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子供にプログラミングを教える時に気をつけている〇〇のこと

こんにちは。石川大貴です。

今日は、プログラミング教育に関するお話です。

どちらかと言えば、教える先生側寄りのお話です。
ですが、子供に習い事をさせたい考えている親御さんにとってもどこか参考になるかもしれません。

僕は最近、小中高生向けにプログラミングの家庭教師をしています。

僕の場合は、この仕事で食っていこうと思っているわけではなく、ただ好きでやっているだけですので、個別指導の家庭教師というスタイルでマイペースにやっています。

対面のマンツーマン家庭教師なので非常に効率が悪いのは難点ですが、そのぶん目の前の子供の成長を見守ることができる個別スタイルなので、毎回教える僕自身も楽しくさせていただいています。

子供にプログラミングを教えている中でいくつか思ったことがあるので、まとめておきます。
さて、それではいきなり本題に入っていきます。

■できない子はいない。できる分野とできない分野があるだけだ

小学生であっても、もう子供によって能力差は全然違います。これは、認めたくないかもしれませんが、紛れもない事実だと思います。実際に教えていて、如実に感じます。
(そしてこれはただの予想ですが、おそらく東京などの都市圏ほど能力差が大きいんだろうなと思います)

ただし、いわゆる「できない子」というのはいない。と僕はそう思っています。このマインドは大事です。

確かに、「理解が悪い」「なかなか覚えられない」「進みが遅い」などの事象はあることにはあるのですが、それら多くの場合は、突き詰めて言ってしまえば単なる「集中力」の問題だと思っています。言い換えると「向き不向き」「好き嫌い」の問題ともいえます。

以前なんかのテレビ番組で(ダーツの旅だったかな・・)田舎の小学生にインタビューしたのがありました。
インタビューした子供たちの中に、「引き算が苦手」という男の子がいたのですが、彼は本当に引き算ができなかったんですよね。スタッフが引き算の問題を出しても、答えられない。

それが今度は、スタッフが機転を聞かせてその男の子が好きだという「戦車」に掛けて問題を出しました。

「戦場に8台の戦車がいました。そこから3台の戦車がいなくなりました。さて、今残っているのは何台?」

すると、男の子は即答で「5台!」と当てました。

同じ容量で、今度は難しい二桁の引き算を戦車で出してみたら、男の子は「ん〜ん〜」と考えつつも、正解を出したんですよね。
この問題には周りにいた小学生も悩んでいたから、一瞬にしてこの男の子は「できる」側になってしまった。

これも、結局は「集中力」の問題だと思います。

子供というのは、教えている側が思っている以上に集中していない(話を全然聞いていない笑)時が往々にしてあります。集中していない時は、マジで話を聞いてません。マンツーマンですらそうなんですから、集団授業になればもっとそうでしょうね。

少し話がそれますが、「人の話を聞ける子」というのはそれだけで優秀だと思います。
話が聞けない子は本当に多い。

だから、まず1つ言えることは「集中力」のコントロールがめちゃくちゃ重要です。

では、「集中力」を高めるために何をしたら良いのか。
オーソドックスではありますが、ポイントを3つ挙げます。

■興味分野を見極める。好きなことを掛ける

1つ目は、興味のあること、好きなことを掛けることです。

例えば、プログラミングを学ぶ場合にしても、実は分野はいろいろあります。

「スクラッチ」を教えるのか、「HTML・CSS」を教えるのか、「javascript」を教えるのか。
ひとえに、プログラミングといっても、方向性は様々です。

受験勉強やテスト勉強など、何か近い将来に得られる利益のためにいま我慢してでもやらなければいけないこと、避けることがどうしてもできないことであれば、興味があろうがなかろうが取り組む。そういうことも人生においては時に必要でしょう。

しかし、プログラミング教育に関してはその類いではありません。
まずやってみて、トライしてみて、好きなんだったらやればいいし、嫌いなんだったらやらなくて良いと思っています。やるにしても、まず興味を持てるところから始めれば良いのです。

「できることが増えていくのが面白いな」とそう素直に思えることからやれば良いと思っています。

ですので、そもそも「何を教えるのか」自体もその子供の好き嫌いによって僕は変えています。

小学生だから。中学生だから。頭が良い悪いとか、勉強ができるできないとか。そういう区切りは無意味です。テストの点数とか偏差値なんて関係ない。そんな固定概念で分けるのではなく、「興味が持てるか持てないか」だけを基準にして、何を教えるのかを決めています。

スクラッチが面白いと思う子にはそれを中心に教えていく。
HTML、cssなどのプログラミング言語に楽しく取り組める子には、それを中心に教えていく。といった具合です。

そして、さらに「それにできるだけ好きなことを掛ける」コンテンツにしていくこともやっています。

例えば、スクラッチを教える場合でも、野球をやっている小学生なのであれば、まずは野球の簡単なミニゲームを一緒に作ったり、ナルトに興味があるのならばナルトのキャラクターを使って動くプログラムを一緒に作る。といった具合です。

要するに、その子の興味分野、好きなことに寄せていくのです。
これで集中力は格段に変わります。

まあ、個別指導だからこそできるスタイルではあります。

個別カスタマイズというのはどこまで行っても、労働集約的な仕事になりますので、余裕のない現場の場合は難しいのでしょうが、本来ならば教育はこうあるべきだと僕は考えています。

多様性の裾野がますます広がっている現代では、尚更です。

■難易度を合わせる

2つ目も、個別指導だからこそできることですが、シンプルにその子の力と教える内容の難易度を合わせることです。

これは、基本中の基本なんですが、意外とバランス感覚が必要でもあり、とても重要なことです。

子供が「集中力を失う」原因はさまざまあると思いますが、多くの場合は「難易度が合っていないから」だと思います。

そもそも興味がある / ない、というのももちろん大きい要素ですが、たとえ興味があることでも、今の自分のレベルと、扱う問題の難易度が離れていると人は集中力を失います。そして、(本当はそれが興味の持てる内容かもしれないのに)その教科に興味がなくなり、やがて嫌いになります。

これは、大きい機会損失です。とてももったいない。

単純に、「難易度を合わせてあげる」だけで、その子の集中力が上がり、ひいては興味を持ち始める場合は多いんじゃないかと思います。プログラミングだけじゃなくて、他のことなんでも言えると思いますが。

どうしても子供は集団で学習する機会が多いはずですので、この「難易度が合っていないから」という原因で、消極的になってしまうことはとてももったいな〜なんて個人的には思っています。

ですので、その子の今のレベルをよく観察して難易度を合わせる。これは強く意識したほうがいいです。

ちなみに、この点をもう少し掘り下げると「難易度を合わせる」とはもっと具体的にいうと「すでにできることを解かせつつ、今の実力よりギリギリ上のこともやらせる」という意味です。
つまり、興味と自信を持たせる機会を与えながら、負荷もかけなさいということです。

これは大人も一緒ですが、すでにできることばかりやらせていても成長はありません。
今できないギリギリのことをやらせないと人は伸びません。しかし、扱うレベルがあまりに難しいとやる気を失います。

ですので、できるかできないかギリギリのところを狙ったレベルの内容に挑戦させます。
簡単にはできないけど、頑張ったら、粘ったらギリギリできそう。そういう内容です。

学校ではこういう経験もあまりできないと思うので、良い訓練にもなるでしょう。

ただし、例外として「興味を持たせる・集中力をあげる」ことをまず第一の目的とする場合があり、その時はあえて「できる問題」ばかりをやらせたりもします。これは、自信を付けさせて楽しくさせるためです。

子供の性格やタイミングなども考慮しながら、「できること」と「できないこと」のバランスを取っていくことが重要です。

■集中力をそぐ環境は改善する

話を元に戻します。集中力を高める3つ目のポイントは「環境」です。

集中できる/できないは、その子の能力うんぬんの問題だけでなく、環境も非常に大きいです。

中でも一番影響する要素だけ一つ挙げるとズバリ「スマホ」ですね。

東京ですと中学生以上はほぼ持っているという現状かと思います。

最近アメリカで麻薬中毒などを研究している研究者が本を出しました。
スマホというのは、誕生したのが2006年ぐらい?ですので、まだたかだか15年ぐらいの歴史しかありません。

仮に2006年に生まれた子供は、生まれた時からスマホが存在していて、今は14歳前後ということになります。

スマホにはもちろんたくさんのメリットがあるわけですが、子供時代からデジタル機器を持つことに関してどんな悪影響があるのか?それがいま研究されています。

例えば、これは大人が対象の実験なのですが、
スマホというのはただ横に置いてあるだけ、カフェで相手と向かい合って話をしている時、机の上にスマホが置いてある、ただそれだけで会話の質がぐんと下がるんだそうです。

スマホが目線に入っているだけで、無意識的に気になってしまう。これは抗えない本能的なものなのでしょう。スマホが「目の前にいる相手との良好な人間関係」を築くことの妨げになりうることが実験でわかっています。

僕も教えていて、これには完璧に同意します。

家庭教師でレッスンをしている時、横にスマホを置いている生徒さんも多いのですが、100%気がそれます。LINEでブーっと音がなる。休憩時間や、少し手が空いたらさっとスマホを手に取り通知を見る。その子がどうこうではなく、人間にはこういう性質がある、というレベルの話です。

ですので、僕の場合は、スマホは禁止までにはしていませんが、あえて子供が一緒にいる目の前で、親御さんに上記のお話を伝えします。その後どうするかは、親御さんのご判断に完全に委ねますが、まあ知っておくと人生損をする機会が減るんじゃないのかな〜とは思っています。

もちろん「スマホ」だけではなく、「ただそこにあるだけで集中力を削ぐもの」というのはたくさん身の回りにあるはずです。

それらを排除していくだけで、環境は整っていき集中力は格段に上がりますのでぜひ実行してください。

■ビジュアルプログミング「スクラッチ」はやって意味あるの?

次はトピックが変わりまして、少しエンジニア向けのお話になるかもしれません。

僕は家庭教師を始めた当初、本格的なプログラミング言語(真っ黒な画面に文字をカタカタ打ってプログラムしていくやつです)を教えていました。

その後、お客さんから要望が多かったのでスクラッチも教え始めました。

最初は、スクラッチはあくまで練習、勉強のための勉強というぐらいに(ある意味バカにして)思っていたのですが、実際に教えているとそうではないことがわかります。

スクラッチというのは、本質的には「ストレスポイントを削ぎ落としたプログラミング教材」と言えると思います。どういうことか説明します。

「ストレスポイント」と僕が呼んでいるのは、子供が集中力を落としてしまう、わからなくて、できなくてストレスを感じてしまう、そういうポイントのことです。

もちろん難しい問題を扱って、それが解けないこともストレスポイントになり得ますし、例えば、パソコン画面端っこの方でドラック&ドロップがうまくできない(これ意外でしょうが、子供に多いです)などもストレスポイントの一つになります。

このストレスポイントというのは、適度にあるのであれば良いのですが、あまりにストレスが多すぎると子供は集中力を落とします。我慢してやり切る力が高い子はそう多くないですから、子供の場合は特に気を付けねばなりません。

そして、スクラッチとは、「余計な部分を全部削ぎ落として、思考力(プログラムを組むこと)だけに集中できるもの」だと僕は捉えています。だから、ビジュアル(文字を打つのではなくブロックを使って)でプログラミングなんです。

ここでいう「余計な部分」とは、「プログラミング言語を書く」という行為です。

一応付け加えておきますが、でも本来はそれが「プログラミング」ではあるんですよ。

スクラッチを使って実際の仕事しているのは、教育関係者だけです。
つまり、スクラッチはあくまで学習教材であり、実際に世の中で働いているエンジニアは何かしらのプログラミング言語を書いて仕事をしています。もちろん、将来本当に働くのであれば、プログラミング言語は覚えなきゃいけません。スクラッチじゃ現実のものは何も作れません。

しかし、「プログラミング的な訓練をすること」つまり、あくまで「論理的な思考力を鍛えること」が目的なのであれば、プログラミング言語を覚えることは全部余計なんですよね。書き方のお作法とか、どんなメソッドがあるだとか、そんなことは全部必要ない。

ですので、思考力を鍛える場合には、むしろスクラッチの方が上です。

下手にプログラミング言語を教えて、最初のとっつきにくい書き方のお作法とか、覚えなきゃいけないことの多さとか、それで嫌になる子もいます。

それよりも、視覚的にできるビジュアルプログラミングで「考える」訓練が楽しくできるのならばそちらを使ったほうがいいと僕は思っています。

■何のために教えているのか?

僕は、プログラミングを教えるのは、「子供の将来を広げるため」だと思っています。

そこが、本質です。

教育には、「コンテンツ」と「トレーニング」という二つの側面があります。

ぶっちゃけ「コンテンツ」としてのプログラミングなんてどうでもいいんです。

将来本気でやりたくなったのならば、自分で勉強していけばいいですし、逆に今たとえ有用なプログラミング技術を身につけたところで、10年後は結局また新しい技術を学ばなければいけなくなります。いまの世の中では、同じ労働であればその労働の価値はだんだんと下がっていきますので。

ですので、大事なのはむしろ「トレーニング」の方です。

そして、「トレーニング」の観点で大事なことが何点かあると思っていますので挙げていきます。

■「作る側に回る」その体験をする

プログラミングとは、何かを生み出す行為に他なりません。

ぼくたちの身の回りには、プログラミングによってできているものでありふれています。

お店でよく見かけるようになったペッパーくんや、お掃除ロボットのルンバなどもそうですし、もっと身近な炊飯器や電気のon/offのスイッチ、今見ているこのwebページなどもプログラミングが使われています。

普段私たちは、これらを「使う側」でしかないので、それが一体どのようにしてできているかを意識することはないでしょう。

しかし、それらは確実に誰かの手によって作られています。誰かが作ってくれたモノによって私たちの生活は豊かで、成り立っています。

日本における教育とは、何かと「受け取る」ことが多いものであるとぼくは思っていますが、ここに質的な転換をもたらせるのがプログラミングの醍醐味の一つです。

消費するんじゃなくて、作る側に回る。何かを生み出す。自分で組み立てていって、アウトプットを作る。

今の学校教育では「受け取る」ことのほうが圧倒的に多いでしょう。何かを生み出す、作るという経験は少ないんじゃないかと思います。

しかし、世の中に出た後、社会に出た後に大事になってくるのは、こうした「作る」ことです。

特にこれからの時代はもっとその色が強くなってくるでしょう。人に言われたことだけやる人間では、働いていくことも「メシを食うためだけ」と割り切って「つらい」と感じるかもしれません。

「作る側」に回ることができれば、人生を面白く、楽しく生きていくことができるかもしれない。

別の言葉で言えば、「自主性」です。
「受け身」でいるのではなく「自主的」になること。そういう自主学習をする。

学校時代から、こういう体験を刷り込んでいくことは非常に大きな財産になると僕は信じています。

■失敗を良しとする。何度も試した先に、できるようになる

「むしろ、たくさん失敗した方がいい。」これもプログラミングによって磨ける大きな姿勢です。

プログラミングの世界では最初から正しいプログラムを作ることはできません。
まず作ってみて、実際にどうなるか動かしてみて、意図と違ければどこに原因があるのかを探して、また考えて直す、そしてまた動かしてみる。

こういう試行錯誤の連続の世界です。むしろ、たくさん間違った者が遠くに行ける世界です。

今の世の中、トライ&エラーを繰り返せる人材の方が生命力は高いと思います。

そして、これも学校ではなかなか「失敗しろ」という文化はない気がします。(そういう学校なのだすれば、良い学校ですね)

いきなり100%の完成度を目指すのでなく、とりあえずやってみる。作り始めてみる。手足を動かしてみる。1%でも2%の進捗でも良いからまずやってみる。

そうして、粘って粘ってコツコツやっていくと、完成度が10%になり20%になり、50%になり、100%の完成度に近づいていく。

これは大人になってから、実際の仕事で行うプロセスに等しいと思っているので、そういう体験を今のうちからできることも大きいと思います。

できなかったことができるようになる。わからなかったことがわかるようになる。こういう経験は好奇心を刺激して面白いものです。

■できるだけ「教えない」こと

先生としては、「失敗をさせる」ために重要なことがあります。

それは、「あまり教えない」ことです。

人にもの教える先生や講師という立場はどうしても教えたがりますし、色々と教えることで変な話安心感が(自分のほうに)生まれたりします。

ただそれで満足していてはダメだなと僕はいつも思っています。

教えるのではなく、一緒に肩を並べて、一緒に考える、一緒に悩む、一緒に学んでいく。それでいいのではないかと思います。

(だから、僕もよく「ん〜わかんないなー。できないなー」なんてことを、生徒の隣でよくつぶやいています笑)

むしろ、できるだけ教えない方がいい。というかその方が難しいんです。教えるのは簡単です。

例えば、生徒が間違いであるプログラムを組み始めた時、もちろんこちらとしては先がある程度読めるので、「そのやり方でいくと多分うまくいかないよ」というのはわかります。

そして、その時点で方向修正をして、正解へと教えていくのは絶対にやっちゃダメです。

これは、「失敗を摘み取る行為」です。その子の可能性を潰すとすら思います。

とにかく自由にやらせてみる。自分のやり方、自分の思う方法でやらせてみる。何かやろうとしているときには先生は見守る。この姿勢が大事です。

だから、僕のレッスンでも例え扱うカリキュラムが同じだとしても、生徒によって途中のプロセスは異なっています。違うものができることもあります。

でも、それでいいんです。その子のやり方、その子の特徴を尊重する。
「自主性」を持って進めて、自分で間違いに「気づく」ことも1番の学びになります。

そういう可能性は、先回りして潰しちゃいけない。

ただし例外として、学びはじめの初心者の時などにはある程度のことは教えてあげる必要があるでしょう。

何も知らない初期の状態では、当然「はい、どうぞ。自分でやってみて」といったところで「何をしたらいいのかさっぱりわからない」という状態になりますから、ある程度の武器は与えてあげる必要があります。

何事もそうですが、ある程度の道具があり、武器があり、基礎があって、そこからやっと自分で動き始めたり、思考ができたり、応用ができたり、オリジナリティーが生まれたりするのです。

ですので、「教えなきゃいけない部分」と「教えずに見守る部分」の範囲を自分で考えながら指導していくのが良いのではないかと思います。

そして、そもそもプログラミングにおいては、正解は一つではありません。

「正解はひとつじゃない。いろんなやり方があるよ」ということは、レッスン中も僕も口をすっぱくして繰り返し言います。

学校の勉強は基本的にテストに向かってやりますし、最終ゴールは「受験」ということになりますから、どうしても正解があり、それを学んでいくというスタイルです。

しかし社会では、正解が見えなくて自分で見つけていかなくちゃいけないし、やり方も一つではありません。それが大人になってからの仕事です。厳しい世界です。

そういう経験もプログラミングを通してできることは大きな糧になるでしょう。

■「いま学んでいること」と「現実世界」をつなげる

これも大事な視点です。僕はレッスンの節々でたまに脱線した世間話をチラッと入れます。

例えば、今日Aという内容を勉強したのだとしたら、Aという技術は身の回りのこんなことに使われているよ、Aという技術を使ってこんな仕事をしている人がいるよ、いくらぐらいお金になるよ、などです。

できるだけ学習と現実世界のリアルを繋げていく作業を意識します。

こうすることで、「自我に目覚めさせること」にもつながるのかななんて思っています。

教えているのはあくまでプログラミングという一つの世界、しかもそのほんの一部でしかありませんが、いま学んでいることと現実世界がつながり始めると、「外の世界」につながると良いなと期待しています。

子供というのは、通常接する大人は親と学校の先生ぐらいでしょう。
そこに親でも先生でもない、僕のような人間が話をする機会というのは手前味噌ですが、影響があるのだろうなと思いながらやっています。

「社会にでたら、こうして働くのか」
「この技術が、世の中のこんなことに使われているのか」

こういったことがリンクしはじめると、他のことにも興味を持ち始め、ゆくゆくは「自分は何をしたいのか」といったことを考えてくれるようになったら嬉しいですね。

学校という世界は、とにかく狭い宇宙の中です。
でも実際の世の中はとてつもなく広い。

社会に出てから、いろんなことを知り、自分の興味を探るのではなく、今のうちから、「世の中ってこうなってるんだ」「あ、面白そうだな / つまらなそうだな」「自分は何が好きで何が好きじゃないか、それがよく分かった」とか、そういう感性を育てることが大切だと思います。

以上、かなり長くなりました、今日はおしまいです。

結局は、教えるに当たって大事なのは本質を忘れない、ってことなのかなと思います。

未来の可能性を広げようと思ったら、個々が持ってる原石を見つけて、信じて、伸ばす方法を考えて実行してみる。外の世界も見せてあげて、新しい視点を与えてあげる。

そんなことを試行錯誤しながら、僕も探っているところです。

多様性時代には、集団学習よりも個別学習を選べ

こんにちは、石川大貴です。

今日は、最近僕がプログラミングの家庭教師をしている理由について書いていきます。

僕がなぜプログラミング家庭教師をしているのかという理由ですが、
一番は「好きだから」の一言に尽きます。今は、正直自由なことをしているだけですね笑

web系の仕事はずっとしていましたが、プログラミング自体を覚えたのはごく最近のことです。プログラミング自体も好きですし、子供に教えるのも楽しいので、趣味みたいな感じでやっています。

生徒の反応が見えて、目の前の子供の成長を見守ることができるのは、もうシンプルに楽しいですね。

マンツーマンなので、その子供によって教える内容や教え方も変えながらやっています。

勉強や習い事系はなんでもそうですが、習う方法として「個別学習」か「集団学習」かという選択肢があります。

僕の場合は家庭教師ということで個別指導の形でやっています。

実際に自分でやってみてよく分かりましたが、「効率」という観点だけでみると個別指導、しかも、生徒のご自宅まで訪問して直接マンツーマンで教える対面式の家庭教師スタイルはめちゃくちゃ効率が悪いです。

1件稼働するだけでも、まあまあ時間と手間がかかります。おまけに個別カスタマイズなので、準備も毎回かかりますし、行き帰りの時間もかかりますからね〜。いや〜、、、なんて非効率。でもまあだから良いんです。直に会ってレッスンする方がなんか人間味があって僕は好きです。

もし仮に、この家庭教師だけでお金を稼ごうと思ったら勝手が変わると思います。

何件も受け入れをして過密に忙しく稼働するか、1件あたりの単価を大きく上げていかないと成り立たないでしょう。準備にしても、そう1件1件個別に用意するよりも、できるだけ統一化して使いまわせるものばかりを用意しておく方が合理的です。

幸いなことに、僕の場合は一応メシの種が別にあるので、これでお金を稼ぐ気は全くありません。これに関しては、好きだからやってるだけです。

なので、マイペースに楽しく没頭できる範囲に調整しながらやっています。

そして、なぜ個別指導を選んだのかの理由ですが、それは「子供により影響を与えられる形だと思うから」です。

教える内容を個別にカスタマイズできるのもそうですし、もっと言えば、直接会って教える、親や学校の先生以外の大人と密に触れられる経験というのも子供にとっては大きいじゃないかなと思いながら、普段接しています。

だから、プログラミングの内容は当たり前ですけども、レッスン中の言葉遣いとか雑談とか立ち振る舞いとか、そういうことも大切にしています。個別指導の良さがここにありますね。すごい非効率だけど、体温があるというか。

■「集団学習」と「個別学習」

実は教えている生徒さんの中には、プログラミング教室に通っていたのちに、僕の個人レッスンを受けた小学生もいます。

「プログラミング教室」というのは集団で学習する形式です。

一番最初の個別レッスンでその子を見た時に、確かにパソコンの使い方も慣れているし、プログラミングの内容も色々と知ってはいました。賢いな〜という印象でした。

ですが、1年間通われていたそうですが、その割には「自分でできる」ところまで理解し切れていないかもな??という感じがありました。

試しに、即興でとても簡単なプログラムの問題を自分で書かせてみたところ、正解までたどり着けませんでした。

逆に小難しい技まで覚えている分、自分が知っているいろいろなパーツを組み合わせてしまって、正しく動くプログラムが作れなかったわけです。

まっさらな状態で、イチから自分の頭で論理的に考えていけば、すぐにできるプログラムなのにです。

付け加えておきますが、そのプログラミング教室は有名どころです。お世辞抜きにしても、内容も制度もしっかりしていると思います。さらに、その子自身もプログラミングの素質は高く、理解力や集中力も間違いなく高いタイプです。

なぜこんなことが起きるかといえば、やはり、「集団学習」と「個別学習」の性質の違いだと僕は思っています。

この集団学習か個別学習かという点は、教育に関してはとても重要な要素ですので、親としても先生としてもよく理解しておくと良いかと思います。

プログラミングの場合は特にそうですが、積み上げ方式で1つ1つ学んでいかないと前に進めなくなります。最初は特にそうです。

集団学習では、先生1に対して生徒が8人とかになりますから、どうしても、カバーし切れない部分は出てきます。

プログラミングは、必ずどこかでつまずきます。理解できない、分からない部分が出てきます。それも、個人によってその場所は異なります。

いくら全体でスピードを合わせるといっても、限られた時間内のなかで、今日はここまで進めるというカリキュラムがあるのであれば、「正解を見せる」ことが必ず必要になるはずです。先生としては、それが一番簡単に進められますので。

もし生徒のためと思って、誰かがつまずく度に、その都度ぜーんぶ個別に一緒に考えて、解決しながらやっていたら、多分1時間で全然進まずに終わるでしょう。それはそれで問題ですよね。集団授業が成立していません。

生徒にとっては正解のプログラムが見えれば、とりあえず先生が言う通りに同じプラグラムを組めば意図通りに動くわけですから、楽しい!できた!という状態にはなります。「なぜそうなるかはよく分からないんだけど、その通りに動くから良いか」という感じで授業が終わります。

毎回それが続いていたら、興味や好奇心などは満たされるかもしれませんが、本当の力は実は積み上がっていない、なんてことは普通にありそうです。

これは、誰かが悪いというより構造的な問題です。

集団授業では、抜きん出た才能や個性というのは邪魔になります。

いちいち合わせていたら、全体が前に進みませんからね。誰か1人を不平等に満足させると、他の39人を我慢させることになり、これは先生としては失格になるわけです。集団学習というのは、そういうバーターシステムになっている。

だから、扱う内容も、扱うレベルも、画一的な方へ均質的な方へと自然と向かっていく。そういう宿命にあります。

集団学習は、効率がよく、平等である。だけど、個性は殺してしまう。それが特徴です。

先生が悪いとか、学校が悪いとか、そういう話ではなくこれはシステムの問題です。
学校の先生とかも、きっとたくさんの制約の中でどこか「もやもや」を心に抱えながらも、余裕がない中で生徒の教育に当たっているんだろうなと想像します。現場は大変でしょうね。

まあ、集団は集団で、良さもたくさんありますし、逆に集団でなければできないことだってたくさんありますので、僕は役割の違いなのかなとは思っていますが。

教える先生側としても、また習い事を受けさせる親としても、この「集団か個別か」はシチュエーションによってよく吟味されると良いかと思います。

今日は「僕が最近プログラミングの家庭教師をしている理由」という内容でした。またね〜。

プログラミング教育は将来使える力となるのか?

こんにちは。石川です。

2020年からプログラミング教育の導入が小学校で始まります。

気になっている方も多いのではないでしょうか?

僕は、プログラミングを2018年に初めてからwebサービスを自分で作れるようになりました。

これまでいろんなことに手を出して勉強してきましたが、中でもプログラミングは当たりだなと思っています。

挫折してきたものが多くある中でも、プログラミングをしてる時間はすごく没入できて、楽しく続けられています。

当記事は、「プログラミング知らないけど興味あるという方」や「自分の子どもにプログラミングをやらせるかどうか悩んでいる方」に向けて書いていきます。

なぜプログラミングは面白いのか?

不思議に思ったので考えてみました。

結論から言います。

「プログラミングは、分からないことが次々と襲うけど頑張れば解決できる」

多分これが1番の面白さだと思います。

僕はまだまだペーペーのエンジニアです。

周りのプログラミング学習者と比べて、深い所まで突っ込んで勉強まではできていません。

僕の場合はトップエンジニアになりたいわけではなく、経営者(事業を作る人)として力をつけていきたいので、プログラミングしてる時間はかなり少ない方です。

それでも、分からないことは次々と襲って来ます。

「あれ、これってどうやったら実現できるんだろう?」

「ん?ネットにある記事を読んでも仕組みが理解できない!」

「えー、これで上手く行くはずなのに、なぜか思い通りに動いてくれない!」

最高ですよねこれ。

プログラミングをやっていると、どれだけ勉強して進んでいってもこういった「詰まる」経験はなくなりません。

挑戦して、調べて、考えて、やっとできる。(できないままの時もあるw)

これの繰り返しです。

永遠の勉強。それがプログラミングです。

プログラミングは、人の学習能力を上げる

そもそも教育には、「コンテンツ」と「トレーニング」という二つの側面があります。

プログラミングの場合は、「コンテンツ」としてはプログラミングスキルそのものですね。

webサイトを作れるようになったり、ロボットや機械を作れるようになったり、ゲームをつくれるようになったり、データを使って解析できるようになったり、色々できるようになります。

「トレーニング」としては、自己解決能力であったり、論理的思考であったり、集中力などが身につきます。

プログラミングの効用として、一番大きいのは「人の学習能力」をあげることだと考えています。

プログラミングに限らず、人生において「どれだけ分からないことに出会えるか」の多さで、人の成長は決まってきます。

分かる事ばかりやっている人は、当然成長が止まります。

心の安定は得られるかもしれませんが、負荷も変化もないので面白くありません。

つまらない人になります。

「どれだけ分からないことに出会えるか」という点において、プログラミングは恰好の教材だと思います。

ちょっとかじってみるとわかりますが、勉強していけばいくほど分からないことにぶつかります。

そして、有り難いのはプログラミングの場合、大体ネットで正解にたどり着けることです。

世界中の誰かが同じ問題にぶつかっていて、その解決プロセスをネット上に書いてくれているからです。

例えば、CSSというプログラミング言語をいじっていて、「あれ、ボタンの形を丸くしたいんだけどどうしたらいいのか分からない!」と思ったら、グーグルで「css ボタン まる」みたいな感じで検索すると正解が出てきます。

つまり、自分で問題にぶつかって、自分で調べながら、解決していくことができます。

これができるのが、プログラミングのとても大きな所です。

ちなみに、日本の学校教育では基本的に「問題も与えてもらって、正解も教えてもらう」形です。

少しずつ変わっている流れは感じられますが、まだまだ「先生1人が喋って、生徒25人が聞く」スタイルです。

だから、学校教育を普通に受けてきている私たちは、教えてもらうことに慣れてるので、プログラミング体験はきつい人もいるのかもしれません。

分からないことが出てきても逃げない。

答えを待たずに、自分で調べて、自分の頭で考えていく。

社会人になるまでそういう経験をしてない人は意外と多いんじゃないでしょうか?

プログラミングと世の中の仕組み

次に、「コンテンツ」としてのプログラミングを考えて見ます。

プログラミングは、将来を生き抜く武器になるのでしょうか?

一旦脱線して、経済の話をします。

世の中というは、生産者と消費者に分けられます。

ほとんど全ての大人は生産者であり、且つ消費者でもあります。

お肉屋さんで1kgのお肉を買う行為。これは消費です。

お肉屋さんがお肉を売る行為。これは生産です。

牛農家さんが牛を育てる行為、誰かが牛を殺してさばく行為、運送屋さんがお肉をお肉屋さんまで届ける行為。これらも生産です。

あなたの身の回りに在るモノを振り返って想像してみてください。

私たちの生活は、たくさんの生産活動によって成り立っています。

♪一息つきながら〜人はもっとはたらく〜、の世界観ですね。

今日買ったおにぎりも、スマホで読んだニュースも生産されたモノです。

その裏には、沢山の人の労働があります。

そしてプログラミングというのは、この「労働」を自動化して「機械」に置き換える行為です。

プログラミングは、「モノやコンピュータなどに自動で何かをさせる」ことです。

玄関脇のスイッチを押したら、チャイムが鳴る。

「O N」ボタンを押したら掃除機が動き出す。

今あなたが見ているこのページ、「タイトル」を押したらトップページに遷移する。

全部プログラミングです。

子どもがやっているゲームも、皆が使っているアプリも、家庭や仕事場で身の回りにある機械も、プログラミングがあって成り立っているモノはとても多いのです。

ものすごく乱暴な言い方をすれば、もしプログラミングがこの世から消えたら、身の回りのモノはほとんどなくなるはずです。

何が言いたいかというと、プログラミングができると生産活動ができる幅がグッと広がるということです。

つまり、プログラミングができるとお金を稼ぐことに繋がりやすいかもねという話です。

先ほど、世の中は生産活動と消費活動で成り立っていると言いました。

そして大抵の場合は、生産活動(つまり、労働)と引き換えに、対価としてお金を手にすることができます。

生産は消費されることとセットなので、人の役に立つものを生産するほど、手にするお金の額も大きくなりそうです。

子どもは、大人になるまで消費専門の存在と言えます。

「生産活動をするために準備をしている」とも言えますね。

プログラミングとは、何かを生み出すための技です。

近年AIに仕事を奪われると叫ばれていますが、プログラミングで一流まで突き抜ければAIを作る側(つまり、何かの生産活動を自動化するモノを作る側)にまわれる可能性はあります。

だから、消費者から生産者に脱皮するための大きな武器になるかもしれません。

プログラミングは、大衆化するのか?

2020年からプログラミングが必修科されます。

予定はこんな感じです(2018年時点の情報)

2020年度 小学校で必修化
2021年度 中学校で必修化
2022年度 高校で必修化
2024年度 大学入試

先述した通り、プログラミングは様々な生産活動を担うので、エンジニアは実需がとてもあると思います。

「エンジニアが足りない!」と悲鳴をあげている企業はたくさんあります。

これからの時代も、もっともっと増えるはずです。

しかし、プログラミングができれば安泰なのかと言えば、そうではないと思います。

仮にもし国民皆ができるようになったら、それは代替が効くということなので給料は上がりません。

プログラミングは、それほど学習コストが高くありません。(お金をそんなに払わずとも時間さえあれば誰でも学習できます)

ですので、みんなができるようになればコモディティになります。

給料としては、むしろ下がる可能性もあるのかなと思います。

これは単に需要と供給の問題です。

同じ質で働ける人がたくさんいるならば、高い賃金は出ません。

企業のインセンティブは稼ぐことなので、安いエンジニアがいたらそっちに流れるのは自然の摂理です。

労働プールが広がりチャンスが大衆化すると、賃金は上がりにくくなります。

さらにもっと言うと、今後はグローバルでの競争も起きます。

プログラミングのコードは、ユニバーサルなものなので、基本的には、日本人が書こうがベトナム人が書こうが変わりはありません。

ベトナム人やフィリピン人など、すでに優秀な人も少なからずいます。

経済成長率が高く勢いのある国は教育レベルも上がっていくので、良い人材はまだまだ増えていきます。

これまでは場所と言語という物理的な障壁によって守られてきましたが、何らかの形で、コミュニケーションの障壁が限りなく下がる日もそう遠くないでしょう。

もはや、国境はありません。

人件費の安い国の人と勝負したら、どうなりますか?という問いです。

それを考えていかなければいけません。

ここから何が言えるかと言うと、ただプログラミングができるだけではダメで、突き抜ける必要があるということです。

突き抜け方はいくつかあると思います。

①【量をこなす。早く始める】

単純な話ですが、効果は抜群だと思います。

その理由も単純で、コモディティになったとしても量をこなす人は少ないからです。

量をこなす人が少ないので、それだけで希少性が上がります。

希少性が上がると、他に代替が効かないので賃金も上がりやすくなります。

日本でプログラミングが必修になると言っても、「プログラミング」という科目ができるわけではありません。

ちゃんとコードが書ける人はほんの一部になるだろうなと想像しています。

あくまでこれはwebサービスの一例ですが、例えばよく皆さんがみているヤフーさんのサイト。

これらのwebサイトは全てこんな感じの文字列によって書かれています。

乱暴な言い方をすると、コードが書けるというのはそういうことです。

プログラミング教育が必修化されると言っても、「プログラミング」という教科ができて、プログラミングスキルをゴリゴリ教えるわけではありません。

「プログラミング的思考」に触れようねということです。

「プログラミング的思考」とは、「ゴールを設定して、どうやったらそのゴールまで達成できるのかのプロセスを論理的に組み立てる力」です。

まあ思い切りの悪い日本のことなので、プログラミング教育は中途半端になるんじゃないかな〜と個人的には思っています。

実際、英語は6年間やってもあのレベルですからね。

「英語」はコンテンツとしてもすごく実用的なものだと思いますが、学校教育の英語科目は「実学」には程遠いわけです。

僕は東京外大に入っているのですが、入学時はほとんど喋れませんでした。

今はどうなのか分かりませんが、外大にも英語が喋れない人は普通にいっぱいいました。

いわば、試験を通ることがどういうことを意味するのかを端的に表している例だと思います。

学校の勉強だけを一生懸命しても喋れるようにはならないってことです。

ちなみに、プログラミング教育ではイスラエルなんかがすごくて、義務教育でC+とC++(言語の一つ)をやったりして、兵役とかで皆python(言語の一つ)を勉強したりするわけです。

もう敵うわけないですよね笑。

世界的には、そんな人たちがゴロゴロいます。

話を戻しますが、日本でプログラミングスキルが大衆化したとしても、やはり質の高いエンジニアはめちゃくちゃ求められます。

今も正確に言うと、「質の高い」エンジニアがいなくて企業は困っているわけです。

そういう人材にはきちんとお金を払います。

時間をかけて真剣に戦い続けて、積み上げているエンジニアさんはやっぱり次元が違うんだろうなと感じてます。

プログラミングは、かけた時間とスキル技量が比例するものです。

努力した人が報われる世界だと思います。

Facebookを作ったマークザッカーバーグも12歳の時からプログラミングの家庭教師をつけていたのは有名な話です。(この方は天才なので比較にならないかもだけどね)

結論として、悩んでいるならば、早く始めてみた方が絶対に有利です。

自分も子どもには、出来るだけ早い段階で触れる機会は作りたいと思っています。

②【有望な言語に挑戦する】

「プログラミング」と言っても色々あります。

「外国語」と一口にまとめてるのと同じようなもので、中には英語、フランス語、スペイン語、中国語、ラオス語、とか色々あって、できることも全然違います。市場も違います。

ですので、どの言語をやるのかはまず重要になってくるかと思います。

みんなができる簡単な言語だけをやってもコモディティーになるので、あまりみんなが手をつけていない言語を勉強していくのも一つの戦略です。

早いうちに学習して突き抜ければその言語においてポジションが取れるので、希少性も上がり戦いやすくなります。

但し、そうした言語は最新技術でまだ情報が少なかったり、普通に難しかったりするので、当然ながら学習コストは高めです。

また、作りたいものから逆算して言語を選ぶのも大事です。

例えば、ゲームを作りたいのか。ゲームの中でもどんなタイプのゲームが好きなのかによって必要な言語は違ってくる。といった選び方です。

2020年に小学校でプログラミングが導入されます。

現時点で詳細はまだよく分からないのでハッキリとした事は言えませんが、おそらくビジュアルプログラミングが中心になるのではないかなと思っています。

ビジュアルプログラミングとは、パズルにような感覚でロジックを組み立てたりできるものです。ゲームに近い感覚でできます。

ビジュアルプログラミングと、プログラミングの大きな違いは、コードを自分で書くのか、書かないのかです。

ビジュアルの方では、もともと色々なパーツが用意されてあって、そこから「選んで」ロジックを組んでいくような形が基本です。

コードを書く量が少ないので、とても取っつきやすいです。

子どもは初めて触れるので興味を奪わないことが大事だ、との論調でおそらくビジュアルプログラミングが中心になるんではないかと思います。

導入としてはすごく良いです。

ただ、そればかりだと僕が最初に述べた、「わからないことに出会う」経験が減ってしまうこともありそうです。

「何もわからない状況から自分で答えを探していく」

それがプログラミングの真髄だと僕は思います。

ですので、コードを書くことを早くから始めるべきかと思います。

そこに差が出るんじゃないかと思ってます。

③【プログラミング以外の得意分野を作る】

プログラミングだけでは代替が可能になるので、それに何かを掛ける戦略も良いと思います。

プログラミング × 数学
プログラミング × 将棋
プログラミング × 農業
プログラミング × マンガ

まあなんでも良いとは思います。

いろんな分野でプログラミングは必要とされているので、得意な分野が他に作れると、より武器として輝くかもしれません。

要は、興味のアンテナをプログラミングだけに絞らずに、他にも好きなことがあるならばやったほうが良いということです。

AI時代には、マニア力が価値を持ってきますので。

オーナーになるか、社員になるか

最後にもう一つ見落とせない視点があるので、書いておきます。

この間、映画「シェフ 三ツ星フードレストラン」をみました。
とても良い映画でした。

ストーリーはこんな感じです。

古風なオーナーと対立し、自分の好きなように仕事ができなかった有名シェフが、フードワゴンを始め、自分の好きなように自由に仕事をするシェフに変わる物語。

これは、プログラミングをこれから学ぶ人にとっても確実に知っておいた方が良い視点です。

オーナーになるのか、社員になるのか、です。

これは好き嫌い、向き不向きもあると思うので、一概にどちらが良いは言えません。完全にその人の価値観によります。

現実的には、どっちも大変です。

自分でサービスを作って世の中に広め、さらにお金を稼いでいくのはそう簡単な事ではありません。

その代わりイニシアチブは自分が握れます。自分の好き勝手に仕事ができます。

会社の中で働く場合は、組織はそもそも分業で成り立つので、いくら裁量がある場所でも100%ではありません。我慢する時が必ず出てきます。

その代わり、規模の大きい仕事ができたり、教えてもらえたり、そもそもちゃんと会社として既に成り立っているわけだから、安定して給料も出ます。

プログラミングを学んで自分で生きるのか、会社に務めるのかどっちの道へいくんだという話ですね。自分の幸せに直結しますので、経験を積み重ねながら考えたら良いと思います。

最後の結論として、最初に戻りますが、プログラミングによって磨かれるのは、自己解決力だと思います。

プログラミングは分からないことだらけ。

だから、楽しい。

この能力があったら、何でも学んでいけます。最強です。

スキルなんて時代時代によって、すぐ変わっていきます。

だから、もっと根幹的なそういう力がものを言うのだと考えています。

さてプログラミング、やりましょう。

 
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WEBサービスリリース初期におけるサイト・アプリ改善の考え方について

こんにちは。石川大貴です。

今日は、起業や新規事業に関するお話です。

「今後WEBサービスでの起業を考えている方」や「WEBサービスをリリースしたばかりの方」に向けた内容です。

サイトやアプリ改善の必要性

WEBサービスで起業をするとなると、実際にサービスを出した後にいろいろと改善をしなければいけない部分が多々出てきます。

webサイトであってもアプリでもあっても同様で、単純にバグが出たりもするし、新しい機能をつけたり、ユーザーから不満が出たのでここを改善したいだとか。

とにかく、たくさん「改善したい」部分が次々と出てきます。

最初から完璧なUIは作れない

最初から、完璧なモノを作るのはまず無理です。

百戦錬磨のプロの起業家やプロのエンジニア・デザイナーであれば、大量の経験から精度の高いモノを最初から作ることも可能かもしれませんが、そうではない場合はまず不可能だと考えていた方がいいです。

「使いやすいUI(UIとはユーザーインターフェース.要はサイトやアプリのこと)を作る」という言葉は、事業計画にもよく出てきます。

ビジネスプランのピッチやコンテストなどでもよく耳にする言葉です。

「今存在する他のサイトはダサくて、使いにくい。だからウチが使いやすいサイトやアプリを作る。そこが差別化の一つにもなる」といった調子です。

しかし、それを現実的に実現するのは、とんでもなく難しいことだと認識しておいた方がいいです。

「使いやすいUIを作る」はめちゃくちゃ抽象度の高い言葉です。

このボタンをどこに置くとか、このボタンの色をどうするだとか、このボタンの遷移先はどこにするだとか。

そういう無数の「具体的な要素」の積み重なりが累積して、「使いやすいUI」に繋がります。

実務レベルで、こういった「抽象」から「具体」へ落とし込んだときに、思っていたことが実現できないということが起業の場合、往々にして出てくるので気をつけておいた方がいいでしょう。

リーンスタートアップやグロースハックの考え方

さて、数年前(ざっくり2015年の前後あたりでしょうか。あくまで石川の主観ですが。)に一気に日本でも広まった「リーンスタートアップ」の考え方があります。

リーンスタートアップとは、「最小限のプロダクトで持って、市場に投入し、実際にユーザーの反応をみながら高速で改善を試みて、スケールさせることを目指す」というものです。

先ほど、サービスリリース後にサイトやアプリは改善する必要があると言いました。

リーンスタートアップの文脈でいうと、ユーザーの反応をみながら「高速で改善する」が正解になります。

つまり、さっさとベータ版をリリースしてから、とにかくガンガン改善しろと。

実際に、アメリカのスタートアップや、日本で成功しているスタートアップの場合も、まあ当てはまっているのではと思います。

経営陣はガムシャラに仕事を進めて、サイトやアプリの改善もものすごいスピードで進めていく感じです。

サービスリリース初期のサイト・アプリ改善の考え方

僕の経験上、これだけを意識していると危険だなとも思っています。

「スタートアップは高速でサイトやアプリの改善すべき」

まあ、確かにそうするに越したことはないです。

ただ実際には、サイトを改善するのには、結構なリソースがかかります。

経営陣にエンジニアがいない場合には、外注することになります。
(ちなみweb系起業でチームにエンジニアがいないのは、個人的にはおすすめできない・・)

システム会社にしてもフリーのエンジニアに頼むにしても、だいたい単価は3000円/1時間から5000円/1時間ぐらいの幅になると思います。

時間単価5000円だとして、10時間作業時間のかかる改善をお願いするだけで5万円です。

改善したいことは次々と出てくるので、次々にお願いすればこれがどんどん積み上がって行きます。

リソースが少なく、まだ売上の見込みも見えないスタートアップにとってはかなりでかい金額です。資金調達がうまく行っていればまあ良いですが。

経営陣にエンジニアがいる場合は、社内で改善を吸収できることになるので金額的には抑えられますが、時間という資源は消費することには変わりありません。

つまり、「まだリソースが少ない起業の場合(経営者一人でやっていたり、潤沢な資金がないなど)」や「まだビジネスモデルが確立していない場合」には、「高速でサイトやアプリを改善する」だけでは不十分だと考えています。

あくまで選択と集中。ポイントを押さえて、サイト改善していく必要があります。

逆に言うと、「資金調達して、使える人やお金がある場合」や、「すでにスケールできるようなビジネスモデルが検証できて確立している場合」には、ガンガンサイト改善を進めて行くべきでしょう。

なぜポイントを押さえて、サイト改善していく必要があるのか

まず一番は、上述したように「リソースが少ないから」です。

サイト改善するよりも、経営戦略とか、営業とか、ほかにやるべきことがあるよねって話です。

事業の肝となるセンターピンは、それぞれのビジネスモデルによって異なるので「どこに一番力を注ぐのか」は、自分の頭で考える必要があります。

これがまず重要です。

そして他にも、いくつか理由があります。

初期フェーズのサイト改善において、「なぜポイントを押さえて、サイト改善していく必要があるのか」の視点です。

①初期は顧客がいない、もしくは少ない。
当然ですが、初期のサービスには通常ユーザがいません。事業の進め方にもよりますが、顧客が極めて少ない時期はだいたいどの事業も経るフェーズです。つまり、初期は「フィードバックの絶対量が少ない」ということになります。だから、信頼性が数値で図れず、主観に頼った判断になってしまいがち。結果として、不要な改善を繰り返してしまい、挙げ句の果てに正解にたどりつかない。なんてことも。

②改善点が山ほどある
作ったばかりのサービスには、直すべき点がたくさんあります。直すべき点がたくさんあるので、「一つ一つの改善にどれほどの効果があったのか、効果測定がしにくい」ということになります。

③初期ユーザーは、一般ユーザーと異なることが多い
サービス初期のユーザーさんは、自分の周りの人であったり、どちらかといえば共感して応援してくれようとする方々です。それは、スキルの面でも一般ユーザーとズレていたり、ある意味客観的ではなかったりします。これは、「初期ユーザーの視点と、一般ユーザーの視点は意見が異なる」ことを意味します。

以上のことから導ける結論は、「初期フェーズにおいて、むやみやたらにサイト改善を繰り返して、右往左往しても仕方がない」ということです。

何を持って改善していていくべきなのかといえば、「データ」だと僕は考えています。

例えば1人の人が「このボタンはこっちの方がいいんじゃない」と言っても、ほかの9人が違うことを思っている可能性があります。

webサービスにおける「正しさ」とは、「量」、つまりはデータのことです。

そうなってくると、顧客フィードバックの絶対量が少なく、1つ1つの改善点の効果検証もじずらく、ユーザーの性質も異なる初期段階において、判断軸となるのは言ってしまえば「直観」だけです。

乱暴な言い方かもしれませんが、僕はそう思っています。

つまり、「経験による直観」しか判断軸として頼れない初期フェーズに、むやみやたらに改善を繰り返しても無駄になることも多いということです。

ほぼ使われない機能を改善したり、

別にそんな重要でもない新しい機能をつけたり、

改善したと思ったら、すぐに方向転換してその部分が無駄になったり、

みたいなことがよく起こりがちです。

ゴミは山になるまで残しておいて良い

むしろ、サービス初期のサイト改善において、「問題点・改善点は、残しておいても良い」というのが僕の考えです。

(ただし、これはあくまでリソースが少なく、コストを最小限に抑えながら、成立するビジネスモデルをまだ探っていく場合の戦略です。)

初期フェーズで右往左往しても仕方がありません。

リソースだけがどんどん消費され、しかも結果が積み上がらなければ勿体無いです。

正しさ=量ですので、「ここがダメだよね」という意見がちゃんと山になるまで放っておくことを僕は念頭においています。

「ユーザーに迷惑をかけるのは良くない」と思って、つい「次々に対応していかなければいけない!」と思うのも良くわかります。真面目な人や、人の良い人ほどそう思うのもよくわかります。

でも、どっしりと腰を据えて構える戦い方もあって良いと思っています。

いろんな人に迷惑をかけるのはある意味当たり前です。

長期的に、ユーザーにきっちり価値を提供していく。

最終的に良いものをつくることが事業をやるものの使命です。

ですので、リソースの少ない中で、良いビジネスモデルを探っている起業段階においては、「ポイントを絞って、サイト改善する」なのです。

「長期的に、確実に結果が蓄積していくことにつながる改善」

「ユーザーに、クリティカルな影響を与えそうな改善」

手をつけるポイントはこのような部分になります。ただし、これも直観に過ぎないことを忘れてはいけません。

リリース初期段階では、あまり「使いやすいUI を作ること」に躍起にならずに、ビジネス全体を俯瞰した上でどこにポイントを絞ってサイト改善して行くかを選択集中しながら決めて行くと良いかと思います。

以上、ビジネスのお話でした。

また次回!

 

暇と退屈の倫理学 by 國分功一郎〜暇な時代をいかに生きるかの視座【書評】

國分功一郎さんの「暇と退屈の倫理学」を読んだので紹介です。

当ブログでは、僕が本当に面白いと思った本だけを出しています。

この本はかなり”重い本”です。

人生観がガラッと変わってしまうような本、すぐには役に立たないけどジワジワと効いてくる本を僕は「重い本」や「教養本」と言っていますが、これもその一つです。必読です。

教養本は、結論だけ読めばそれでおしまいではありません。

むしろ、結論にたどり着くまでの過程の方に価値があります。

本の内容を主体的にどう捉えて、どう向き合っていくかは人によって異なるからです。

そこから導き出される結論だけが「自分のもの」になります。

よって、教養本は全部読まないと意味がないと僕は思っています。

重い本は読むのに体力もいりますが、読書の習慣があって、すでに100冊ぐらいは読んでる方であれば挑戦できるのではないでしょうか。

3日ぐらいまとめて時間をとって、じっくりと読んでみてください。

「暇」が訪れてしまった現代

「暇」と聞くと、どこかマイナスのイメージがあるかもしれません。

筆者は、「暇」と「退屈」は違うと言います。

「暇」は客観的な指標で、「退屈」は主観です。

「あいつは、暇人だ」という表現に言い表せられるように、することのない時間があるのは「暇」な状態です。

その暇な時間に何もすることがなければ「あ〜やることがない、退屈だ」となります。

あるいは、休みの日。暇な時間にスポーツバーでサッカー中継に夢中になって応援している人がいれば、これは「退屈」ではありません。

「暇」と「退屈」という概念には、とても深いものがあります。

人類は生まれてこのかた、「暇」も「退屈」もあまりない生活を営んできました。

それは、喫緊の問題が山積している時代が歴史のほとんどを占めているからです。

今、日本で生きている僕たちは、「平和」なのでその意味がわからないかもしれませんね。

人間が狩猟採集民族であり、遊動生活をしていた時代を想像してみましょう。

(ちなみに人類が農耕民族になったのはつい1万年前の話であり、遊動生活をしていた期間の方が人類の歴史としては圧倒的に長い。)

遊動生活において、生存を維持するためには毎日食料を確保せねばなりません。

陽が昇ると同時に、採集や狩りや漁業を営む必要があります。

「保存」ができないので、これは毎日課せられる仕事です。

さらに人間は生きているだけで周囲の環境を汚し、変化させてしまいます。

同じ場所にとどまり続ければ、ゴミや糞尿で汚れたり、取る食料も減ってくので移動する必要が出てきます。

もちろん徒歩での移動です。

移動をすれば、今度はまたどこで食料が取れるのか、どこで安全を確保できるのか探さなければいけません。

まさにサバイバルそのものです。

生命を維持するためには、知恵もいるし、労働も必須です。

このような環境では、日々の生活に「退屈」と感じることはそれほど多くなかったはずです。

生存が確保されておらず、食うのに必死だからです。

このように「暇」と「退屈」の観点からみていくと、人類が生まれてこのかたどの時代も大変だったことが想像できます。

食料が確保できなかったり、環境が変わってしまったり、争いがあったり、病気が蔓延していたり、戦争があったり、強制労働があったり。

場所と時代によって状況はまちまちですが、とにかく大変な環境にさらされていて、生きるためにはその困難を乗り越え、「安息」を追い続ける必要がありました。

シンプルに、これまでの歴史の中で、人々は社会をより豊かなもににしようと努力してきました。

言い換えると、人間の歴史は「安全」と「自由」を得るために戦ってきた歴史であるとも言えます。

そして、「それが実現した先に人は逆に不幸になるのではないか?」というのが、本書の重要な問いかけです。

豊かな状態になるとは、基本的には「食と住が確保できること」と「身体的活動ができる健康と自由があること」です。

多くの人々はすでに「安息」を得て、少なくとも安心安全に生きていけるだけの文明社会の中にいます。

それが現代です。

人間は「退屈」を嫌う

人間は「退屈」を嫌うのだ、というのが本書の重要な指摘です。

イエスは、「人はパンのみでは生きられない」と言います。

パンだけでは幸せに生きられない、バラも必要なのだと。

また、かのパスカルもあまりに深い洞察の言葉を残しています。

「不幸のすべての原因は、人間が部屋の中でじっとしていられないことだ」と。

つまり、人間は退屈には耐えられない生き物だと言っています。

それが、すべての苦しみを引き起こすのだと。

日々の中に刺激があること。

熱意を持った生活ができること。

何かに没頭し、打ち込むこと。

それらを求めるあまり、「いまいる場所に何も変わらずに居続けること」ができず、もう一方の別の場所へ行こうとします。

それが、人間本来に備わっている性質であると言えます。

僕が、フィリピンで見てきた原体験からもこれは当てはまるなと思います。

例えば、フィリピンでは、夜の世界で体を売って、家族のために一生懸命に働いている女の子がたくさん居ます。

僕は1年以上ローカルの中に入り込んで、彼女たちの生活、家族の状況、生き方に触れてきましたが、

「あれ、そもそも、、、もしかしたら田舎で、家族全員ファーマー(農民)として、そのままの生活をしていたら、こんなに苦労することもなかったんじゃないのか?」

と思索することもありました。(その方がいいのでそうすべきと言っているわけでは断じてありません)

「困難な状況を自分の選択によって引き起こしている」側面が、少なからず、あるということです。

彼女たちは、必死に毎日を戦っています。

体を売って稼ぐ、ということは本当に大変なことです。

想像を絶するものすごい痛みを伴います。

平和に生きている僕たちには、一生かかっても100%理解することはできないほどの痛みです。

でも、それでも「家族のため」と思って、日々忙しく戦っています。

そうして、普通に働く場合よりも多くの収入を得ています。

僕は、その姿に尊敬の念を感じながらも、

「体を売って稼いでいる彼女たちがどういう状況になれば幸せなのだろうか」と思いを巡らせています。

話が本書の内容からは完全に逸脱するのでこれ以上言及しませんが、貧困問題を考えている僕にとっては、絶対に向き合わなくてはならない命題です。

要するに、「その先」を考えなければいけないのです。

人間は、「退屈」ではいられないのです。

私たちは、暇とどう向き合うべきなのか?

先ほど見てきたように、食うのに必死、安全に生きていくのに必死、そうならざるを得ない環境にいる人は、相対的に「暇」はなくなります。

そんな余裕はないからです。

一方で、今を生きる私たちはどうでしょうか。

日本であれば、少なくとも自分ひとり生きていくのはそう難しいことではありません。

普通に働けば、普通に生きていけます。

「大変だ、給料安い、ブラックだ」となんだかんだと叫ばれていますが、自分ひとりであればバイトでも生きていけます。

そして、現代はどんな仕事でも、余暇はあります。

豊かさを求めてきた人間、そして、ある程度の余暇を増やし始めている人間。

「私たちは、暇とどう向き合うべきなのか?」が本書のテーマです。

おそらく向こう10年か20年以内にはベーシックインカム的な仕組みも世の中に埋め込まれるはずです。

AI やロボットによって、自動化が極限まで進んでいけば相対的に「暇」はガンガン増えていく可能性が大きいです。

本書のテーマは、ベーシックインカム時代・AI時代が進むとともに意義の大きさを増していくでしょう。

ここで、本書の結論だけ書いても無意味だと思うので、ここから先は本書に預けます。

そして、結論ではそこまで具体性のあるところまでは落ちていかないので、「実際どうすべきか」は、自分で考えていく必要もあるかと思います。

本書は、倫理学、経済学、系譜学、歴史学、考古学、哲学、心理学など、非常に幅広くの視点から論理を積み重ねていきます。

これも”教養本”の特徴です。

自分で主体的に向き合いながら通読すれば、人生観が変わるかもしれません。

ぜひ読んで見てください。

結婚する前に、仕事量・勉強量を増やしておこう

こんにちは。石川大貴です。

今週のニュースで、
セブンイレブン本社が、セブンイレブンのフランチャイズ店オーナーと「24時間営業」をめぐって揉めているというようなことを耳にしました。

アルバイト不足で人の確保が難しく、コンビニ業務の仕事量も増えている。
24時間営業するのはきついってことらしいです。
本部としては、「24時間営業」で契約してるんだからそれでやってよってことですね。できないなら、違約金払ってねと。

ついに、始まったかという感じですね。

これ数年前から度々言っていることですが、
歴史的にみて、世界的にも「人口」と「文明の発展」は基本的にリンクするので、
人口が減り続けている日本はゆったりと縮小していきます。

何も大きな話だけをしているわけではなくて、あなたの生活にも影響は及んできます。
今の豊かさを維持することが難しくなってくるってことです。
「24時間営業が、24時間営業ではなくなる」は、これのど直球ですね。
これからこういうことが増えていくと思います。

中国の無人コンビニのように、自動化が極限まで進んでいけば、
機械が「人口」(=労働力)に置き換わるということなので、
縮小傾向も収まり、豊かさ(ここでいう豊かさは資本主義の結果生まれている「豊かさ」の事)も維持できる図式が出来上がると思います。
しかし、まだ10年か15年くらいはかかるんじゃないでしょうか。今はそれまでの過渡期といったところでしょうか。

消費者としては、今の時代はあまり「豊かさ」の水準をあげないほうがいいです。
「豊かさ」というのは主観であり、人や場所によって変動します。その基準につられて「幸福度」も決定されます。
そもそも、日本ってサービスの水準が高すぎるので、知らぬ間に消費者たちは感覚が肥えています。

僕は、フィリピンのローカルどころに住んでいたので別に24時間営業じゃなくても全然平気ですし、1つ4円のパンと1つ10円のインスタントコーヒーが飲めればめちゃくちゃ幸せに感じます。別にコーヒーが値上がりしたって、安いやつでも十分なので問題ないです。

日本も、今までの便利さが維持できないところも多々出てくる可能性が高いです。店が減ったり、営業時間が短くなったり、使ってるサービスがなくなったり、値上がりしたり。
なので、「豊かさ」の水準をあげないってのは今の時代大事です。

労働者としても、労働力として1人分以上に働かせられるような場所にいると、どんどん疲弊してしまいます。社会全体をみたら構造的に、そういう環境が悪化していくことは目に見えているので、早くそういう場所からは立ち去ったほうがいいですね。アルバイトにしても、働く場所はいくらでも選べるわけですから、悪い場所にはとどまるなです。あとは、自分で好きなことをとにかく自分で勉強しておいたほうがいいですね。誰でもできる仕事は、いずれ自動化されるか、外国人(安い労働力)が担うことになるかのどちらかですから。

さて、前置きが長くなってしまいました。

今日は、「ビジネス」と「家族」というテーマです。
多分ほとんどの人が通る道なのに、意外と触れられることも少ないのかなと思います。

僕は昨年に結婚をして、今年子供も生まれました。
生活が本当にガラッと一変しました。

ある程度覚悟はしていましたが、これほどまでに環境変化するとは思いませんでした。
そういう意味では、覚悟はしていたけど準備はできていなかったようです。

結婚に関しては後先考えずに決めて、後悔は全くしていませんが、
タイミングはもう少し熟考してもよかったのかな〜とは思います。

家族の形や関係性というのは、人それぞれだとは思います。
結婚しても、自分の時間が取りやすい人もいれば、そうでない人もいるでしょう。

ただどの家庭も、大変なことはたくさん起きると思います。
当たり前のように平和に家族って成り立つものかなと思っていましたが、
実際に家族を持ってみて感じるのは、
家族をマネジメントしていくのは本当に一苦労も二苦労もかかるということです。
相当な体力と精神力を使います。

世の中のお父さんお母さんに対して、素直にすげーなと思いました。
そりゃあ、離婚も多いわなと。

人って、自分で経験していないことは過小評価する傾向があります。
特に10代20代の方に言っておきたいのですが、家族を持つことはマジで想像以上に大変です。
子供を持ったらもっと大変になります。

そして、「家族」と「仕事」というのは、
一方のエネルギーがもう一方のエネルギーにも影響を与えるという特質があると僕は思っています。当然ながら、時間配分も変わります。1日24時間しかないわけですから、物理的には、「家族」と「仕事」はトレードオフの関係にあると思います。物理的に両立するのは不可能で、どちらかに時間を割けば、もう一方へ割く時間は減ります。
一人の時は自分ごとだけでよかったのが、人に振り回されるようになります。

ここで先に触れおきますが、
そんな大変さを考えたら「私は結婚せずに、一生一人でいきます」
という選択もまあアリだと思います。特に今の時代は一人でも幸せに生活できます。
「家族を持たない」と決断するのも有意義な人生を送れる一つの価値観だと思います。
特に今の時代は、そういう人も増えているようですね。

一方で、家族を持ちたいという価値観を持っている人にとっては、もちろん家族を持つことが幸せにもつながるでしょう。
こればかりは、実際経験してみないと実感できないことですが、伴侶を持つこと、子供を持つこと、それで初めて見えてくる景色、というものが確かにあります。
人間の歴史は、原始的な時代からずっと家族と共に行き、家族を守ってきた歴史なので、本能のレベルで家族を持つことで幸福感を得るように備わっているのかな、なんてことも思います。

ただ、結婚するタイミングというか、「それまでに何をしておくか」が結構重要だと思います。

家族と幸せでいたいと思うのならば、一定量の時間とエネルギーをどうしても家族にも割くことになります。何か目標や野望や夢を持っている人、つまり「自分のこと」を突き詰めていきたいと思っている人にとっては、かなり環境が変わります。
「自分のこと」と「家族のこと」のバランスを取らなくちゃいけなくなるからです。

そして、自分のことを突き詰めていきたい人にとっては、「結婚前に何をしておくべきか」という視点は持っておいた方がいいと思います。

何をやるにしてもプロフェッショナルになるには「とにかく量をこなす」フェーズが絶対に必要だと思います。

「経験曲線効果」という言い方があります。
熟練の工場長が1時間でやる仕事と、
まだ1年目の新入社員が1時間でやる仕事の成果は全く違います。
そういう意味で、時間は伸び縮みします。

経験曲線効果とは、簡単に言えば、「経験を積めば積むだけ仕事の効率が上がるよ」
という言われてみれば当たり前のことです。

経験曲線効果を上げておけば、たとえ短い時間しか取れなくても、
短い時間で多くの成果をあげていくこともできます。

何か1つの分野で突き抜けておく経験とスキルがあれば、また横展開するときにもそれが大いに活きてきます。

結婚してから、素人がいきなり量をこなすのは大変です。
仕事に加えて、自分のことばかりしていたら家族を不幸にしてしまう可能性もあります。

家族の関係性によってはやりくりが可能かもしれませんが、実はほかの何かが犠牲になっていることも多いでしょう。

実際、起業やビジネスで成功しているけど家庭は崩壊って人は割と多いと僕は思ってます。

ですので、今日の結論は1つだけ。
結婚する前に、できるだけ量をこなしておくことはめちゃくちゃ大事だと思います。

では、また来週投稿します。
ありがとうございました!

CtoCマッチングサービスで起業する場合のTips

こんにちは。石川大貴です。

さて、今日もビジネスの話です。

今回は、CtoCサービスがテーマです。

パソコンとスマホがここまで普及してきた影響で、マッチング系のサービスはうじゃうじゃ世の中に出てきています。まだまだ隙間はあると思っていて、今後もまだまだマッチング系のサービスは出てくると思っています。

CtoCとは、簡単に言えば「個人間マッチングサービス」のことです。

いろんな分野でCtoCサービスがあります。

モノ売買を行うメルカリ。

配車アプリのuber。

スキルをシェアするココナラ。

ハンドメイドのminne。

空きスペースを扱うスペースマーケット。

などなど。まあ、キリがないですね。
様々な分野で個人間マッチングサービスが存在しています。

一般の人が何か商品を出せて、一般の人がそれを購買するモデルです。
事業者側は、そのプラットフォームを提供します。

起業や新規事業を考えている人の中で、マッチング系のサービスを構想する人もたくさんいるのではないかと思います。

マッチングサービスは薄利多売

基本的にマッチング系サービスでは、手数料を抜くモデルになります。だから利益率としては、低めになりがちです。よって、大前提として、マッチングサービスをやるならばある程度スケールさせていくことを狙う必要があると思います。ある程度大きくしてナンボのビジネスモデルと言えるかと思います。

また、マッチングサービスを実際にやってみるとわかりますが、運営費も普通にかかります。システムさえ作れば、ほぼゼロと思っている人も多いですが、取扱量が増えるに連れて運営コストも大きくなりがちです。規模に比例して、運営コストが膨らまないように運用を設計していくことも大事ですね。

また、ここから何が言えるかと言うと、各業界にて何社もマッチング系サービスが並立することは困難であると言うことです。極端に言えば、最終的に生き残るのは、各分野1社か2社だと思っていいと思います。

マッチングサービスは、ネットワーク外部性が働く

これは、よく言われることですが、例えばFacebookではネットワーク外部性が働きます。
ネットワーク外部性とは、「利用者が増えれば増えるほど、そのサービスの便益が上がること」を指します。コミュニケーションを楽しむFacebookは、多くの人が使っていることが前提になります。周りの人が使っていなかったら、自分も使う意味は無くなりますよね。そういう意味では、今の10代の若者たちはFacebookを使わない人も多いので、だんだんと使われなくなっていくでしょう。

マッチング系サービスも一緒です。使う人がたくさんいてナンボのサービスです。参加者が少なければ、便益は低くなります。だから、まずはとにもかくにもたくさんの参加者を集めていくことがポイントになってきます。

また、先行者優位が大きく働くモデルであるとも言えると思います。当然ながら早く始めた方が、知名度も利用者もどんどん積み上がっていく可能性は高いです。

マッチングサービスは、ぶっちゃけ真似するのが簡単で誰でも作れます。
誰でも作れますが、そこにいる参加者の量と質が重要で、それは一朝一夕では真似しずらいです。(後発の競合が、引き抜きする場合もあるけどね)
何より早く始めちゃうのが、大きな強みになります。

提供者側が先か、利用者側が先か

あちこちでよく議論される議論です。だいたいどのマッチング系サービスにもサービス提供者側と、サービス利用者側が存在するかと思います。そして、「どちらを先に集めていくのか?」はよく聞こえてくる疑問です。

A面B面どちらも揃えていかなければいけないのがマッチングサービスです。提供する人がいなければ商品が少ないことになりますし、利用者側がいなければ提供者側も去っていきます。相互依存の関係ですので、どちらもいなければ成立しません。

時間軸として見るならば、サービス立ち上げ当初の段階としては、「提供者側を集めることに集中する」が僕の考えです。使える広告費がふんだんにあって、一気に勝負をかけるならば両側を集めることにお金を投下しても良いかと思いますが、コストを抑えてサービスを立ち上げていく場合は、提供者側を集めていくべきだと思っています。理由としては、商品をふんだんに揃えることによって利用者側も集めやすくなるからです。商品が少ない状態で、利用者側を集めても効果は薄くなってしまい、費用が無駄になる可能性があります。ですので、まずは一気にサービス提供者側を営業や広告などで集めていくのが良いかと思います。

使われる理由があるか

サービスそのものの設計に関わる部分ですが、マッチングさせる2者共に「そのサービスを使う理由があるのか?」をシンプルにかつ深く考えていく必要があります。
ただし、これに関しては結論「やってみなきゃわからん」と言う色が強いと個人的には思っています。

新規サービスというのは、立ち上がりが一番ムズイです。
ある程度売れて安定するまでです。知名度もない、金もない、使える脈もない中でサービスを立ち上げて、世の中に埋め込んでいくまでの過程が本当に難しいです。

マッチングサービスも然りで、上述の通りまずはサービスを立ち上げて、人を集めて、知名度も上げていくところからスタートです。多くの新規サービスが、人が集まらないまま頓挫するものがほとんどです。「使われる理由があるのか」を検証する前に終えてしまうのは勿体無いので、まずは何としてもある程度の商品(提供者側)を揃えていくところから始め、人が集まってきたら、ユーザー価値の検証つまり「使われる理由があるのか」を確かめていくのが良いと思っています。

以上、ざっくりとCtoCのマッチングサービスについてのトピックでした。

僕もまた、CtoCのサービスを一つ作りました。
スモールに立ち上げてゆっくりやっていくつもりです。

また次回!

 

ユーザーインタビューはストーリーで話を聞く

こんにちは。石川大貴です。

今日は、ユーザーインタビューのお話です。

主にtoC向け(企業向けじゃなくて一般顧客向けのサービスのこと)サービスの話と思って聞いてください。

起業や新規事業において、とても大切になってくるのは「お客さんについて学び続ける」ことです。

ただ、闇雲に自分が作りたいものを作る、自分が良いと思っているものを作るだけでは、ビジネスとしては博打になると僕は考えています。

ビジネスは、買ってもらえなければ売上が立たないわけですから、やはりお客さんの方を向いて、お客さんの欲しがるものを作っていく必要があるわけです。

ビジネスと職人は違います。

お客さんの欲しがるものを作る。

これはシンプルなように聞こえますが、実際に自分で新しい事業をやった経験がある人ならば、どれだけ難しいことかよくわかると思います。これは、本当に奥深くて難しい。

ですので、起業家やとにかく「お客さん」について学んでいって、お客さんのことをなんでも知れるように努力しなければいけません。

そこで、大事になってくる方法の一つは、
「ユーザーインタビュー」だと思います。

まだビジネスアイデアを構想している段階からユーザーインタビューは始めた方が良いです。サービスを作っている段階、検証する段階、広めていく段階、どの段階においてもユーザーインタビューは継続してやっていくべきだと僕は考えています。

“ストーリー”で話を聞こう

ただユーザーインタビューをすれば役にたつかと言えば全くそうではありません。

これも経験している人も多いかもしれませんが、「インタビューしたものの聞きたいことが聞けなかった」はよくあることです。

沢山ポイントをあげてもどうせ忘れると思うので、一つだけポイントあげます。

それは、「話はストーリーで聞け」です。

説明します。

まず、大前提としてお客さんは何も知りません。

自分が何が欲しいかなんてわかっていないし、問題を問題とも思っていないことも多いです。

なんかここサラッと言ってますが、「問題を問題とも思っていない」はめちゃめちゃ深いのでちょい説明します。

例えば、
僕たちが江戸時代にタイムスリップしたとして、
「携帯電話(持ち運びができて、遠くの人といつでも話ができるもの)があったとしたら、使いますか?」
なーんて質問をしたとして。

聞かれた江戸っ子は、ぶっちゃけ「よくわからん」としか思いません(声に出すかどうかは別として)。
まあ、インタビューなので雰囲気に乗っかって「使う/使わない」とどちらか答えてくれるかもしれませんが、そのアンサーはかなり確証の低いハテナ付きの答えです。本当に使うか、本当に使わないかなんて、そのものが実際にここにないとわからないのです。

要するに、今ここにないものは想像できません。
それが人間です。

だから、まずここから一つ言えるのは未来のことを聞く質問はほぼ意味がないと思ってください。

「〜があったら使いますか、良いと思いますか」
とビジネスマンがよく聞きそうな質問ですが、それだけではほぼ無意味です。

では、仮に聞くのではなくこちらから想像してみましょう。じゃあ江戸っ子たちは、
「もし江戸時代に携帯電話があったら使うのか?」
を考えるとするならば、答えは「100%使う」です。

遠くの人とコミュケーションしたいという欲求(ニーズ)は普遍的なものであり、時代や場所が違っても共通しているのでこれは答えがわかります。

実際、現代で考えても、まだまだ発展途上のアフリカとかで、めっちゃ原始的な生活だけど、携帯をぴこぴこしてる人たちもいますからね。そりゃ便利だから、あったら使うんです。

でも、だからと言って江戸っ子たちが
「遠くの人とコミュニケーションが円滑に取れないことが問題である」
とは思っていないわけです。本人は自覚していない。

今の生活が彼らにとっては当たり前であるわけで、未来のこと(今ここにないこと)なんて想像できないからわからない。なので、基本的に不満はないわけです。

「問題を問題と思っていない」というのは、そういうことです。なんとなく伝わったかな?

だから、ここからまた言えるのは
いきなりダイレクトに
「〇〇について、不満や問題がありますか?」
と聞いたところで、インタビューされてる人からしたら「別にねーよ」って話になります。
これも、ビジネスマンがやりがちですが、勿体無いですね。

じゃあ、どうするのか。

結論として、
ポイントは「ストーリーで聞くこと」です。

具体的には、その聞きたい事柄を、「今やっている行動ベースで一連の流れで聞いていく」わけです。

一例を挙げます。
あなたが今、何かカウンセリング系の事業を構想しているとします。
そこで、カウンセリングを利用したことのある方に対して、

「カウンセリングを利用したことはありますか?」

「はい」

「では、カウンセリングを利用した時の出来事を一連の流れで教えてください。例えば、いつ、どんな時に、誰といるときに、カウンセリングを使おうかなと考えて、その後どのようにカウンセリングサービスを探して、どのタイミングで申し込んでなにでお金を払って、初めて受けた時にどうだったか、受けた後の行動など、とにかくストーリーを再現するように一つ一つ細かく描写していただけますか?」

みたいな感じで聞きます。過去の自分の行動歴を、映像で描写するように言葉にしてもらうんですね。

つまり、お客さんは自分で問題を問題とわかっていないことが多いので、あくまで「現在の行動ベース」でこまかーく聞いていくわけです。流れで。

つらつらと自分の過去の行動・生活を言葉で描写してもらいながら、できればその時その時の感情や思考なども引き出しながら聞いていきます。

すると、ユーザーがどのような行動をとっているのか、どんなことを感じているのか、そして、どこに問題を感じているのか、なんてことがポロポロと浮き彫りになってくることがあります。インサイトと呼ばれるやつですね。発見です。

ちなみに、一連の流れを全部聞いた後で

「ではその今話してもらった一連の行動の中で、何か問題だなと思っていることや、不満に思っていることはありますか?」という質問も一応します。
一連の行動を自分で回想した直後なので、自分で話してくれることもありますのでそれは参考にはなります。

このやり方は、百聞は一見にしかずなので次ユーザーインタビューをする機会があったらぜひやってみてください。

起業や新規事業を考えておられる方はぜひトライしてみてください。そうして、お客さんについて学び続けていく姿勢が成功に繋がっていきます。

 

新しい小さな習慣を毎日やろう

こんにちは。石川大貴です。

最近女性起業家が増えていると耳にしますが、「子育てを経験している」ことは結構なアドバンテージになるんじゃないかと感じています。いろんな選択肢が増えていくのととても良いことですね。

さて、僕は友人とのつながりで最近コーチングを受けてみました。半年ぐらい。

結婚する前は、自分ひとりコントロールすれば良かったので、毎日満足のいく生活、自分が納得のいく時間の使い方をできていました。

結婚後は良くも悪くも自分以外の他のことに振り回されるようになりました。
環境が変わって、僕もちょうど生活を最適化させるためにちょうどいいなと思ってコーチングを受けてみることにしました。

「コーチング」というのは、何か目標を定めてそこに行き着くまでの伴奏者になってくれるものです。

車の助手席に座るのがコーチで、運転するのはあくまで自分(相談者本人)です。

アドバイスをくれるというよりかは、いろんな問いかけをしてくれて、一人では考えられなかったことを思考することができるのがコーチングです。

その結果、自分一人では近場にしかドライブできなかったのが、もっと遠くへ、もっと素敵な場所をドライブすることができるようになれば成功です。

より速いスピードで目標に近づく。理想とする自分に近づいていくプロセスになります。もし機会があれば、まあ体験してみてください。

その中で、一ついいなと思ったことを紹介します。簡単なことですけどね。

それは、「毎日続けられる新しい小さな習慣をつくる」ことです。

なんだそんなことかと思わずに、まずやってみて欲しいです。

僕もここ最近は、家庭でのことが色々とあって全く理想とする時間の使い方をできていませんでした。今も一番良い状態に近づけるように自己管理しています。

あまりよくない状態になると、「なんて自分てダメなんだろう」と自己否定の方向性に思考が流れていくことも多くなってきます。こうなると、活力エネルギーも落ちて来て、また切り替えれず良い行動に移せない、またさらに落ち込むという負のスパイラルに入ってしまいます。

そこで、毎日これだけはする!と新しい習慣を決めてみるわけです。

目的は、「自己肯定感をあげること」なのでぶっちゃけなんでも良いです。自分にとってプラスとなること、そしてものすごく小さなことにするのがコツです。大きなことを掲げず、毎日できる小さなことにするのがミソです。

僕の場合は、体幹トレーニングを毎日30秒やるです。

これだったら必ず続けられることにしてください。

英単語3個覚えるとか、瞑想するとか。まあなんでも良いからできるやつを。

毎日ブログを書くとかだとかなりきついと思うので、その場合は毎日5行は書くとかでもいいし。

それで、実際に続けられた自分を褒めてあげるわけです。よし、今日もできたじゃんって。それを毎日毎日積み重ねていくと自己肯定感が上がっていき、他のことにも活力を注げるようになっていきます。

少しでも変わりたいなと思ったことはぜひやってみてください。今日はコーチングのお話でした。また明日〜

お店の雰囲気はお客さんがつくる

おはようございます。石川大貴です。

今日は、ちょっと駆け足で書いていきますね。
今日の結論は、表題の通り「お店の雰囲気はお客さんがつくる」です。
(夜のお話が入るのでご注意を)

ここでいう、お店とは「夜のお店」のお話です。しかも、フィリピンなので割とディープな例ですが、リアル店舗をやっている方や人を集めるビジネスをやっている方にとっては何かヒントになればと思います。

僕は、学生時代にフィリピンに長期滞在していました。
何をしてたかというと、夜遊びガイドや貧困のフィールドワークです。まあ、要は遊んでました。

ちなみに、この頃に振り切り度MAXで遊び過ぎてしまった影響で今は全く遊びたい欲はゼロになりました。本題から話がそれますが、日本人でフィリピンに遊びにくる男性はかなり多くて、下手な遊び方、汚い遊び方をする人、というのがいます。
そういう人は大体、昔に全く遊んで来なかった人が多いと思っています。
遊びっていきなりできるものでもないし、あまり真面目真面目で行きすぎると年取ってから爆発しちゃったりするので若い時、どこかのタイミングで目一杯遊ぶ方が良いんじゃないかなと思っています。

さて、フィリピンの夜遊び事情というのは、本当に面白くてめちゃくちゃ奥深い世界が広がっています。

僕は、毎日毎晩あちこちを歩き回って、明るくなったら家に帰るような生活を毎日続けていました。

向こうの夜の世界というのは、めちゃくちゃ裾野が広いです。
ローカル向け外国人向け、いわゆるキャバクラからマッサージ店、ヤリ系の店、とにかくピンキリでいろんなタイプのお店があちこちにあります。

観光向けは、まあ想像しやすいというか日本人もたくさん遊びに行ってるので知ってる男性も多いかもしれません。

でも本当に面白いのは、普通は行かないようなローカル店の方にあります。
ヤリ系にしても、そもそもシステムとして全くないんだけどヤれちゃう店とか、一見普通のバーなんだけど、女の子を隣に呼んで一緒に楽しく飲める店とか(ちなみにそこはエロいことは何もなくて楽しく食事するだけ。超安い。僕が一番楽しんでいたのはこのタイプのお店でしっぽり飲むことです。)

あとは、置屋とかもあります。これはもう地元の人ですらわからないレベルです。
普通の住宅街にあって、看板も情報も何も出ていません。このレベルになると、外国人が行くといろんな意味でさすがに危ないので僕は一回も行きませんでした。

トラブルに巻き込まれるリスクが高いのと、回避できない可能性もあるのと、もし何か起きたら取り返しのつかないこともありうるので冒険でも絶対やめた方が良いです。行っちゃだめです。

まあ、とにかくキリがないほど奥深くていろんな形態のお店があるわけなんですね。

一応付け加えておきますが、僕の場合は、事前に起きうるリスクやその対処法、やっちゃいけないことなど、情報と知見を知った上で歩き回っていたので無事でした。

一番失敗した時で、バーで女の子に睡眠薬を飲まされて二日間起きなかったことだけです。まあ、その程度で済みました。ああいう国は、本当に失敗をすると命に関わります。そして、失敗するほとんどのケースが、「偶然」というよりも「その人の行動」に原因があります。
(観光エリアで普通に観光してる分には大丈夫なので誤解なきよう)

つまり、安全は「自分で作っていた」わけです。こういう国では、行っちゃいけない場所、やっちゃいけないことというのが暗黙的に、しかし確実に存在するので、バカな無茶はしないでくださいね。本当に死にますよから。

それで、
まあ色々なお店を放浪したわけなんですが、やはり
「良い店」と「悪い店」というのがあります。

もちろん「良い悪い」というの人の好みではあるので人それぞれなんでしょうけども。

中でも面白いと思ったのは、
「そのお店にきている客層が、その店の雰囲気をつくる」
ということです。

店側のサービスだけが、お店の雰囲気を作ると思っていたら大間違い。
こういった夜のお店の場合は、その色が特に強いですが、そこにいるお客さんによってその場所はどんな場所なのかが、無意識的に、しかしハッキリとわかります。

いくつか具体的に掘り下げて要素を取り上げますね。

外見、内装

まあ、これは当たり前の話ですね。

外装や建物をエレガントでゴージャスなお店に仕立てたら、金持ちめで、ハイクラスの客層がきます。外国人も増えます。

逆に、何も気を遣わない汚ならしい店だったらローカルの人が来ますよね。

あとは、清潔度とかもそうで、ローカル店だったとしても「統一感があって小ぎれいにしている」店は、良いお客さんが多かったりもします。

トイレが汚いのは、ダメです。トイレが汚い店からは良いお客さんは離れます。掃除が行き届いているかどうかも大きな分かれ目です。

金額

まあ、これも当たり前の話でしょう。

メニューの金額によって、どの客層がくるのかはかなり別れて来ます。

客層をコントロールしたい時に(呼びたいくないお客さんを排除したい時に)、大きな要素の一つでもあります。

つまり、お金持ってない人を店に来させたくなかったら基本料金をあげるってことです。

ドレスコード

これも、仕掛けの一つで重要なサービス設計要素です。

上客だけに絞るためのルールとも言えますね。

身なりというのは単純に見た目が異なるだけではなくて、人間性、中身も異なってくるって話です。服装は、人間性が出ます。

ここでいうドレスコードは、何も金持ちだけのことを言っているのではなく、「半ズボン、サンダルはNG」程度のドレスコードも含みます。

ローカル店であっても、こういうドレスコードを設定しているバーがあって、そういう服装ができる(別に高額じゃないけど、普通に清潔な服装ができる)人が来ているので、ある程度機能しています。

立地

立地ももちろん客層に影響はしてきます。出店エリアですね。

ただ、個人的にはそれほど重要ではないかなとも思います。

だって、本当に良いと思った店は遠くたってわざわざ行きますし、よくないと思った店は近くても行きませんからね。立地だけで、客層が決まるわけではありません。

従業員の態度

これは、かなりでかいと思ってます。夜の世界の場合は特にです。

どんな形態のお店であれ、お客さんと従業員はコミュニケーションすることが多いわけで、従業員の性質によって、客層も変わって来ます。

早い話が、「お金を積まれるならなんでもやるよ」的な女の子が働く店にはエロい奴(しかもそういう奴は態度も横柄だったりする)が集まって来ます。

「いやいや、だめです。私は安全なお店で働きたくて頑張ってるんです」というきちんと定められた接客内でしかサービスをしない硬派な女の子が働く店には、自然とジェントルマンが集まって来ます。これ、マジで。

中で働く人の人間性は、お店の客層を決める重要な要素です。

オーナーの人間性

オーナーの人間性に吸い寄せられるって一面もありますね。

ヤクザみたいなオーナーがやってる店にはそういう客層が集まったりします。類はともを呼ぶですね。

来店してるお客さんに一卓一卓回って必ず毎回挨拶してくれる真面目なオーナーがやっている店には、やはりジェントルマンが常連につきます。

「自分のことを気にかけてくれている」感というのは、やはり1対1のコミュニケーションだと強くて効きますね。

逆に、そんな真面目オーナーでも(いやだからこそか)、もう来て欲しくない横柄なお客さんには、わざと挨拶しなかったりしてますね。

悪いお客さんが増えると、従業員が疲弊するし、他のお客さんにも迷惑になるんです。
きっぱりと排除しちゃって良いって考え方ですね。その方がお店がハッピーになります。

最初のお客さん

店というのは、コミュニティそのものであって、「最初に来たお客さんが後から来たお客さんを排除する」という現象が割とおきると思ってます。しかも、意図的にではなく自然とそうなるって話です。

新規さんがお店に入った時に、どことなく「自分と違うな」と感じたらなんか居ずらくなるというか、自分とは違うのかなという引け目を感じるからです。まあ、夜の世界の場合はこれも割と強いです。

最初のお客さんで良い人がつけば、その後も良いお客さんが集まるような気がします。

以上、何点か見て来ましたが、ざっとこんな感じでしょうか。

いくつかの要因が積み重なって、
「どのお客さんが吸い寄せられるか」が決まって来ます。そして、そのお店にいる客層がそのお店の雰囲気をつくってしまうんだよというお話でした。
客層をコントロールしたければ、その辺を意識しながら設計すると良いかもですね。

今日はこれにておしまい。
また明日!