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自分の無知を知ろう

こんにちは。実はたまにスマホでブログを書いているのですが、やっぱパソコンの方がはえーよなと気づきつつある石川です。

今日もちょっとした思い出話をします。

最近、思い出話ばかりですみません笑。ここ最近は100%家族モードにしてたのでゆるーい感じなんです。もうちょっとしたらビジネスモードもONにします。

(まず、前々日の記事を読んでいない方はそちらを読んでね)

前々日の記事の中で、「孤独は、人間を成長させる」という話に触れました。

なぜ、僕が孤独になって友達を一人もつくらなくなったかと言えば、それにはきっかけがあります。

ちなみに僕はバリバリの運動部で仲間と騒ぐのも好きなので、もともと陰気キャラなわけではないです。むしろ逆っす。

ですが、しばらく「孤独になろう」と思ったのは、「やばい、とにかく成長しなきゃ」と思ったからです。

そのためには「普通に」努力していたのではダメで、「圧倒的に」勉強しなきゃいけないと強く思えたからです。

だから、いろいろ切り捨てて「時間の優先順位」を考えていった結果、いつのまにか孤独になっていきました。

成長しなきゃ、圧倒的に勉強しなきゃと、思うようになったきっかけがあります。

大学を休学してフィリピンに住んでいた時の話です。

その頃僕は、毎日街の中を自由気ままにブラブラする生活をしていました。話がズレるのでここでは掘り下げませんが、一番の目的は、貧困を知ることで、日本とは違う社会を深くみたいなと思ってました

住んでた家の近くに、日本食レストランがあって、そこの定食がバカ安くて超うまいのでたまに通ってました。

いつも店の端っこの席で、パソコンを開きながらゆっくり時間を過ごしてました。

ある日のこと。

いつもどおり、定食を食べ終わってゆっくりしていたら、対角線上の反対に座っていたオーナーのおばちゃんから声をかけられました。(このレストランのオーナーはいつも店のテーブルに座って仕事をしている)

僕ばしばらく通っていて、その店のことは知り合いを通じてよく知ってました。

オーナーに初めて声をかけられました。

「あんた何歳?」

「23です」

「はっ笑。小僧だねぇ」

改めて、確認しときますが、お互い初めての会話です。お互い知りません。

(しかも、遠くから話かけられてるから、超声がでかい)

なんか自分で今書いていて「なにこれ?ワンピースの話?」と思いそうですが、マジでガチであった話です。

僕は、意味がわかりませんでした。

意味は、わかりませんでしたが、なんとなく意味はわかりました。(何をいっているんだ笑)

ちなみに、この方はフィリピン界隈の人はすぐ分かると思います。フィリピンでビジネスを30年続けてこられたビックマムみたいな存在です。(ちなみに、見た目は巨漢で、それなのに超軽快で、髪は確か赤色だったかな。服はいつもド派手のカラフル。女性です。)

フィリピンで、ビジネスを30年やってくるということは、並大抵じゃないです。生き残るだけでも、至難の技です。というか、日本人オーナーで本当に殺される人もいるくらいの国です。殺し屋が今も普通に存在してます。ビジネス環境もまだまだグレーゾーンが多く、チャンスも多い一方で、いわば「やったもん勝ち」みたいな一面も強くあります。そんな場所で、しかも年商数億規模です。マジですごい人です。

そんな人からしたら、

23才なんて、ほんとに若造で小僧中の小僧です。

世の中のことをなんにもわかっちゃいない。

ちょうどこの頃、僕は街を歩きまわっていて毎日いろいろな光景を目の当たりにしている所でした。

初めての国ということもありますが、ぼーっとして生きてきてよく考えたら自分は「何も知らないんだな」ということを感じ始めてる時でした。

世の中にどんな人がいるのか、

どんな人がいて、何を感じて生きているのか、

どんな問題を抱えていて、なにを大事にして生きているのか、

人に関しても、実は分からないことだらけ。周りの人も実は深く知らないし、遠くの人のことも何も知らない。そして、街を歩いていても、

この建物はなにをやっているんだろうか?

この看板はなんなんだろう。

同じ商品がいろんな場所にあるけど、どういう流通経路になっているんだろう

まちのお金の流れってどうなっているんだろう

気になりはじめて、疑問を持ちはじめたら、「あれ、おれって世の中のこと何も知らないんだな」ということに気づきました。よく知っている(と思い込んでいただけの)日本では、得ることのない感覚でした。全く初めての国だったからこそ、フラットに疑問を持てて、無知を悟りました。

そんなタイミングでの、ビックマム(ってもう呼んじゃってますが)からの「小僧だねぇ」発言。

僕のぼーっとした顔がそれを言わせたのかもしれません。

まあ、普通の会話としては意味がわかりませんが、僕が言われた「小僧」という言葉には、本当にスーッと腑に落ちたというか、「その通りだな」と思ったのでした。

これが、きっかけです。

このあたりから、「あ、やばいな、成長しなきゃ、圧倒的に勉強していかなきゃな」と思うようになりました。

ちょうど、やりたい自分の方向性が見えつつあった時期でもあったのでなおさらです。

結論としては、

僕の例はあまりに突飛だと思いますが、読者の中で、仮にいま「自分の無知」や「不甲斐なさ」を少しでも感じる境遇にいる人がいれば、僕はあなたにエールを送りたい。

無知を悟るような経験は、少なからず誰にでも訪れるはぶです。そして、「何も知らない、何もできないこと」を知ることは、かならず成長の糧になります。その素直さは、とても素敵な感性であり、才能だと思います。(弱さを認められない人も多いですからね)。無知を知り、人は強くなっていくんだと思います。ここから頑張っていけば絶対に届きます。

ということで今日は、なぜ孤独になったのか?、自分の無知を知ったおかげで、成長への危機感が芽生えて努力するようになったからだよというお話でした。また明日!

今日から全て”自分ごと”で仕事がうまくいく

■二パターンの反応

上司「これだと分かりにくいから、こういう風に直して」

企業の中で、上司から部下に指導が入ることはよくある。
それを言われた時、部下の反応は大きく2通りの人に分かれるように思う。

部下A(内心)「なるほど…確かにこれだと分かりにくくて次に仕事する人が大変だな。
ミスったなぁ。次はこう改善してみようか」

部下B(内心)「いや、だってさっきこうしろって言ったじゃん。指示が曖昧だから分かんねーんだよ」

■「他人ごと」VS「自分ごと」

先ほどのように、何かうまくいかないことがあったとき、必ず2種類の人間が出てくる。

Aさんは、上司から言われた事を素直に受け止め、自分の仕事を謙虚に省みている。
至らない部分があった事を認め、次はこうしてみようと改善していくだろう。

Bさんは、上司から言われた事に対して、少し感情的に反応しているようだ。
そして、できなかった理由を相手の中に見つけている。

この違いは、
仕事を他人事として捉えているか
仕事を自分事として捉えているかの違いである。

Bさんは仕事を他人事として捉えている。
言い換えれば、受け身の姿勢だ。

言われるがまま仕事をこなし、きっといつも指示待ちの状態だろうと想像できる。
何か上手くいかないことがあれば、他人のせいにする。
仕事を他人事してしか捉えていないので、卒なく就業時間が終わるのを待っている。
給料さえもらえればそれで良い、という考え方だ。

一方のAさんは、仕事を自分事として捉えている。
受け身ではなく、能動の姿勢である。

自分なりに目標設定をし、きっと与えられた仕事の中でももっと上手くやれないかと考えているだろう。時には自分から動くこともできる。

何か上手くいかない時でも、常に自分ごと。
原因を周囲に求めず、自分の仕事を反省するので、次から変えていくことができる。
給料だけのために働くのでなく、仕事を通して成長しよう、何かを達成しようという向上心とバイタリティーが備わっている。

■2つの姿勢の違いが雲泥の差を生み出す

この二つの姿勢の違いは、その人の成長に雲泥の差を生み出すのである。
そして、全く違う世界を生きることになるのだ。

これは単に、仕事の一局面だけに見られる話ではなく、
生き方の問題なのであらゆる局面で影響してくるからである。

例えば、恋愛でもそうだ。

他人事の人は、常に相手に矢印が向いている状態である。
喧嘩や気にくわないことがあった時には、すぐに相手を責める。

自分事の人は、常に自分に矢印が向いている状態。
相手を責める前に、自分に非がなかったか、どこか変えられる所がないかを考える。
このような姿勢は、相手をも納得させる。

いわば、
他人事の人生から、自分事の人生に変わるというのは、「大人になる」ということを意味するのだ。

人にせいにするは、楽なのである。
自分のせいにするのは、苦しい。
だから、世の中には大人になっても”子ども”である人が多い。

これは日本の教育にも功罪があるように思う。
学校という世界の中では、テストで高い点を取った生徒が偉いと認識される。
正解のある問題を、いかに正確に解いていくことができるか。
そのために、先生が生徒に対してひたすら正解を詰め込んでいくのが授業だ。
これは受け身以外の何物でもない。

本来、実際の社会はそうなってはいない。
私たちは、予定調和の中を生きているわけではない。特に今の時代は、正解のないことが多い。
ネット社会になった今、知識を得るだけならwikipediaにアクセスすれば秒殺じゃないか。
クリエイトする力が求められるのに、学校のテストでそれはほとんど表れない。
もちろん、ここで言う知識を得るというのは受け身(=他人事)で、クリエイトする力は能動(=自分事)である。

そんな教育を受けてきた私たちだからこそ、気をつけなければならないのだ。

自分事として捉えている人は、放っておいてもどんどん成長する
自分から能動的に動けるうえに、失敗を人のせいにしないので自分で努力するからである。

他人事として捉えている人は、何をしても成長がストップする。
失敗しても常に人のせい、環境のせいにするため、自分は何も変わっていかない。

これは、世に著名な実績を残している成功者にも共通している法則なのだ。
もし、他人事の人生を生きていると思ったならば、今すぐにでも思考の転換を図るべきだ。
そうする事で、ガラリと変わった人生になっていくことだろう。

 

 

 

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環境適応力-成長したければ環境を整えよう

■成長を望む人たち

「まだまだ成長したい」
「もっと違う自分になりたい」

そう願う人は、ビジネスパーソンだけに関わらず、主婦や学生などの中にも多くいるだろう。
自己啓発系の本もよく売れる時代である。

しかし、肝心の成長するためにはどうしたら良いのか?
手段は沢山ありそうだが、その中でも何を実行すれば良いのかわからない。

今日は、「環境」という面からこのテーマについて考えてみたいと思う。

■種における生存闘争

まず第一に、全ての生物において根幹をなす考え方として、ダーウィンの「種の起源」が取り上げられるだろう。教科書にも出てくるあの有名な本である。我々にも大いに関係していることだから、ぜひ認識しておくと良いかと思う。

全ての生物種は、生存闘争の中で生き残りをかけて戦っている。

いま我々が目にすることができる動物や植物の姿形は、何も神様が意図して作ったわけでは全くない。

その裏には、連綿と続いてきた進化の歴史があり、それは生存闘争の中で累積してきた変異の結果なのである。

もちろん人間も例外ではない。

例えば、ヨーロッパのとある地域にて、アカマツの木が生えていない荒野がある。
(アカマツの木は、日本でも至る所で目にするあのマツの木の種)
その場所をよく調べてみると、沢山のアカマツの低木が生えていたことが確認された。
実は、それらのアカマツは芽を出し木を成長させようと必死に戦い続けていたのだが、ウシがその芽を全部食べ尽くしていたのだった。
試しに人間の手で、その周り一帯を柵で囲ったところ、アカマツは無事に成長し始めた。
つまりここでは、アカマツの生殺与奪の権利はウシが握っていたことになる。
ちなみに、ウシの生殺与奪の権利は、食物となる牧草であったり、体に住み着く寄生虫が握っていたりもする。

このように、全ての生物種は何らかの生存闘争にさらされている。

気づいていないのは、その関係(食物連鎖)が、網の目のように複雑すぎて、普段の生活では認識することが難しいからである。

他に身近な例を挙げると、
美容室などによく置いてある観葉植物で、フィカス・ウンベラータというものがある。
ハート型の葉っぱをしており人気なのだが、これはもともとアフリカ低地に原生している植物である。アフリカのそれと比べると、日本のフィカス・ウンベラータの葉っぱは3倍ぐらい大きい。
その理由は、もともとアフリカでは太陽の光を大量に浴びることができたが、観葉植物として室内に置かれればそういうわけにはいかないからだ。
その環境に適応して、少ない太陽を効率的に吸収すべく葉っぱが大きく進化したわけである。

これも、生存闘争の結果である。

■起業と生存闘争

生存闘争の概念は、あらゆる世界において通ずるので頭に入れておくと良いかと思う。

筆者は、一度ビジネススクールで勉強した後に、起業の世界に足を踏み入れた。

以前の記事(起業のスタートラインに立つ条件とは?)で記述したように、
起業の世界というのは、この生存闘争において非常に厳しい戦場であるにちがいない。

スタートアップで、0→1で何かを新しく作り出す難しさ。
少ないリソースで戦わねばならない難しさ。

大企業であれば、既に基盤があるので、それを維持すればひとまず今すぐ死ぬということは少なかろう。
また、どんな問題であっても、強大なマネーの力に任せれば解決できるという一面も往々にしてある。(大企業の世界における厳しさは、もちろんあるが)

厳しい闘いの中で、生き残れないスタートアップは文字どおり死ぬことになり、必要とされない企業は自然と淘汰されていくこととなる。

自分のことを振り返ってみると、
これまで少ないながらも様々な勉強や経験をさせてもらってきた中で、一番鍛えられたのは起業の世界にいた時だったように思う。

次々と、巨大な壁が自分たちに向かって押し寄せてくる上に、それらを一瞬でかき消すような魔法の杖も手元にない。

知識や技能が足りなければすぐにでも勉強し、相手に勝つために工夫の知恵を絞る。
自分たちの頭で考えて、自分たちの手で闘っていくしかない。

いったん、手を止め、頭を止め、闘うことを止めてしまえば、それは直ちに「死」という結果を意味するから、必然的にそうするしかないのである。

まだまだ足りぬ部分ばかりなのは自覚しているが、
それでもふと後ろを振り返ってみたら、険しい道を走っていたんだなぁと一瞬だけ郷愁の念にかられるほどであった。

■環境適応力を利用する

まとめると、このようになる。

⑴人間も「環境」の力による作用を極めて大きく受ける
⑵成長したければ、厳しい環境に身を置けば良い

筆者も、「環境」の力は常に意識してきた。
環境の力というのは、それほどに大きいものなのである。

具体的には、主に4つの観点で考えてきたように思う

・スキルの観点
・時間の使い方の観点
・習慣の観点
・志向性の観点

「スキルの観点」とは、先述した起業の話がまさにそうである。
行きたい方向が決まっているならば、早くその世界に飛び込んでしまうのは一つの手だ。さらに厳しい環境であればあるほど、必然的に、それも早いスピードで、そのスキルが身につくことになる。

「時間の使い方」と「習慣」を上質なものに変容させたいのならば、
これも環境の力を利用するのが有効である。
私も意志が強い方では決してないので、勉強であれ、仕事であれ、意図的に忙しい環境をまず先に作ってしまう。
そうすれば、状況に上手く対処せざるを得ないから、下手な時間の使い方も余計な習慣も、削ぎ落とされて洗練させていくことができよう。

「志向性の観点」とは、人間の性向のことを指す。
”人としてのあり方”も、環境の力を大いに受ける。
自分のレベルを上げたければ、高いレベルの人がいる場所に行けば良いのである。付き合う人間、身を置く場所によって、自分自身の志向性は全く違うものとなっていくであろう。
これは、「割れ窓理論」と言って心理学でも説明できることだ。
ある都市で窓の割れた車を一台放置したままにしたところ、その街で次々と凶悪犯罪が増えていった、という実験結果が出ている。
似たような例として、とある都市であらゆる箇所に放置されていた落書きを全て消し、綺麗にしてみた所、犯罪率が著しく低下した、という結果も世界中で見られている。
つまり、悪事も”伝染”していたわけだ。

人間は、どこまでいっても環境適応動物であるから、
もし自分を変えたいのであれば、レベルの低くてぬるい空間から抜け出す必要がある。

われわれ人間を含む全ての生物種にとって、「環境」の力がどれほど大きいかわかっていただけただろうか?

確かに、生まれた場所や両親、国の政情など、個の人為的な力ではどうにも変えられない環境も沢山ある。しかし、変えられる環境も沢山ある。

特に今の時代は、その変動域はどんどん拡張しているように思う。

物理的に、海外に気軽に行けるようになったこともそうであるし、
バーチャルな空間でいつでも誰とでもコミュニケーションできるようになったことも大きい。
オンラインで学習ができるサービスも山のように出てきている。

一言で言えば、「情報(知識)・人・場所」へのアクセスの自由化だ。

つまり、自分の意志しだいで、いくらでも身を移し環境は変えていける時代になりつつあるということである。

「自分を、どこに身を置けば良いのか」をよくと考えて、実際に行動に移しさえすれば、
あとは慣性のように成長していくことができるはずなのだ。
成長したいと思うなら、まず環境を整えることから考えてみると良いかもしれない。