドで回っていたこともあるので、
そんな人をたくさん見てきました。

ひどいのになると、現地の外国人を見下し、横柄な態度をとる奴もいました。
(日本人は相対的に、かなり金持ちなので)

その気持ちが、僕自身はゼロなのか?と問われれば、それは時々ありました。

一般的な他の人よりもお金を持って自由でいること、
旅行で贅沢な体験をできること、
普通なら行けないようなレストランで食事をすること、

そんな節々で、
自分はなんだかすごいんじゃないというような感覚がじんわりと込み上げてくるような。
そんなあほみたいな気持ちが。

僕は、途上国で、貧困層の暮らしぶりや、人間性に深く触れた時にも、

彼らの性向に対して、「到底理解ができない」「教育を受けていないから仕方がない」なんて短絡的な考えが頭をよぎったことも、正直何度もありました。

でも、僕は世の中というものを、何もわかっちゃいなかった。
ここで、生まれた環境と、仕事の話をします。

身近なことで考えてみましょう。

お金がない人は、生活のためになんとあろうと働かなければいけないから、必然的に仕事をします。

特に余裕がない人ほど、すぐに生活費を稼がなければいけないから、
誰でもできる肉体労働や単純労働の仕事につきやすいです。

その対極にいるのは医者や弁護士などの例。
医者や弁護士の場合、必要な能力を身につけるまでには、多大な費用と時間と労力がいります。

それだけの技能があるので、社会的に信用されるし、希少価値があって給料も高くなるわけです。
それらの費用と時間と労力を払える人だけに、医者や弁護士になるチャンスがあります。

金持ちの子供が、金持ちになる理由は、ちゃんとここにあります。

一方で、お金がない人に、そんな余裕は通常ありません。

ましてや、学校にもいけなくて、高校生から働き始める人もたくさんいます。

途上国になると、小学生から働き始める子もいます。

そうした人は、すぐにお金が必要だから、すぐできる仕事について、
ゆったりと、勉強している余裕なんてありません。

ここでちょっと話を変えて、世の中全体の仕組みについてお話します。

世の中は、「消費」と「生産」の、この二つで成り立っています。

経済学者のアダムスミス「国富論」を読んで、気づいたことです。

私たちが、お肉を食べられるのはだれのおかげか??
私たちはお肉を食べるとき、そのプロセスとしては、顔をあわせるのはお肉屋さんの店員だけです。

しかし、よく考えてみると、そこに行き着くまでには、たくさんのプロセスを経ています。

牛を育てる人、牛の餌を作る人、牛の餌を運ぶ人、牛を売る人、牛を屠殺する人、牛をさばく人、どこで売るか決める人、お肉屋さんに牛肉を運ぶ人などなど、出して言ったらキリがありません。

その一つ一つが、いわば「生産」です。

そして、その裏にはすべて人間の労働があります。
資本に、人間の労働が加わることで、様々な価値が生まれ出てきます。これが「生産」です。

お肉を買って食べるのは、その「生産」されたものを「消費」する行為です。

これだけ世界人口が増えて、社会が豊かで複雑になった今の世の中では、

人間がオギャーと産声をあげたその瞬間から、この人間の消費生産システムの中に組み込まれます。

何をするにしても「消費」をしないと生きていけないわけです。

言ってみれば、子供は20歳ぐらいになるまでは、ほぼ皆が消費専門の人間です。
そして、ここで大事なのですが、

世の中の生産の大部分を支えているのは、お金持ちではなくて、

汗水垂らして働いている人たちなのであります。

彼らの労働がなくては、私たちの生活に普通にあるもののほとんどが手に入らなくなるかと思います。

なぜ、僕たちは肉が食えるのか?

それは、さっき言った生産プロセスの中で、全ての人が汗水垂らして働いているからです。

例えば、金持ちの子供というのは、そういう意味で完全に「消費」専門の存在です。

確かに高付加価値の「生産」をできるように準備をしていると言えるかもしれませんが、
(医者や弁護士のように)
そんな何も生み出していない分際で、「自分が上等な人間なんじゃないか」なんて勘違い甚だしいわけです。

だからこそ思うのですが、
恵まれた環境に生まれた人が、いったい何をしなければいけないのか?

生活のために若いうちから働く必要はない。
勉強を妨げるものは何もない。その自由度の大きさ。

さて、恵まれた立場にいる人がどんなことをしなければいけないのか?

これは、とても大事なテーマだと思います。

みんなが違った環境で生まれて来る。日本に生まれた人も、アフリカに生まれた人も、自分に与えられた環境をどう活かして、どのようなことを生み出していくのか。

それが、誰もに与えられている平等の条件なのだと思います。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。