多様性時代には、集団学習よりも個別学習を選べ

こんにちは、石川大貴です。

今日は、最近僕がプログラミングの家庭教師をしている理由について書いていきます。

僕がなぜプログラミング家庭教師をしているのかという理由ですが、
一番は「好きだから」の一言に尽きます。今は、正直自由なことをしているだけですね笑

web系の仕事はずっとしていましたが、プログラミング自体を覚えたのはごく最近のことです。プログラミング自体も好きですし、子供に教えるのも楽しいので、趣味みたいな感じでやっています。

生徒の反応が見えて、目の前の子供の成長を見守ることができるのは、もうシンプルに楽しいですね。

マンツーマンなので、その子供によって教える内容や教え方も変えながらやっています。

勉強や習い事系はなんでもそうですが、習う方法として「個別学習」か「集団学習」かという選択肢があります。

僕の場合は家庭教師ということで個別指導の形でやっています。

実際に自分でやってみてよく分かりましたが、「効率」という観点だけでみると個別指導、しかも、生徒のご自宅まで訪問して直接マンツーマンで教える対面式の家庭教師スタイルはめちゃくちゃ効率が悪いです。

1件稼働するだけでも、まあまあ時間と手間がかかります。おまけに個別カスタマイズなので、準備も毎回かかりますし、行き帰りの時間もかかりますからね〜。いや〜、、、なんて非効率。でもまあだから良いんです。直に会ってレッスンする方がなんか人間味があって僕は好きです。

もし仮に、この家庭教師だけでお金を稼ごうと思ったら勝手が変わると思います。

何件も受け入れをして過密に忙しく稼働するか、1件あたりの単価を大きく上げていかないと成り立たないでしょう。準備にしても、そう1件1件個別に用意するよりも、できるだけ統一化して使いまわせるものばかりを用意しておく方が合理的です。

幸いなことに、僕の場合は一応メシの種が別にあるので、これでお金を稼ぐ気は全くありません。これに関しては、好きだからやってるだけです。

なので、マイペースに楽しく没頭できる範囲に調整しながらやっています。

そして、なぜ個別指導を選んだのかの理由ですが、それは「子供により影響を与えられる形だと思うから」です。

教える内容を個別にカスタマイズできるのもそうですし、もっと言えば、直接会って教える、親や学校の先生以外の大人と密に触れられる経験というのも子供にとっては大きいじゃないかなと思いながら、普段接しています。

だから、プログラミングの内容は当たり前ですけども、レッスン中の言葉遣いとか雑談とか立ち振る舞いとか、そういうことも大切にしています。個別指導の良さがここにありますね。すごい非効率だけど、体温があるというか。

■「集団学習」と「個別学習」

実は教えている生徒さんの中には、プログラミング教室に通っていたのちに、僕の個人レッスンを受けた小学生もいます。

「プログラミング教室」というのは集団で学習する形式です。

一番最初の個別レッスンでその子を見た時に、確かにパソコンの使い方も慣れているし、プログラミングの内容も色々と知ってはいました。賢いな〜という印象でした。

ですが、1年間通われていたそうですが、その割には「自分でできる」ところまで理解し切れていないかもな??という感じがありました。

試しに、即興でとても簡単なプログラムの問題を自分で書かせてみたところ、正解までたどり着けませんでした。

逆に小難しい技まで覚えている分、自分が知っているいろいろなパーツを組み合わせてしまって、正しく動くプログラムが作れなかったわけです。

まっさらな状態で、イチから自分の頭で論理的に考えていけば、すぐにできるプログラムなのにです。

付け加えておきますが、そのプログラミング教室は有名どころです。お世辞抜きにしても、内容も制度もしっかりしていると思います。さらに、その子自身もプログラミングの素質は高く、理解力や集中力も間違いなく高いタイプです。

なぜこんなことが起きるかといえば、やはり、「集団学習」と「個別学習」の性質の違いだと僕は思っています。

この集団学習か個別学習かという点は、教育に関してはとても重要な要素ですので、親としても先生としてもよく理解しておくと良いかと思います。

プログラミングの場合は特にそうですが、積み上げ方式で1つ1つ学んでいかないと前に進めなくなります。最初は特にそうです。

集団学習では、先生1に対して生徒が8人とかになりますから、どうしても、カバーし切れない部分は出てきます。

プログラミングは、必ずどこかでつまずきます。理解できない、分からない部分が出てきます。それも、個人によってその場所は異なります。

いくら全体でスピードを合わせるといっても、限られた時間内のなかで、今日はここまで進めるというカリキュラムがあるのであれば、「正解を見せる」ことが必ず必要になるはずです。先生としては、それが一番簡単に進められますので。

もし生徒のためと思って、誰かがつまずく度に、その都度ぜーんぶ個別に一緒に考えて、解決しながらやっていたら、多分1時間で全然進まずに終わるでしょう。それはそれで問題ですよね。集団授業が成立していません。

生徒にとっては正解のプログラムが見えれば、とりあえず先生が言う通りに同じプラグラムを組めば意図通りに動くわけですから、楽しい!できた!という状態にはなります。「なぜそうなるかはよく分からないんだけど、その通りに動くから良いか」という感じで授業が終わります。

毎回それが続いていたら、興味や好奇心などは満たされるかもしれませんが、本当の力は実は積み上がっていない、なんてことは普通にありそうです。

これは、誰かが悪いというより構造的な問題です。

集団授業では、抜きん出た才能や個性というのは邪魔になります。

いちいち合わせていたら、全体が前に進みませんからね。誰か1人を不平等に満足させると、他の39人を我慢させることになり、これは先生としては失格になるわけです。集団学習というのは、そういうバーターシステムになっている。

だから、扱う内容も、扱うレベルも、画一的な方へ均質的な方へと自然と向かっていく。そういう宿命にあります。

集団学習は、効率がよく、平等である。だけど、個性は殺してしまう。それが特徴です。

先生が悪いとか、学校が悪いとか、そういう話ではなくこれはシステムの問題です。
学校の先生とかも、きっとたくさんの制約の中でどこか「もやもや」を心に抱えながらも、余裕がない中で生徒の教育に当たっているんだろうなと想像します。現場は大変でしょうね。

まあ、集団は集団で、良さもたくさんありますし、逆に集団でなければできないことだってたくさんありますので、僕は役割の違いなのかなとは思っていますが。

教える先生側としても、また習い事を受けさせる親としても、この「集団か個別か」はシチュエーションによってよく吟味されると良いかと思います。

今日は「僕が最近プログラミングの家庭教師をしている理由」という内容でした。またね〜。

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