中高生に伝えたい-私が国立大を中退した理由

筆者は、今年(2014年)に四年制の国立大学を中退しています。
大学は浪人してから入ったので、偏差値もそこそこ高い学校です。ずっと休学していたので7年間は、大学に籍を置いていたことになります。4年生でした。

私は、なぜ大学を中退したのか?

「これからの生き方を考える」にあたり、いま現在高校生や大学生の方に何か一部でも参考になれば幸いです。

■「Just go with flow」な人生

結論となる、今回伝えたいメッセージを先に述べておきます。

「生き方は”選択”できる。人生のオールは自分の手で握り、自分の意志で漕いでいけ」

それでは、説明していきます。

いま思い起こせば、筆者は21歳頃までは何も考えずに生きていたような感覚があります。もう少し別な時間の使い方をしていれば・・・と、後悔に苛まれます。

少しだけ私の歴史を振り返ってみます。

まず、第一の転機となったのは、浪人時代のことでした。
浪人生というのは、世の中の立場でいえば、高校生でも、大学生でも、社会人でもない、なんとも宙ぶらりんな存在です。

時間にも余裕があったので、客観的に世の中を観て、ぼ〜っと物思いにふける期間があったことは私の人生にとって、大変にプラスになることでした。

そこで発見した一つが、「ほとんどの人間が流れに身を任せて生きている」という事実。

浪人を経て、筆者は国立大学に入学しますが、やはり、その観察は間違っていなかったように思われます。

これは大変残念なことですが、日本の大学では、本気で熱中して勉学している学生は確実に少数派です。

かと言って何か他のことに熱中しているのかと言えば、それもそう多くはないように見受けられる。

では、多くの学生は何をしているのか?

乱暴な言い方をすれば、「ただ時間が過ぎる毎日の繰り返し」です。

単位を取るために授業に出て、サークルに入って、友達を作って、バイトでお金を貯めて、飲み会に明け暮れ、恋人と思い出をつくる。

そこにいつも付きまとう枕詞は、「なんとなく」という言葉です。

そもそも大学という進路を選んだ理由も、みんな行っているから「なんとなく」です。

そうしてやがて、就職活動の時期は否応なしにやって来ます。そこで初めて、本気でやりたいことを考え始める。初めて自分と向き合う時間。核心的な答えが見つからないまま、就職活動という戦場を駆け巡って行きます。

と、多くの学生はこんな感じだろうと思います。

いったい、この大学生活のどこに自分の意思があるのか?

ただただ川の流れに身を任せるように、どんぶらこと流されて毎日を生きていく。私から言わせれば、惰性的で、享楽的な人生と言わざるを得ません。

本気でやりたいことや、自分の生き方を真剣に考えている人は本当に少ない。
筆者は、このように考えています。

「自我に目覚めて初めて、人生のスタートラインに立つ」

日本の大学生は、はっきり言って全然おもしろくないです。

「just go with flow」

流されて生きる人生そのものだと思います。

■自我に目覚める旅へ

筆者の話に戻ります。

第二の転換点となったのは、フィリピンへの旅でした。

かくいう私も、大学入学後は惰性的な生活を送っていました。「そうなってしまった」と表現するのが正しいかもしれません。

人間の意思とは、砂のようにもろいものです。
「よし、こんな山を作るぞ!」と決意し、積み上げたとしてもすぐにサラサラと崩れ落ちる。

ただ幸いなことに「私は何をやりたいのだろう」ということだけはずっと考えていました。

筆者は、大学で部活を引退した後に、フィリピンへ行き長期滞在しました。
理由は、貧困問題にぼんやりと興味があったからです。当時は、机上の学問に意味はないと考えており(今となっては、とんだ誤解でした)、現場で体験して学びたいと考えたからです。

現地にいる時、1年間フィールドワークをしていました。昼も夜もひたすらに動き回り、現場を学ぶという姿勢を貫きました。そして死ぬほど遊びました。

■人生が決まった瞬間

動き回っている中で、私はとある原体験を得ました。私にとってはあまりに衝撃的な出来事でした。

それがあった瞬間、「貧困とは一体なんなのか?」という問いの核心に少しだけ迫ることができたような気がします。私の中で、一瞬で世の中の景色が変わってしまったのです。

私は、人生の中で何をやりたいのかをずっと考えていました。
なんとなく貧困問題に興味を持ち、フィリピンに来ました。
そして一つの原体験に巡りあい、一つの「志」を手にしました。

その出来事があってから心に誓いを立てたのです。
なんとかしなければいけない。
世の中にこんな事があってはいけない。

この人たちのためなら自分の命を懸けられると。

私の中に一本の太い軸ができました。
それは、何があっても決して倒れることのない”ブレない軸”です。
この軸が成長し大きな実をつけるのか、それとも枯れて終わってしまうのか、それはこれからの人生次第で決まってくるでしょう。

しかし、私の行動基準全てが、この一本の軸に集約されます。
自分の人生の時間をそのために使っていこうと思ったのです。

■想いだけでは世の中は変えられない

貧困問題は、人類がずっと解決できていない問題です。
必要とされているのにずっと問題が残っているということは、それだけ複雑で難題ということを意味します。

超長期スパンで考えている(きっと筆者が生きているうちには解決できないと思う)ので、今でもひたすら自己否定を続け、修行し、まずは土俵に立てるだけの人間性を育てているつもりです。

他人の人生に大きく影響を与えるということは、単なる自分の思い付きではやってはいけないことだと筆者は考えています。

そもそも、好きなことや、やりたいことを始める前には「余裕」が必要です。
「余裕」とは、「メシを食っていける」ということです。

これは人類の歴史を振り返ると明らかですが、余裕がないことにはコントローバブルな人生を歩むことは大変難しい。これはいち個人でも同じです。

とは言え、今の日本では一生懸命に働いて労働力を提供しさえすれば、生きていく分の賃金を得ることはできます。生活するコストも資本主義のおかげで下がっています。

そして、その後は自分の世界観を創ること。
なぜなら、世の中には、オセロのように白黒はっきりとつけられるような絶対的な物差しは存在しないからです。

美しいと思う世界、理想とする世界、こうなったら素敵だなと描く未来。
ただそれがあるだけ。つまり、全ては主観です。だから、考えに考え抜いて、本当に腹落ちして、自分の世界観を確立しないことには、「世のため人のため」なんてありえないのです。

これらの作業をすることが、絶対に先。筆者はそう考えています。

そして、闘えるだけの圧倒的な実力も必要です。
全ての経験を栄養にしていく。できることを増やしていく。それがいま私がやっていることです。20代なんて、無知の若造ですから。

一方で、確実に信じていることもあります。

それは、後100年以内には「貧困のない世界」は絶対に実現できる、ということです。

行き着いた資本主義の中で見えてくる、新しい形の社会システム。
お金の機能が今後どのように姿形を変えていくのか?
インターネットの行き着く先の未来はどこにあるのか?
人口知能・AIはどのように世界を変えていくのか?

人類の歴史20万年の中で、いまが最も変化している時代です。
これは、歴史や教養を勉強した人だけが見ることのできる特権です。今の時代は本当にドラマティックなのです。

可能性が無限に広がる時代です。
私は、残りの人生をかけて、何かしらの歯車を世界に仕掛けたい、その一端を担いたいと考えています。

■何に対して価値(幸せ)を感じるのか?

筆者は、「自分の生き方」だけは、小さい頃からずっと見つめていた気がします。
そうして生きてきた中で一つわかったことがあります。

「私は大きな目標を持ちそれを達成していくことに最上の幸せを感じる。」

試行錯誤をしてきて、少ないながらもいくつかの経験をさせて頂いて、腹落ちしてきた言葉です。自分に何が向いているかも段々とわかってきました。
目標が高ければ高いほど、努力をすればするほど、そして結果が出るほど、私はワクワクしました。

いまは、フィリピンでの原体験がキッカケとなり、貧困の解決が目標となった。ただそれだけの話です。これまで大事にしてきた「価値観」の単なる延長線上にあります。

そして、私が大学を辞めた理由はここにあります。

このゴールを達成するためには、時間の生産性を最大限に高める生き方をするのがマストになります。それは具体的には二つの問いに分解できます。

「何にどれだけの時間を配分するか?」
「どれだけの密度で時間を過ごすか?」

それらを考えた時に、大学に残って勉強することは私にとって最良の選択肢ではありませんでした。時間がもったいない。
周りにだいぶ反対されましたが、自分の価値観に沿って考えたら、大学を出た方が良い理由は何もありませんでした。

■今後いろいろな生き方をする人間が増える

時代の流れを見ても、今後いろいろな行き方をする人は確実に増えていきます。
しかも、この流れは急速に進むはずです。

生活が豊かになっていることも大きいですが、
それよりも環境が変わりすぎて選択肢が多様化していることが一番大きいでしょう。

インターネットとスマホの登場により、世の中は劇的に変化しています。
あらゆる業界を再編させ、我々の生き方にも大きな影響を及ぼしています。
技術革新により、今までになかった仕事や働き方もどんどん生まれています。

人間がやりたがらない仕事や、効率の悪い仕事は、すべてロボットやAIがやってくれる時代がきます。おそらく数十年後になるかと思いますが、どこかでティッピングポイントを迎えたらベーシックインカム(国民全員にほぼ無条件で生活費を支給する)的な制度も機能するようになるはずです。

「生き方」を選べる環境が、どんどん整いつつあります。

「自由」と「どうやってメシを食っていくのか」という課題は、切り離せない問題ではあります。しかし、必ずしも”スタンダードな道”を選ぶことが合理的ではないことに気づくべきです。

■大学も変化していく

戦後70年を迎えて、大学の役割も岐路を迎えつつあります。

日本の大学という制度は、そもそも国が作った仕組みです。
余談ですが、もともとのヨーロッパでの大学の起源はそうではありません。
日本は、”できる”人材を大量生産する必要がある時代に、大学という仕組みが輸入されました。その起源は全く異なります。

定められた予定調和の中を、事なかれ主義的にうまくやり抜く人材。
与えられた課題を、とことん効率的にこなしていく優秀な人材。

戦後の日本では、みんなが貧しかったので、みんなが一つのゴールに向かう時代でした。つまりは、成長時代です。
「みんなで一つ」のゴールに向かって走れるように、日本の大学は”サラリーマン養成機関”として機能してきたわけです。

しかし、これからの時代は違う。
先人のおかげで日本はすでに豊かになり、次のステージに入ってきています。

残念ながら、いまだに時代錯誤に囚われている大学がほとんどであり、そこに青年期の4年間を費やすのは、むしろリスクにもなりうる。常識という幻想に囚われても、そこに実態はないこともあります。

(一応、誤解を招かないように添えておきますが、大学自体は、”熱中して勉強するならば”価値のある場所だとは思います。超専門のプロフェッショナルが集まっているので、知識を得る目的ならば、あれほど面白い場所はないです。筆者も、興味のある授業は他大学にまで行っていたので。)

世の中の歯車はカチカチと音を立てて、仕組みが生まれ変わっている真っ最中です。
大学や働き方の仕組みが大きく変革していくのもタイミングの問題かと思います。

■君のしあわせは何か?

何に対して価値(幸せ)を感じるのかは、人によって全く異なります。
価値観は、人それぞれです。

筆者が問題提起したいのは、何も考えないことの損失です。
「Just go with flowな人生でも良いじゃないか」と言う人もいます。ゆったり生きたいのだ!と。これも、全然OKだと思います。どう生きるかは、人の好き勝手です。

しかし、ろくに何も考えもせずにそう言っているのならば、それは大問題かもしれません。
それは、単なる思考の放棄と言えます。

就活の時期が来て始めて、将来を本気で考え始める大学生…。

もし、その勢いのまま最後まで行ってしまったら?
心の奥どこかで何かがくすぶりつつも数十年のサラリーマン生活を勤め上げ、病床のベットで死ぬ時が来て、俺の人生私の人生はこれで良かったのか、と考えるのでしょうか?

仮にも「もっとああしておけば良かったなぁ・・」と全然違う人生を羨んでも、もう取り返しはつかないのですから。

まずは孤独になって考える時間を意図的に作ることです。
みんなと同じようにとりあえず大学に行って、スキマ時間があれば、無意識にスマホをいじる。…なんてアホなのかと思います。時間がもったいなすぎます。

そして、なんでも良いので思考量と行動量を増やすことです。
なぜなら、人間はやったことがないことに対してはいくら考えても分からないからです。
日本の就活にミスマッチが起き続けている原因はここにあります。働いたことがないことに対して、自分が向いてるのか、向いていないのかなんて、いくら情報を集めた所で分かりません。

幸せ観の全ては経験からしか生まれません。
行動しない限りは何も視えてこないのです。
乱暴な言い方をすれば、「考える。動く。考える。」これの繰り返しです。もうこれが全てです。

■この時代に生を受けた者として、どう生きるべきか

 

生まれる時代や場所によって、人の人生は大きく左右されます。
とんでもない「宿命」を背負って生きている人が今の世の中にも大勢いるのです

「貧困」とは、選択肢が極端に狭められることです。

我々は、日本人として生まれただけで大吉を引いたようなものです。
これは有り難いこと。そう思うべきです。大きな格差があるのは十分承知の上で述べますが、日本に生まれたのであればいくらでもチャンスはあります。

せっかくこのような形で生を受けたのに、自分で人生のオールを握らないなんて、そんなバカな話はないと思います。

これがもし大昔だったら、「何も考えない」ことはむしろ幸せだったかもしれない。
なぜなら人類のほとんどの歴史を通して、人為的な力では、どうにもならないことがあまりにも多かったからです。

でも、今の時代はそうじゃない。

チャンスは、見ようとしてないだけで山のように転がっていますし、実際に行きたいと思えばそこに通ずる道は存在している。

こんな多様で面白い時代だからこそ、可能性は無限に広がっていくと信じています。なんでもできますよ。

生きたいように生きなければ、命がもったいないです。

逆に言えば、
これからの時代は、幸せの価値観を何も考えない人は、人間としての生命力を失っていくかもしれません。

世の中は、どんどん便利で快適な方向へ進化しています。
経済、つまりビジネスの本質というのは、「人間の欲求に迎合していくこと」だからです。
資本主義に乗る限り、基本的に人間が欲しがるものは何もかも満たされていきます。

次世代を席巻するであろう技術、IOT、ロボット、AI、これらはパンドラの箱であって、たとえ倫理観を置き去りにしたとしても急激に進んでいくでしょう。

一時的な代償となるのは、”人間らしさ”かもしれません。
それが意味するのは、「極限までダラダラして何も考えずに生きることが容易になる世界」が、到来しつつあるかもしれないということです。

それは、もはや人間と言えるのでしょうか?ただ存在しているだけならば、それはただの肉塊ではないでしょうか。

だからこそ、今の時代に求めるべきは自分の価値観であり、しあわせを考えるということなのだと思います。
最後に繰り返しとなりますが、

「生き方は”選択”できる。人生のオールは自分の手で握り、自分の意志で漕いでいけ」

一人一人がそうなれば、世の中はきっと美しい世界になると思っています。