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CtoCマッチングサービスで起業する場合のTips

こんにちは。石川です。

毎週日曜日に記事を更新しています。
昨年12月ごろにずっと病室にいる生活になったことをきっかけに文章を書き始めましたが、1ヶ月半近くは毎日更新していました。3000字ぐらいの記事を毎日書いてました。それに比べると週1回は楽勝です。

「あえてハードルを一気にあげる」は、一段階レベルをあげるときに有効な作戦だと思います。
近代三種というスポーツをやっている人のドキュメントを見たのですが、その中に射撃があります。優勝したその子は、試合で扱う的よりも1cm小さい的で普段は練習してるんだそうです。
どの分野でも応用できそうですね。

さて、今日もビジネスの話です。

今回は、CtoCサービスがテーマです。

パソコンとスマホがここまで普及してきた影響で、マッチング系のサービスはうじゃうじゃ世の中に出てきています。まだまだ隙間はあると思っていて、今後もまだまだマッチング系のサービスは出てくると思っています。

CtoCとは、簡単に言えば「個人間マッチングサービス」のことです。

いろんな分野でCtoCサービスがあります。

モノ売買を行うメルカリ。

配車アプリのuber。

スキルをシェアするココナラ。

ハンドメイドのminne。

空きスペースを扱うスペースマーケット。

などなど。まあ、キリがないですね。
様々な分野で個人間マッチングサービスが存在しています。

一般の人が何か商品を出せて、一般の人がそれを購買するモデルです。
事業者側は、そのプラットフォームを提供します。

起業や新規事業を考えている人の中で、マッチング系のサービスを構想する人もたくさんいるのではないかと思います。

マッチングサービスは薄利多売

基本的にマッチング系サービスでは、手数料を抜くモデルになります。だから利益率としては、低めになりがちです。よって、大前提として、マッチングサービスをやるならばある程度スケールさせていくことを狙う必要があると思います。ある程度大きくしてナンボのビジネスモデルと言えるかと思います。

また、マッチングサービスを実際にやってみるとわかりますが、運営費も普通にかかります。システムさえ作れば、ほぼゼロと思っている人も多いですが、取扱量が増えるに連れて運営コストも大きくなりがちです。規模に比例して、運営コストが膨らまないように運用を設計していくことも大事ですね。

また、ここから何が言えるかと言うと、各業界にて何社もマッチング系サービスが並立することは困難であると言うことです。極端に言えば、最終的に生き残るのは、各分野1社か2社だと思っていいと思います。

マッチングサービスは、ネットワーク外部性が働く

これは、よく言われることですが、例えばFacebookではネットワーク外部性が働きます。
ネットワーク外部性とは、「利用者が増えれば増えるほど、そのサービスの便益が上がること」を指します。コミュニケーションを楽しむFacebookは、多くの人が使っていることが前提になります。周りの人が使っていなかったら、自分も使う意味は無くなりますよね。そういう意味では、今の10代の若者たちはFacebookを使わない人も多いので、だんだんと使われなくなっていくでしょう。

マッチング系サービスも一緒です。使う人がたくさんいてナンボのサービスです。参加者が少なければ、便益は低くなります。だから、まずはとにもかくにもたくさんの参加者を集めていくことがポイントになってきます。

また、先行者優位が大きく働くモデルであるとも言えると思います。当然ながら早く始めた方が、知名度も利用者もどんどん積み上がっていく可能性は高いです。

マッチングサービスは、ぶっちゃけ真似するのが簡単で誰でも作れます。
誰でも作れますが、そこにいる参加者の量と質が重要で、それは一朝一夕では真似しずらいです。(後発の競合が、引き抜きする場合もあるけどね)
何より早く始めちゃうのが、大きな強みになります。

提供者側が先か、利用者側が先か

あちこちでよく議論される議論です。だいたいどのマッチング系サービスにもサービス提供者側と、サービス利用者側が存在するかと思います。そして、「どちらを先に集めていくのか?」はよく聞こえてくる疑問です。

A面B面どちらも揃えていかなければいけないのがマッチングサービスです。提供する人がいなければ商品が少ないことになりますし、利用者側がいなければ提供者側も去っていきます。相互依存の関係ですので、どちらもいなければ成立しません。

時間軸として見るならば、サービス立ち上げ当初の段階としては、「提供者側を集めることに集中する」が僕の考えです。使える広告費がふんだんにあって、一気に勝負をかけるならば両側を集めることにお金を投下しても良いかと思いますが、コストを抑えてサービスを立ち上げていく場合は、提供者側を集めていくべきだと思っています。理由としては、商品をふんだんに揃えることによって利用者側も集めやすくなるからです。商品が少ない状態で、利用者側を集めても効果は薄くなってしまい、費用が無駄になる可能性があります。ですので、まずは一気にサービス提供者側を営業や広告などで集めていくのが良いかと思います。

使われる理由があるか

サービスそのものの設計に関わる部分ですが、マッチングさせる2者共に「そのサービスを使う理由があるのか?」をシンプルにかつ深く考えていく必要があります。
ただし、これに関しては結論「やってみなきゃわからん」と言う色が強いと個人的には思っています。

新規サービスというのは、立ち上がりが一番ムズイです。
ある程度売れて安定するまでです。知名度もない、金もない、使える脈もない中でサービスを立ち上げて、世の中に埋め込んでいくまでの過程が本当に難しいです。

マッチングサービスも然りで、上述の通りまずはサービスを立ち上げて、人を集めて、知名度も上げていくところからスタートです。多くの新規サービスが、人が集まらないまま頓挫するものがほとんどです。「使われる理由があるのか」を検証する前に終えてしまうのは勿体無いので、まずは何としてもある程度の商品(提供者側)を揃えていくところから始め、人が集まってきたら、ユーザー価値の検証つまり「使われる理由があるのか」を確かめていくのが良いと思っています。

以上、ざっくりとCtoCのマッチングサービスについてのトピックでした。
僕も今、CtoCのサービスを一つ作っています。
来週あたりには出せるかと思いますので、立ち上げていく過程をリアルタイムで情報発信していけたらと思います。このブログで無料で赤裸々に書いていきますので、ツイッターなどもフォローいただけるとありがたいです。

 

 

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ユーザーインタビューはストーリーで話を聞く

こんにちは。石川です。

前に「今年は毎日投稿するよ」とか軽いノリで言ってましたが、ブログ書いてるより仕事したくなってきたので早々に方向転換しました( ;∀;)ごめんなさい。

ただ、書くことは好きですし、誰か一人二人でも役に立つことがあればいいなーと思って書き続けていきます。今後は毎週日曜日に投稿しますね。

やっぱ続けることってシンプルなことですけど難しいですよね。ほとんどの人は続けることができなくて辞めるので、続けるだけで希少性が上がってレアな存在になっていけますね。さあ頑張りましょう!笑

さて、
最近、社会論の話とか自己啓発っぽい投稿が増えてた気もしますが、ゴリゴリのビジネスの話も増やしていきたいと思います。

今僕自身、子育てしながらではありますが、新しい事業に挑戦していくところですので今後リアルな情報をお届けしていければと思っています。

今日は、ユーザーインタビューのお話です。

主にtoC向け(企業向けじゃなくて一般顧客向けのサービスのこと)サービスの話と思って聞いてください。

起業や新規事業において、とても大切になってくるのは「お客さんについて学び続ける」ことです。

ただ、闇雲に自分が作りたいものを作る、自分が良いと思っているものを作るだけでは、ビジネスとしては博打になると僕は考えています。

ビジネスは、買ってもらえなければ売上が立たないわけですから、やはりお客さんの方を向いて、お客さんの欲しがるものを作っていく必要があるわけです。

ビジネスと職人は違います。

お客さんの欲しがるものを作る。

これはシンプルなように聞こえますが、実際に自分で新しい事業をやった経験がある人ならば、どれだけ難しいことかよくわかると思います。これは、本当に奥深くて難しい。

ですので、起業家やとにかく「お客さん」について学んでいって、お客さんのことをなんでも知れるように努力しなければいけません。

そこで、大事になってくる方法の一つは、
ユーザーインタビューだと思います。

まだビジネスアイデアを構想している段階からユーザーインタビューは始めた方が良いです。サービスを作っている段階、検証する段階、広めていく段階、どの段階においてもユーザーインタビューは継続してやっていくべきだと僕は考えています。

“ストーリー”で話を聞こう

ただユーザーインタビューをすれば役にたつかと言えば全くそうではありません。

これも経験している人も多いかもしれませんが、「インタビューしたものの聞きたいことが聞けなかった」はよくあることです。

沢山ポイントをあげてもどうせ忘れると思うので、一つだけポイントあげます。

それは、「話はストーリーで聞け」です。

説明します。

まず、大前提としてお客さんは何も知りません。

自分が何が欲しいかなんてわかっていないし、問題を問題とも思っていないことも多いです。

なんかここサラッと言ってますが、「問題を問題とも思っていない」はめちゃめちゃ深いのでちょい説明します。

例えば、
僕たちが江戸時代にタイムスリップしたとして、
「携帯電話(持ち運びができて、遠くの人といつでも話ができるもの)があったとしたら、使いますか?」
なーんて質問をしたとして。

聞かれた江戸っ子は、ぶっちゃけ「よくわからん」としか思いません(声に出すかどうかは別として)。
まあ、インタビューなので雰囲気に乗っかって「使う/使わない」とどちらか答えてくれるかもしれませんが、そのアンサーはかなり確証の低いハテナ付きの答えです。本当に使うか、本当に使わないかなんて、そのものが実際にここにないとわからないのです。

要するに、今ここにないものは想像できません。
それが人間です。

だから、まずここから一つ言えるのは未来のことを聞く質問はほぼ意味がないと思ってください。

「〜があったら使いますか、良いと思いますか」
とビジネスマンがよく聞きそうな質問ですが、それだけではほぼ無意味です。

では、じゃあ江戸っ子たちは、
「もし江戸時代に携帯電話があったら使うのか?」
を考えるとするならば、答えは「100%使う」です。

遠くの人とコミュケーションしたいという欲求(ニーズ)は普遍的なものであり、時代や場所が違っても共通しているのでこれは答えがわかります。
実際、現代で考えても、まだまだ発展途上のアフリカとかで、めっちゃ原始的な生活だけど、携帯をぴこぴこしてる人たちもいますからね。そりゃ便利だから、あったら使うんです。

でも、だからと言って江戸っ子たちが
「遠くの人とコミュニケーションが円滑に取れないことが問題である」
とは思っていないわけです。自覚していない。
今の生活が彼らにとっては当たり前であるわけで、未来のこと(今ここにないこと)なんて想像できないからわからない。なので、基本的に不満はないわけです。

「問題を問題と思っていない」というのは、そういうことです。なんとなく伝わったかな?

だから、ここからまた言えるのは
いきなりダイレクトに
「〇〇について、不満や問題がありますか?」
と聞いたところで、インタビューされてる人からしたら「別にねーよ」って話になります。これも、ビジネスマンがやりがちですが、勿体無いですね。

じゃあ、どうするのか。

結論として、
ポイントは「ストーリーで聞くこと」です。

具体的には、その聞きたい事柄を、「今やっている行動ベースで一連の流れで聞いていく」わけです。

例えばですが、
何かカウンセリング系の事業を構想しているとして、カウンセリングを利用してる方に対して、

「カウンセリングを利用したことはありますか?」

「はい」

「では、カウンセリングを利用した時の出来事を一連の流れで教えてください。例えば、いつ、どんな時に、誰といるときに、カウンセリングを使おうかなと考えて、その後どのようにカウンセリぐを探して、どのタイミングで申し込んで何でお金を払って、初めて受けた時にどうだったか、受けた後の行動など、とにかくストーリーを再現するように一つ一つ細かく描写していただけますか?」

みたいな感じで聞きます。

つまり、お客さんは自分で問題を問題とわかっていないことが多いので、あくまで「現在の行動ベース」でこまかーく聞いていくわけです。

つらつらと自分の過去の行動・生活を言葉で描写してもらいながら、できればその時その時の感情や思考なども引き出しながら聞いていきます。

すると、ユーザーがどのような行動をとっているのか、どんなことを感じているのか、そして、どこに問題を感じているのか、なんてことがポロポロと浮き彫りになってくることがあります。インサイトと呼ばれるやつですね。発見です。

ちなみに、一連の流れを全部聞いた後で

「ではその今話してもらった一連の行動の中で、何か問題だなと思っていることや、不満に思っていることはありますか?」という質問も一応します。一連の行動を自分で回想した後なので、自分で話してくれることもありますので参考にはなります。

これはまさに、百聞は一見にしかずなので機会があったらぜひやってみてください。

これまで僕がコンサルをやったクライアントさんに同席してもらって何度か一緒にインタビューをやりましたが、初めての方は例外なく「これは有益ですね」と言ってくださいました。

起業や新規事業を考えておられる方はぜひトライしてみてください。そうして、お客さんについて学び続けていく姿勢が成功に繋がっていきます。

 

 

 

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お店の雰囲気はお客さんがつくる

おはようございます。ついに、赤ん坊が隣で泣いていても動じずに作業する技を身につけた石川です。

今日は、ちょっと駆け足で書いていきますね。
今日の結論は、表題の通り「お店の雰囲気はお客さんがつくる」です。

ここでいう、お店とは「夜のお店」のお話です。しかも、フィリピンなので割とディープな例ですが、リアル店舗をやっている方や人を集めるビジネスをやっている方にとっては何かヒントになればと思います。

僕は、フィリピンに何度も足を運んでいて、学生時代は長期滞在していました。何をしてたかというと、夜遊びガイドや貧困のフィールドワークです。ま、要は遊んでました。ちなみに、この頃に振り切り度MAXで遊び過ぎてしまった影響で今は全く夜遊び欲はゼロになりました。話がそれますが、日本人でフィリピンに遊びにくる男性もかなり多くて、下手な遊び方、汚い遊び方をする人はだいたい昔に全く遊んで来なかった人が多いと思っています。遊びっていきなりできるものでもないし、あまり真面目真面目で行きすぎると年取ってから爆発しちゃったりするので若い時、どこかのタイミングで目一杯遊ぶのが良いですよ。

さて、フィリピンの夜遊び事情というのは、本当に面白くてめちゃくちゃ奥深い世界が広がっています。
僕は、毎日毎晩あちこちを歩き回って、明るくなったら家に帰るような生活をずっと続けてました。

向こうの夜の世界というのは、めちゃくちゃ裾野が広いです。ローカル向け外国人向け、いわゆるキャバクラからマッサージ店、ヤリ系の店、とにかくピンキリでいろんなタイプのお店があちこちにあります。観光向けは、まあわかりやすいというか日本人もたくさん遊びに行ってるので知ってる男性も多いかもしれません。でも本当に面白いのは、普通は行かないようなローカル店の方にあって、ヤリ系にしても、そもそもシステムとして全くないんだけどヤれちゃう店とか、一見普通のバーなんだけど、女の子を隣に呼んで一緒に楽しく飲める店とか(エロいことは何もなくて楽しく食事するだけ。超安い。僕が一番行ってたのはこのタイプのお店)

あとは、置屋とかもあります。これはもう地元の人ですらわからないです。普通の住宅街にあって、看板も情報も何も出ていません。このレベルになると、外国人が行くといろんな意味でさすがに危ないので僕は一回も行きませんでした。

まあ、とにかくキリがないほど奥深くていろんな形態のお店があるわけなんですね。

(一応言っておきますが、僕の場合は、事前に起きうるリスクやその対処法、やっちゃいけないことなど、情報と知見を知った上で歩き回っていたので大丈夫でした。一番やばかった時で睡眠薬で眠らされて二日間起きなかったことだけです。つまり、安全は「作っていた」わけです。こういう国では、行っちゃいけない場所、やっちゃいけないことというのが確実に存在するので、バカな無茶はしないでくださいね。本当に死にますから。)

それで、
まあ色々なお店を放浪したわけなんですが、やはり
「良い店」と「悪い店」というのがあります。

もちろん「良い悪い」というの人の好みではあるので人それぞれなんでしょうけども。

一番感じたことは、「そのお店にきている客層が、その店の雰囲気をつくる」ということです。

店側のサービスだけが、お店の雰囲気を作ると思っていたら大間違い。こういった夜のお店の場合が、その色が特に強いですが、そこにいるお客さんによってその場所はどんな場所なのかが、無意識的に、しかしハッキリとわかります。

いくつか要素があると思うので取り上げます。

・外見、内装
まあ、これは当たり前の話ですね。
エレガントでゴージャスなお店に仕立てたら、金持ち目で、ハイクラスの客層がきます。外国人も増えますし。逆に、何も気を遣わない汚ったない店だったらローカルの人が来ますよね。あとは、清潔度とかもそうで、ローカル店だったとしても統一感があって小ぎれいにしている店は、良いお客さんが多かったりもします。トイレが汚いのは、ダメですね。掃除が行き届いているかどうかも大きな分かれ目です。

・金額
まあ、これも当たり前の話でしょう。
メニューの金額によって、どの客層がくるのかはかなり別れて来ますね。客層をコントロールしたい時に(呼びたいくないお客さんを排除したい時に)、大きな要素の一つ。

・ドレスコード
これは、上客だけに絞るためのルールとも言えますね。ドレスコードって単純に見た目が違うだけではなくて、人間性も異なってくるって話です。服装は、人間性が出ます。ここでいうドレスコードは、何も金持ちだけのことを言っているのではなく、「半ズボン、サンダルはNG」程度のドレスコードも含みます。ローカル店であっても、こういうドレスコードを設定しているバーがあって、そういう服装ができる(別に高くないけど、清潔な服装ができる)人が来ているので、ある程度機能している。

・立地
立地ももちろん客層に影響はしてくるでしょう。
ただ、個人的にはそれほど重要ではないとも思います。だって、本当に良いと思った店は遠くたって行きますし、よくないと思った店は近くても行きませんからね。立地だけで、客層が決まるわけではありません。

・従業員の態度
これは、かなりでかいと思ってます。夜の世界の場合は特にです。どんな形態のお店であれ、お客さんと従業員はコミュニケーションすることが多いわけで、従業員の性質によって、客層も変わって来ます。
早い話が、「お金を積まれるならなんでもやるよ」的な女の子が働く店にはエロい奴(しかもそういう奴は態度も横柄だったりする)が集まって来ますし、「いやいや、だめです。私は安全なお店で働きたくてやってる」というきちんと定められた接客内でしかサービスしない硬派な女の子が働く店には、自然とジェントルマンが集まって来ます。これは、大きいよね。

・オーナーの人間性
オーナーの人間性に吸い寄せられるって一面もありますね。ヤクザみたいな人がやってる店にはそういう客層が集まったりします。類はともを呼ぶですね。
来たお客さんに一卓一卓回って必ず毎回挨拶してくれる真面目なオーナーの店にはやはりジェントルマンが常連につきます。「自分のことを気にかけてくれている」感というのは、やはり1対1のコミュニケーションだと強くて効きますね。逆に、もう来て欲しくないお客さんには、わざと挨拶しなかったりしてますね。悪いお客さんが増えると、従業員が疲弊するし、他のお客さんにも迷惑になるので、きっぱりと排除しちゃって良いって考え方ですね。

・最初のお客さん
店というのは、コミュニティそのものであって、「最初に来たお客さんが後から来たお客さんを排除する」という現象が割とおきると思ってます。しかも、意図的にではなく自然とそうなるって話です。
新規さんがお店に入った時に、どことなく「自分と違うな」と感じたらなんか居ずらくなるというか、自分とは違うのかなという引け目を感じるからです。まあ、夜の世界の場合はこれも割と強い。

以上、いくつか見て来ましたが、
ざっとこんな感じでしょうか。

いくつかの要因が重なり合って、
「どのお客さんが吸い寄せられるか」が決まって来ます。そして、そのお店にいる客層がそのお店の雰囲気をつくってしまうんだよというお話でした。

今日はこれにておしまい。
また明日!

解は一つじゃない

こんにちは、夕方での投稿ですみません石川です。

そういえば、数年前からTSUTAYAで自動で会計する機会を見かけるようになってますが、まさか、こんな田舎の街でも導入されてるなんでビックらしました。

まだ使い方も完全には浸透していないようで、東京に比べて、普通に店員がいるレジに列を作って並んでる人も多いです。使い方がわからなくて結局店員が機会の使い方を教えてるシーンもちらほら。。。余計大変じゃね!?と思いそうですが、こういうのは導入期こそイニシャルコストが上がるものの、一回浸透してしまえばおそらくコストは減りますね。気長に待ちましょう。

さて、
ふと思い出したことがあります。

僕は、学生時代まだ部活動をやっていた時期に「社会起業大学」というビジネススクール的な所に少しだけ通ってたことがあります。週末だけやってたプチ講座コースみたいなのがあってそれに通ってました。(相当前なので今の形態とだいぶ違うと思うけど)

そこで、確か僕は講師に
「将来結婚したら、ビジネスと家庭の両立が心配なんですが、どうしたらいいのでしょうか?」
という、なんとも抽象的な(しかも授業の内容と全く関係ない)アホくさい質問をしたことを思い出しました。

確か答えは、
「その時その時で、最善を探していくしかないと思います」
って返していただきました。

最近になって、やっと意味がわかりました。
本当にその通りだと思います。

というのも、
状況の誰にとっても異なっているので、
「こうしたら上手くいきますよ」なんて万能な答えはないじゃないかと思います。

結婚生活、子育て、職場、全部そうで、人によって取り巻かれてる環境もあなたやあなたの周囲にいる人のパーソナリティーも違うので、”最善”の答えは結局自分で見つけていくしかないんだろうな思ってます。人にアドバイスを求めるもんじゃない。

受験勉強とかもそうですよね。
もう少しで2次試験の季節ですね。僕も1年間浪人を経験してことがあって分かったことがあるのですが、受験で強いのは「勉強方法を見つけられる」人間です。
成功するのは、頭が良い人、根性でめちゃくちゃ努力できる人、ではないです。勉強の効率が良い人です。
つまり、失敗するのは勉強の効率が悪いから。

少なくとも大学受験レベルであれば、正しいやり方で持って、大量の勉強時間を投入すれば、誰でもかなりの高確率で結果を出せるものだと思います。

ただ、この”正しいやり方”というのが、全員共通ではないというか、一人一人性格と才能は違うので、”正しいやり方”も人の数だけあるんだよ、が僕の考えです。

つまり、自分で見つけていかなくちゃいけない。

だから結局、現状を「分析」して、「解決法」を考え、「実行」していくというプロセスを経ていくしか無いんだろうと思っています。

これってビジネスそのものですよね。

本質は、なんでも一緒だと思います。家族関係も、仕事も、受験勉強も。

だから、浪人生活において、先生の言われた通りにしか出来ない人間は、自分でやり方を考えていく、試していくことをしないので結果が出ずらかったりします。
(運よく先生の言うやり方が自分に合致すれば良いですけどね)

挙げ句の果てに、ランキング上位に来てる奴が授業にあまり出ていなかったり、猛烈に勉強してるようには見えなかったりする奴がいるので、「なんでアイツが!チクショー。やっぱ頭の良いやつは良いよな」とか才能のおかげだと思うわけです。いやいや違います、工夫してるだけです。勉強の効率が良いのです。

あれ、なんの話だっけ。

あ、そう最近の私は、夫婦関係と子育てにおいて、毎日いろんな苦悩に巡り合う度に、”最善”を考えています。

それで、十年前くらいに言われた
「その時その時で、最善を探していくしかないんだよ」
の意味が今になって良く分かったというお話でした。

今日はこれにて。
また明日!

人類が追うべき指標はなんなのかを考えようという話

こんにちは。

助産師さんに「赤ん坊が昼夜逆転してて夜泣きがひどくて。なんとかならんのですかね?」
と相談したら「赤ちゃんはみんな夜行性なので、それは諦めてください!」と言われ絶望している石川です。

赤ん坊がお母さんのお腹の中にいるときには、日中はゆらゆら動くゆりかご状態なので寝やすい。
夜はお母さんが寝て動かなくなるので、赤ちゃんが起きて運動している。その名残りなんだって。寝れなくて困っているパパママ!はい、諦めましょう。

さて、今日は昨日の続きです。
昨日の記事を読んでない方は先にそちらを読んでね^ ^
(この世は欲で動いているんだ)

昨日は、

「こういう世界では、欲張りであることは悪いことじゃないよね」

なぜなら、

「世の中は、”欲”によって突き動かされていくから」

という話をしました。

人間が色んな欲を持ち続けているから、世界の誰かがその欲を満たすための発明をしてきました。
そうやって人間社会は発展し、人類の集合知として集積されてきました。

そういう背景を持ってして考えると、
「ビジネスの本質は、人間の欲に迎合していくこと」だと僕は考えてます。

簡単に言えば、ビジネスするならば「人が欲しがるものを作れ」って話です。
それもたくさんの人が強〜く欲しがるものを作れば作るほど、個人や会社は儲かります。

読者の皆さんは、現代を生きているので想像しやすい今の身の回りの生活を思い浮かべて欲しいのですが、まずはやっぱり「衣食住」のビジネスはとても強いわけです。
生きて行く上で絶対買いますからね。今日も皆さん食べ物を買いましたよね。
食欲は数ある”欲”の中でも、絶対に外せない優先度の高い欲望です。

一方で、例えば「妊娠中の妊婦がマタニティフォト を撮りたい!」みたいな欲望は、そもそも持つ人も少なければ、優先度としては低いはずです。お金に余裕がなければ、他のことにお金を使うはずです。

そういう意味で、「生活必需品」を抑えたプレイヤーはとても強いってことですね。そうそう潰れません。(でも、「競争がある」のはまた別の話ね)。やっぱりなんだ言っても、衣食住のフィールドで戦っている企業は売上も半端ないし、めちゃくちゃ強いわけなんです。

なんとなく、「この世は欲で動いている」のイメージがわかってきたかな?

一方で、「世間に迎合せずに自分がつくりたいモノを作れ」的な、職人気質あるいはアバンギャルドな芸術家のような考え方もあるとは思います。それはそれで僕も大好きです。その心意気は素敵ですし、時にそこから人の心をグッと掴むような大作が生まれることもあるでしょう。
ですが基本的には「人の本能的な欲」に則していないモノはどんな売り方をしようが、長く売れないと思っています。世間に全くもって迎合しないでモノを作ることは、博打に近い(あくまで、経済市場に乗せる、お金を発生させるという視点で今は話しています)

やはり「売りたい」と思うならば、どうしても人間の欲に応えていく必要があります。

つまりは、世の中というのは誕生してこのかた
「人が欲しがるものを作ったものが得をするゲーム」の中で動いているわけです。

欲しがるものを作るほど、誰かに喜ばれるし、早い話がお金持ちになれるって話です。

このメカニズムはめちゃくちゃ強い力学であって、誰がなんと言おうと世の中はそのゲームルールの中で動いています。

人の欲→満たされる→人の欲→満たされる→人の欲→満たされる

人類史を通して、この無限ループがズー〜ーっと続いてることになりますね。それもあちらこちらで。

頭の良い人ほど、または野望の強い人ほど、
人々が欲しがるモノを懸命に作って、世の中に価値を提供していきます。
どんどんビジネスが生まれて行く。

私たちは、そんな誰かが生み出してくれたモノを消費して生きているわけです。

あるいは、会社で働く人は、ある製品の生産工程の一部となって誰かの欲を満たすモノを生産しているわけです。

だいたい全ての大人が生産者であり消費者です。

そのメカニズムが連綿と続けられてきた集積の上に成り立っているのが、僕たちが生きている今の世の中。

ことに、日本において言えば、めちゃくちゃ便利な生活です。
便利どころか、小さな欲やマイナーな欲まで満たしてくれるサービスが世の中にありふれています。もっと突っ込んで言えば、地方よりも都市部の方が、よりきめ細かなサービスやモノであふれかえっています。

そう考えると、勘が良い人は
「あれ、人間の欲ってそのうちなくならないのかな?」って疑問が湧くと思うのですが、
答えは、「無くなりません」です。

これは、歴史を見たら明らかなことで、市場経済に乗った社会において「もう、このまま現状維持でいいや。何も成長しなくていい。何も新しいものはいらない。」というジュゴンみたいな境地に達した社会はないからです。(ただし、北欧社会だけは例外と言えるかも。)

それで、僕が言いたいことはここからで、
「このままいったら世の中はどうなるの?」という未来に対するクエスチョンです。

頭を柔らかくしてご自身でぜひ想像して見てください。この流れのまま社会が進んでいったらどうなりますか?
人間の欲があっては、沢山のビジネスマンや研究者がその欲に応えようと頑張って行きます。

ビジネスでは人の欲に応えて、売ろう売ろうするモチベーションが働きますから、
坂を転がした雪だるまみたいに、放っておいたら止まることは絶対になくてどんどん膨らんでいきます。

途上国と先進国の両方でどっぷりと浸かっているからこそ感じることかもしれませんが、
日本の生活水準は相当上がっていると思います。かのアダムスミスも「”必需品”の基準は上がるのだ」と言及しています。僕たちは当たり前すぎて気づきませんが、めちゃくちゃ豊かな生活を送っています。(経済的にね)

フィリピンの「普通」と、日本の「普通」は全然違います。
1900年代後半の日本人の「普通」と2019年の日本人の「普通」も全然違うわけです。

でもね、「どっちが幸せなんだろう」と言われれば、僕はわからないな〜と思うわけです。

確かに、圧倒的な欠乏状態では、「安心安全に普通に生きていくことすら難しい」状態ですので、
そこからは早々に脱するべきだと思います。腹一杯食えない、病気のリスクがでかい、戦争や事件に巻き込まれる危険がある、家族を守れない。世界をみれば、まだそういう国がたくさんあります。僕もほんの一部を見てきました。それは、絶対に解決するべきです。

日本は、概して国民の大多数の人が「ある程度豊かな生活を得る」ことにすでに成功しています。

そこから先はもはや満足度の問題であり、必ずしも
「成長」「規模」「売上」「金持ち」「名声」「地位」「所得」
そう言ったような指標で測るのは、危ういのではないか?と僕は思っています。会社にとっても、個人にとってもそうです。

例として出すのはとても恐縮ですが、わかりやすいので言及させてもらうと、日本の名経営者「孫正義さん」は誰がどう見ても「成功者」だと思いますが、測る指標が違えば、「成功者」の定義も変わってきます。孫さんが成功者と言えなくなる可能性だって、見方によってはありますよね。
(あくまで、例として出しているだけだよ。)

田舎で自給自足して、地域の人とは沢山繋がりがあって、毎日コタツで過ごしてるおっちゃんが
実は「成功者」である可能性だってあります。

僕が話しているのは、
「人類が追うべき指標はなんなのか?」
という話です。

そして、
「人類は本当に幸せになっているのか?」
という問いです。

豊かじゃない時代は、みんなで一つのゴールで良いんです。
強い日本を作ろう、豊かな日本を作ろう。野望を持って、せっせと頑張ることが共通の幸せの価値観になり得ます。そういうモチベーションが、国民総じてある程度豊かな状態まで国を引き上げます。

実際に、世界中の先人たちのおかげ様で、今の私たちの豊かさがあります。それは感謝しなければいけませんね。

でもそこから先は、未知の領域であり、よーく考えなきゃいけない。一人一人がね。

成長し続けることが本当にいいのか。
次から次へと出てくるモノを、消費し続けることが本当にいいのか。
結局メルカリに出すことになるのに、新しいブランドものばかり購入することが本当にいいのか。
“良い職”を得ようと、奨学金を使ってまで都市の大学へ行くことが本当にいいのか。
生活コストのかかる都市に住むことが本当にいいのか。
欲しいものを買うお金を得るために、勉学や友人との時間を犠牲にして働くことが本当にいいのか。
大きな家や車を買うためにローンを借りて、働き続けることが本当にいいのか。
四六時中働きに出て、結果ほとんど家庭にいないことが本当にいいのか。

僕が、『これからの時代は
「意味」「生きがい」「価値観」「哲学」「幸福観」
そういったものが大事になってくるだろう』と口癖のように言っているのにはそんな背景があります。

世の中のメカニズムは、否が応でも我々の生活に対して、抗えない重力を及ぼしてきます。
ビジネスは相変わらずたくさん消費させようとしてくるし、人間社会は相変わらずもっと豊かになろうとしてくる。

なにも僕は資本主義を否定しているわけではありません。資本主義が機能してきたからこそ、人間の欲があるからこそ、一人一人が自己の利益を追求してきたからこそ、これだけ社会は豊かになったことはまぎれもない事実だと思います。そんな資本主義には、リスペクトすらあります。

でも、フェーズがもう変わってきている。
一つは、もう十分豊かになったから。
もう一つは、日本では人口がぐんぐん減っていく時期に入ったことが変わり目の一番大きな要因です。

「欲によって動く」社会のひずみがこれからどんどん出てくるんじゃないかと思っています。つまりは、「考え直す時期」なんじゃないかなと。

僕の意見としては、「みんな幸せになれたらいいよね」というシンプルなものなので、あなたの生き方についてもよ〜く考えてみて欲しいです。

本当の幸せってなんだんだろう

あなたが追いたい指標ってなんなんだろう

ってね。

世の中や周りに流される必要はありません。常識に沿う必要もありません。答えは自分の中にしかないですし、その賛否を判断するのも自分ですから。

すごく人間臭い話になりましたが、今日はこれでおしまいです。
お読みいただきありがとうございました。またあした!

これからの時代に「思考力」が必要な理由

▪️これからの時代、絶対に必要な能力は何か?

こう聞かれたら、私は「思考力」だと答えます。専門的な深いスキルを身につけることももちろん大事ですが、私は考える力を一生を通して最大化していきたいと考えています。

「いまの時代、なぜ自分の頭で考えることが必要なのか?」

これを考えてみたいと思います。

▪️20世紀までの日本

20世紀までの日本は、自分の頭で考える必要性はそれほどなかったのではと思います。

それは、答えが分かる時代だったからです。

話は、明治維新の時代。
ずーっと鎖国をしていた日本が開国します。日本は「よし!これから世界に打って出ていくぞ」と意気込んでいました。それまで鎖国をしていた日本は、圧倒的に進んだ欧米諸国を見て、「やばい、俺たちも追いつかないと!」と焦ったんですね。

日本を動かす要人の半数ぐらいの人が、岩倉使節団として欧米各国に実際に訪問し、進んだ国の社会、教育、政治から、文化にいたるまで様々な分野を観察してきました。

「うわー、すげーこんなの見たことないわ」当時の彼らにとっては、興奮冷めやらぬ旅だったのだと思います。想像してみてください。ネットが全然ない時代ですからね。ものすごい旅をして実際に見て触れて学んできたわけです。

つまり、欧米諸国の進んだ文明を手本にして、発展に成功してきた国
それが日本です。

工業化社会を迎えた19・20世紀には、より優れたモノを、より安くつくることが優位性となりました。

日本では人口も増え続け、まだまだ国民は豊かではない(モノを持っていない)時代。

人も増えている、必要なモノが揃っていない、あれもこれも欲しい!!
要するに、モノが沢山売れる時代です。

モノがたくさん売れるので、大量生産、大量消費社会に突入します。
それだけ商品を大量に作るということは、規模の経済が働きます。

効率性を上げるのは、日本人の得意分野。
海外に行くとよくわかりますが、キメの細かさ、繊細さ、やはりmade in Japan商品のクオリティーは非常に優れています。多くの国民が総じてここまで精巧さを追求できるということは、他の国の人にはなかなかできない日本の強みです。
そうして、より良いモノを、より安いモノを、改良に改良を重ねる企業がたくさん出てきました。

しかし逆に言えば、
ゼロから新しくモノを生み出す必要性というのそんなになかったんですね。

戦後20年足らずで日本は世界のトップクラスに肩を並べました。
これができたのが、先人方の本当に素晴らしいところ。日本の矜恃です。

しかし、それが今ではどうなっているのか。
世の中の流れが大きく変わってきてます。幾つかの変化を取り上げます。

世界はいま、とんでもない時代を迎えているのです。

今回は、「なぜ自分の頭で考える力が必要なのか」
それを考えてみる記事でした。

20世紀には、改良志向で、より良いモノを作ればよかった。逆にゼロから生み出す必要性がそんなになかった。

そして、時代の流れが変わり始めています。

▪️日本の人口減少

一点目の変化は、日本の人口が減り始めたことです。

自明のことなので、改めて取り上げる必要もないかもしれませんが、絶対に外せない視点です。

人口が減るということは、労働力が減り、消費も減るということです。そうすると、経済が成長することはできなくなっていきます

”数の力”というのはそれほどにでかい。
例えば、日本の1%を相手に商売したら120万人、一方でインドで1%の客に商売するとなんと1200万人、一人100円のモノを売ったとしても、1億2000万と、かたや12億ですよ。まさに桁違いです。

働いたり、子供を生んだりできる人の数を生産年齢人口と言いますが、これは、日本では毎年110万人近く減っています。平均年齢は50歳ぐらいですね。
ちなみに、現在、経済成長真っしぐらのフィリピンを例に挙げると、平均年齢は20歳ぐらいです。当然ながら生産年齢人口も爆増中。数十年前の日本みたいですね。

人口減少は、一般にどこの先進国をとっても見られる現象です。
国が豊かになって成熟するほど、経済成長率は落ち込んでいくのが一般的です。

日本の人口は減少し、すでに低成長(マイナス成長)の時代を迎えました。

▪️全員がすでに”豊かな”日本社会

二点目は、モノが溢れる豊かな社会になったことです。

”豊かな”とカッコをつけているのには、大きな意味があります。
これは、「精神的な豊かさ」を言っているのではなく、あくまで、「物質的な豊かさ」を指しています。

実は戦後以降日本では、幸福度調査というのがずっと行われているのですが、そのデータによると、日本人が「幸せだ」と思う数値はずっとほぼ横ばいです。そこに、GDP経済成長のグラフを乗っけると非常におもしろい。
つまり、経済はどんどん豊かになっているのに、人の幸福度はずっと変わっていないのです。

話が逸れていきそうなので、それはさておき・・、
モノがすでに行き渡っている世の中になったということです。
これが何を意味するかというと、もはや今まで通り「大量生産・大量消費」というわけには行かなくなります。

同じモノをより安く、より良く、効率的に作ったところで、大量に買ってもらえることはできないからです。
テレビも、洗濯機も、自動車も、洋服も、パソコンも、なんでも必要なモノは大体すでにほとんどの国民が持っているわけです。

いくら改良を積み重ねたところで、そう簡単には買ってもらえません。

日本は”豊か”になり、モノがたくさん売れる時代ではなくなりました。

▪️世界の大転換点 

3点目は、世界がとんでもない転換期を迎えてしまったことです。

この3つ目こそが「なぜ自分の頭で考えなければいけないのか」の核心的な理由です。

世界の歴史を見ると、いくつかの歴史的な転換点がありました。

”技術(テクノロジー)の発達”というのは、基本的に他の何かしらの技術を参考にして生まれるものです。厳密に言うと、本当に全くの無から生まれる”オリジナル”の技術というのは、ほぼありません。
これは、いつの時代もそうです。(昔よりも今の方が特にそうです)

例えば、文字の誕生。
はるか昔、文字が生まれた時代、この時代はすでに、世界中のあちこちに人類が無数に散らばっていました。しかし、全くの無から初めて文字を生み出した民族というのは、非常に非常にごくわずかです。

ほとんどの民族で、他の民族の文字が伝来してから、それを借用するか、それを参考にして独自の文字が作られています。
つまり、技術が伝来すると、次の技術が生まれていくということを意味します。

そして、ここから次に何が言えるかというと、人類10万年の歴史を振り返ると、

”情報の伝達スピード”というのが、社会の発展にはものすごく重要な要素である」

ということです。
少し掘り下げてみます。

農耕社会の時代というのは、基本的に徒歩での移動です。
つまり、情報が伝わるには、直接出会うしかない。歩くのはとっても時間がかかります。文字が他の地域に伝来するのにもものすごい時間がかかっているのはそういうことです。

さらにその前に遡って、文字を持たない時代はどうだったしょうかね?
文字がないので、情報を残すことすらできませんよね。
「これを彼に渡しといて」と書くこともできないし、「私が得た知識を残しておこう」とすることもできません。
文字がない時代は、めちゃめちゃ伝達効率が悪かったことが予想できますね。

ずーーっと説明していくと終わらなくなるので、すっ飛ばしますが・・・(笑)
勘が良い方は、だんだん分かってくるのではないでしょうか。

文字が生まれて、馬を使うようになって、鉄が生まれて、蒸気船が生まれて、蒸気機関車が生まれて、自動車が生まれて、飛行機が生まれて・・・

想像してみてください。それぞれの時代で情報が伝わるスピードというのはどれくらい違うでしょうか?

上述した、それぞれの時代と時代の転換点を迎えるまでにどれくらいの時間がかかっているでしょうか?

文字が生まれてから馬を使うようになるまで、馬を使うようになってから鉄が生まれるまで・・・

そうです。。。
文字が生まれてから馬を使うようになるまでは、とんでもなく長い期間がかかっています。
一方で、自動車が生まれてから飛行機が生まれるまでは、わずか数百年。

こうして”情報が伝わるスピード”というものが、それぞれの転換点を経て加速度的に早くなってきたのが今のこの世界です。

技術が伝来すると、次の新しい技術が生まれます。

つまり、情報が早く伝わるということは、それだけ社会の発展も加速度的に進むということになります。

そうして出てきたのが、20世紀の”インターネット革命”です。

これはもう本当に世界が変わる転換点でした。このインターネット時代、情報が伝わるスピードは?・・・さあどうでしょうか?

答えは、”一瞬”です。

これがどれだけとんでもないことかは、これまでの歴史を俯瞰してみると分かりますよね。情報技術が瞬時に世界中に伝わるわけです。
ということは、次々と新しい情報技術が生まれ続けていくということを意味します。だから、今の世の中は変化の激しい時代なのです。

実際に、インターネット革命を迎えた1996年以降この20年の変化というのは、これまでの歴史に比べて、比じゃないスピードで変わってきています。これからの世の中も一気に様変わりしていきます。100%そうなります。

多くの人が気づかないうちに、だんだんと住む世界が一変していくということが起きるでしょう。本当におもしろい時代に生まれたなと思います。私自身、起業の世界に身を投じ始めて、ひしひしと実感していますが、今のテクノロジーの変化スピードは凄まじい。まさに人類の進化とも言える歴史の転換期と言えるでしょう。

もはや、予測ができて、答えが単純に分かる時代ではないのです。

欧米諸国の真似をしてもうまくいくような時代ではありません。
ただひたすら効率性を求めて、より良いモノをつくれば成長する時代ではありません。
一つ答えが分かったら、それが通用し続けるような時代ではありません。
これからの社会は、環境が刻々と変わり続けていきます。日進月歩ならぬ、秒進分歩の世界です。世界中の情報が行き来し、より複雑な世の中となっていきます。

だからこそ、「自分の頭で考えて答えを探していく力」が必要なのです。

1つだけ、具体的なテクノロジーの変化を挙げるとするならば、AI(人口知能)の台頭です。AI技術自体は、まだまだ進化の途中ですが、我々が生きているうちに、AIやロボットと共存(正確に言うと、 AIが意志や生命を持つのはまだまだ別次元の話なので、”共存”という言葉を使うのは間違いだが)する世の中が確実にきます。
誰にでもできるような単純作業や、ルーティーン化できる作業はロボットの得意分野です。

これを「そんなのふざけるな」とか「そんな時代になるか」など言う人もいますが、そういった時代はそう遠くない未来に来るでしょう。このテクノロジーは、パンドラの箱であって、否が応でも確実に進んでいきます。

しかし逆に、これはチャンスです。
嫌な仕事や、パターン化できる仕事はすべてロボットに任せて、人間は、人間にしかできない仕事に集中できるわけですから。

そこでやはり再び言えることは、「考える力が必要だ」ということ。

日本は、人と同じであることを良しとする空気があります。
学歴偏重で、できるだけ多くを暗記して、難しい試験に通ることが優秀とされます。
そうして、大企業に勤めることが、安定した道と信じられてきました。
問題も、答えも教えてもらうのが、日本の教育です。
言われたことを誰よりも上手くこなせる。今あるモノよりももっと改良して、よりよいモノを作れる。

これらは、確かにこれまでは機能してきたかもしれません。
しかし、もうそのような”優秀な人”は、沢山はいらないのです。
日本が、この世界の変化に対応していけなければ、どんどん沈んでいきます。

それは、僕たちの息子・娘世代、孫世代が豊かな暮らしができなくなるということを意味します。危機感を持っている日本人は少ないと思います。

自分の頭で考えて、自分で新しい価値を生み出していける人、そういう人間が、これからの日本にもっともっと必要です。
これからの世界を豊かにしていくのは、そういった人間だと思っています。この時代に生まれたことは奇跡ですよ。こんなに可能性が広がっている時代はなかった。世界は、いまとんでもない歴史の真っ只中にあります。

それだけ世界にインパクトを与えられる可能性のある時代だということです。

世界をもっともっと豊かにしていける。人々の人生を劇的に変えていくことができる。いつか、理不尽な宿命を背負って生きる人がうまれない世の中が来る、僕は、そう信じています。

価値観は人それぞれですが、日本人ももっともっと夢を見て良いと思います。宇宙にも行ける時代です。なんでもできますので。

以上が、「日本において、思考力が必要な理由」です。

そして、

「自分のやりたいこと、幸せとはなんなのか、それを考えた方が良いよ」

という理由でもあります。このブログのタイトル「Think Happiness」もそこからきています。
時代に取り残されず、本当に”豊かな”人生を送るためのコツなのかなと思います。

中高生に伝えたい-私が国立大を中退した理由

筆者は、今年(2014年)に四年制の国立大学を中退しています。
大学は浪人してから入ったので、偏差値もそこそこ高い学校です。ずっと休学していたので7年間は、大学に籍を置いていたことになります。4年生でした。

私は、なぜ大学を中退したのか?

「これからの生き方を考える」にあたり、いま現在高校生や大学生の方に何か一部でも参考になれば幸いです。

■「Just go with flow」な人生

結論となる、今回伝えたいメッセージを先に述べておきます。

「生き方は”選択”できる。人生のオールは自分の手で握り、自分の意志で漕いでいけ」

それでは、説明していきます。

いま思い起こせば、筆者は21歳頃までは何も考えずに生きていたような感覚があります。もう少し別な時間の使い方をしていれば・・・と、後悔に苛まれます。

少しだけ私の歴史を振り返ってみます。

まず、第一の転機となったのは、浪人時代のことでした。
浪人生というのは、世の中の立場でいえば、高校生でも、大学生でも、社会人でもない、なんとも宙ぶらりんな存在です。

時間にも余裕があったので、客観的に世の中を観て、ぼ〜っと物思いにふける期間があったことは私の人生にとって、大変にプラスになることでした。

そこで発見した一つが、「ほとんどの人間が流れに身を任せて生きている」という事実。

浪人を経て、筆者は国立大学に入学しますが、やはり、その観察は間違っていなかったように思われます。

これは大変残念なことですが、日本の大学では、本気で熱中して勉学している学生は確実に少数派です。

かと言って何か他のことに熱中しているのかと言えば、それもそう多くはないように見受けられる。

では、多くの学生は何をしているのか?

乱暴な言い方をすれば、「ただ時間が過ぎる毎日の繰り返し」です。

単位を取るために授業に出て、サークルに入って、友達を作って、バイトでお金を貯めて、飲み会に明け暮れ、恋人と思い出をつくる。

そこにいつも付きまとう枕詞は、「なんとなく」という言葉です。

そもそも大学という進路を選んだ理由も、みんな行っているから「なんとなく」です。

そうしてやがて、就職活動の時期は否応なしにやって来ます。そこで初めて、本気でやりたいことを考え始める。初めて自分と向き合う時間。核心的な答えが見つからないまま、就職活動という戦場を駆け巡って行きます。

と、多くの学生はこんな感じだろうと思います。

いったい、この大学生活のどこに自分の意思があるのか?

ただただ川の流れに身を任せるように、どんぶらこと流されて毎日を生きていく。私から言わせれば、惰性的で、享楽的な人生と言わざるを得ません。

本気でやりたいことや、自分の生き方を真剣に考えている人は本当に少ない。
筆者は、このように考えています。

「自我に目覚めて初めて、人生のスタートラインに立つ」

日本の大学生は、はっきり言って全然おもしろくないです。

「just go with flow」

流されて生きる人生そのものだと思います。

■自我に目覚める旅へ

筆者の話に戻ります。

第二の転換点となったのは、フィリピンへの旅でした。

かくいう私も、大学入学後は惰性的な生活を送っていました。「そうなってしまった」と表現するのが正しいかもしれません。

人間の意思とは、砂のようにもろいものです。
「よし、こんな山を作るぞ!」と決意し、積み上げたとしてもすぐにサラサラと崩れ落ちる。

ただ幸いなことに「私は何をやりたいのだろう」ということだけはずっと考えていました。

筆者は、大学で部活を引退した後に、フィリピンへ行き長期滞在しました。
理由は、貧困問題にぼんやりと興味があったからです。当時は、机上の学問に意味はないと考えており(今となっては、とんだ誤解でした)、現場で体験して学びたいと考えたからです。

現地にいる時、1年間フィールドワークをしていました。昼も夜もひたすらに動き回り、現場を学ぶという姿勢を貫きました。そして死ぬほど遊びました。

■人生が決まった瞬間

動き回っている中で、私はとある原体験を得ました。私にとってはあまりに衝撃的な出来事でした。

それがあった瞬間、「貧困とは一体なんなのか?」という問いの核心に少しだけ迫ることができたような気がします。私の中で、一瞬で世の中の景色が変わってしまったのです。

私は、人生の中で何をやりたいのかをずっと考えていました。
なんとなく貧困問題に興味を持ち、フィリピンに来ました。
そして一つの原体験に巡りあい、一つの「志」を手にしました。

その出来事があってから心に誓いを立てたのです。
なんとかしなければいけない。
世の中にこんな事があってはいけない。

この人たちのためなら自分の命を懸けられると。

私の中に一本の太い軸ができました。
それは、何があっても決して倒れることのない”ブレない軸”です。
この軸が成長し大きな実をつけるのか、それとも枯れて終わってしまうのか、それはこれからの人生次第で決まってくるでしょう。

しかし、私の行動基準全てが、この一本の軸に集約されます。
自分の人生の時間をそのために使っていこうと思ったのです。

■想いだけでは世の中は変えられない

貧困問題は、人類がずっと解決できていない問題です。
必要とされているのにずっと問題が残っているということは、それだけ複雑で難題ということを意味します。

超長期スパンで考えている(きっと筆者が生きているうちには解決できないと思う)ので、今でもひたすら自己否定を続け、修行し、まずは土俵に立てるだけの人間性を育てているつもりです。

他人の人生に大きく影響を与えるということは、単なる自分の思い付きではやってはいけないことだと筆者は考えています。

そもそも、好きなことや、やりたいことを始める前には「余裕」が必要です。
「余裕」とは、「メシを食っていける」ということです。

これは人類の歴史を振り返ると明らかですが、余裕がないことにはコントローバブルな人生を歩むことは大変難しい。これはいち個人でも同じです。

とは言え、今の日本では一生懸命に働いて労働力を提供しさえすれば、生きていく分の賃金を得ることはできます。生活するコストも資本主義のおかげで下がっています。

そして、その後は自分の世界観を創ること。
なぜなら、世の中には、オセロのように白黒はっきりとつけられるような絶対的な物差しは存在しないからです。

美しいと思う世界、理想とする世界、こうなったら素敵だなと描く未来。
ただそれがあるだけ。つまり、全ては主観です。だから、考えに考え抜いて、本当に腹落ちして、自分の世界観を確立しないことには、「世のため人のため」なんてありえないのです。

これらの作業をすることが、絶対に先。筆者はそう考えています。

そして、闘えるだけの圧倒的な実力も必要です。
全ての経験を栄養にしていく。できることを増やしていく。それがいま私がやっていることです。20代なんて、無知の若造ですから。

一方で、確実に信じていることもあります。

それは、後100年以内には「貧困のない世界」は絶対に実現できる、ということです。

行き着いた資本主義の中で見えてくる、新しい形の社会システム。
お金の機能が今後どのように姿形を変えていくのか?
インターネットの行き着く先の未来はどこにあるのか?
人口知能・AIはどのように世界を変えていくのか?

人類の歴史20万年の中で、いまが最も変化している時代です。
これは、歴史や教養を勉強した人だけが見ることのできる特権です。今の時代は本当にドラマティックなのです。

可能性が無限に広がる時代です。
私は、残りの人生をかけて、何かしらの歯車を世界に仕掛けたい、その一端を担いたいと考えています。

■何に対して価値(幸せ)を感じるのか?

筆者は、「自分の生き方」だけは、小さい頃からずっと見つめていた気がします。
そうして生きてきた中で一つわかったことがあります。

「私は大きな目標を持ちそれを達成していくことに最上の幸せを感じる。」

試行錯誤をしてきて、少ないながらもいくつかの経験をさせて頂いて、腹落ちしてきた言葉です。自分に何が向いているかも段々とわかってきました。
目標が高ければ高いほど、努力をすればするほど、そして結果が出るほど、私はワクワクしました。

いまは、フィリピンでの原体験がキッカケとなり、貧困の解決が目標となった。ただそれだけの話です。これまで大事にしてきた「価値観」の単なる延長線上にあります。

そして、私が大学を辞めた理由はここにあります。

このゴールを達成するためには、時間の生産性を最大限に高める生き方をするのがマストになります。それは具体的には二つの問いに分解できます。

「何にどれだけの時間を配分するか?」
「どれだけの密度で時間を過ごすか?」

それらを考えた時に、大学に残って勉強することは私にとって最良の選択肢ではありませんでした。時間がもったいない。
周りにだいぶ反対されましたが、自分の価値観に沿って考えたら、大学を出た方が良い理由は何もありませんでした。

■今後いろいろな生き方をする人間が増える

時代の流れを見ても、今後いろいろな行き方をする人は確実に増えていきます。
しかも、この流れは急速に進むはずです。

生活が豊かになっていることも大きいですが、
それよりも環境が変わりすぎて選択肢が多様化していることが一番大きいでしょう。

インターネットとスマホの登場により、世の中は劇的に変化しています。
あらゆる業界を再編させ、我々の生き方にも大きな影響を及ぼしています。
技術革新により、今までになかった仕事や働き方もどんどん生まれています。

人間がやりたがらない仕事や、効率の悪い仕事は、すべてロボットやAIがやってくれる時代がきます。おそらく数十年後になるかと思いますが、どこかでティッピングポイントを迎えたらベーシックインカム(国民全員にほぼ無条件で生活費を支給する)的な制度も機能するようになるはずです。

「生き方」を選べる環境が、どんどん整いつつあります。

「自由」と「どうやってメシを食っていくのか」という課題は、切り離せない問題ではあります。しかし、必ずしも”スタンダードな道”を選ぶことが合理的ではないことに気づくべきです。

■大学も変化していく

戦後70年を迎えて、大学の役割も岐路を迎えつつあります。

日本の大学という制度は、そもそも国が作った仕組みです。
余談ですが、もともとのヨーロッパでの大学の起源はそうではありません。
日本は、”できる”人材を大量生産する必要がある時代に、大学という仕組みが輸入されました。その起源は全く異なります。

定められた予定調和の中を、事なかれ主義的にうまくやり抜く人材。
与えられた課題を、とことん効率的にこなしていく優秀な人材。

戦後の日本では、みんなが貧しかったので、みんなが一つのゴールに向かう時代でした。つまりは、成長時代です。
「みんなで一つ」のゴールに向かって走れるように、日本の大学は”サラリーマン養成機関”として機能してきたわけです。

しかし、これからの時代は違う。
先人のおかげで日本はすでに豊かになり、次のステージに入ってきています。

残念ながら、いまだに時代錯誤に囚われている大学がほとんどであり、そこに青年期の4年間を費やすのは、むしろリスクにもなりうる。常識という幻想に囚われても、そこに実態はないこともあります。

(一応、誤解を招かないように添えておきますが、大学自体は、”熱中して勉強するならば”価値のある場所だとは思います。超専門のプロフェッショナルが集まっているので、知識を得る目的ならば、あれほど面白い場所はないです。筆者も、興味のある授業は他大学にまで行っていたので。)

世の中の歯車はカチカチと音を立てて、仕組みが生まれ変わっている真っ最中です。
大学や働き方の仕組みが大きく変革していくのもタイミングの問題かと思います。

■君のしあわせは何か?

何に対して価値(幸せ)を感じるのかは、人によって全く異なります。
価値観は、人それぞれです。

筆者が問題提起したいのは、何も考えないことの損失です。
「Just go with flowな人生でも良いじゃないか」と言う人もいます。ゆったり生きたいのだ!と。これも、全然OKだと思います。どう生きるかは、人の好き勝手です。

しかし、ろくに何も考えもせずにそう言っているのならば、それは大問題かもしれません。
それは、単なる思考の放棄と言えます。

就活の時期が来て始めて、将来を本気で考え始める大学生…。

もし、その勢いのまま最後まで行ってしまったら?
心の奥どこかで何かがくすぶりつつも数十年のサラリーマン生活を勤め上げ、病床のベットで死ぬ時が来て、俺の人生私の人生はこれで良かったのか、と考えるのでしょうか?

仮にも「もっとああしておけば良かったなぁ・・」と全然違う人生を羨んでも、もう取り返しはつかないのですから。

まずは孤独になって考える時間を意図的に作ることです。
みんなと同じようにとりあえず大学に行って、スキマ時間があれば、無意識にスマホをいじる。…なんてアホなのかと思います。時間がもったいなすぎます。

そして、なんでも良いので思考量と行動量を増やすことです。
なぜなら、人間はやったことがないことに対してはいくら考えても分からないからです。
日本の就活にミスマッチが起き続けている原因はここにあります。働いたことがないことに対して、自分が向いてるのか、向いていないのかなんて、いくら情報を集めた所で分かりません。

幸せ観の全ては経験からしか生まれません。
行動しない限りは何も視えてこないのです。
乱暴な言い方をすれば、「考える。動く。考える。」これの繰り返しです。もうこれが全てです。

■この時代に生を受けた者として、どう生きるべきか

 

生まれる時代や場所によって、人の人生は大きく左右されます。
とんでもない「宿命」を背負って生きている人が今の世の中にも大勢いるのです

「貧困」とは、選択肢が極端に狭められることです。

我々は、日本人として生まれただけで大吉を引いたようなものです。
これは有り難いこと。そう思うべきです。大きな格差があるのは十分承知の上で述べますが、日本に生まれたのであればいくらでもチャンスはあります。

せっかくこのような形で生を受けたのに、自分で人生のオールを握らないなんて、そんなバカな話はないと思います。

これがもし大昔だったら、「何も考えない」ことはむしろ幸せだったかもしれない。
なぜなら人類のほとんどの歴史を通して、人為的な力では、どうにもならないことがあまりにも多かったからです。

でも、今の時代はそうじゃない。

チャンスは、見ようとしてないだけで山のように転がっていますし、実際に行きたいと思えばそこに通ずる道は存在している。

こんな多様で面白い時代だからこそ、可能性は無限に広がっていくと信じています。なんでもできますよ。

生きたいように生きなければ、命がもったいないです。

逆に言えば、
これからの時代は、幸せの価値観を何も考えない人は、人間としての生命力を失っていくかもしれません。

世の中は、どんどん便利で快適な方向へ進化しています。
経済、つまりビジネスの本質というのは、「人間の欲求に迎合していくこと」だからです。
資本主義に乗る限り、基本的に人間が欲しがるものは何もかも満たされていきます。

次世代を席巻するであろう技術、IOT、ロボット、AI、これらはパンドラの箱であって、たとえ倫理観を置き去りにしたとしても急激に進んでいくでしょう。

一時的な代償となるのは、”人間らしさ”かもしれません。
それが意味するのは、「極限までダラダラして何も考えずに生きることが容易になる世界」が、到来しつつあるかもしれないということです。

それは、もはや人間と言えるのでしょうか?ただ存在しているだけならば、それはただの肉塊ではないでしょうか。

だからこそ、今の時代に求めるべきは自分の価値観であり、しあわせを考えるということなのだと思います。
最後に繰り返しとなりますが、

「生き方は”選択”できる。人生のオールは自分の手で握り、自分の意志で漕いでいけ」

一人一人がそうなれば、世の中はきっと美しい世界になると思っています。