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大学に行く価値は、「学歴」と「学び」と「時間」

おはようございます。石川大貴です。

今日は、「大学」に関するテーマです。
まとまりのない、ぼやき程度の内容ですが。。。

いきなりですが、
僕が大学に行った時の思い出というと、
本気でやっていた部活動と、
あとは友達と飲んだり、授業になんとなく出席してごまかしつつ単位をとっていた。ようなことだけで。

何か人間的に成長したみたいなことって、学校の中ではほぼ無かったんじゃないかなという気がします。(もちろんこれはこれで、かけがえのない青春時代、思い出ではあるけれど)

つまり、わざわざ
①思い出づくり
②大卒という資格を取得する
この二点を得るために大学に学費と時間を使うことって合理的なんだろうか?
と僕はとても疑問に思っているタイプの人間です。

僕は、昔の時代を実際に生きたわけではないので、わからないですが、
昔は「大学」へ行く意味は今と少し違っていたんじゃないかなと想像します。

昔は、高度経済成長の時代は、大学進学率が10%程度の時代がありました。
つまり、大学へ行くのは一部のエリート。

大学へいけば、それは明確に、高給な就職先に繋がっていて、そういう意味では価値の高いものでした。おそらく、大学へ行くことを望む人も多かったはずです。食っていくために。良い生活をするために。上の階級へいくために。(この「階級」という言葉、概念自体も、昔の感覚なのかもしれません)

それが、大学進学率が20%になり、30%になり、今では50%(二人に一人は大学へ行く)を超えて、大学へ行くことが大衆化したわけです。

みんな普通に大学へ行く時代になった。

まあ、そんな時代でも「学歴」と「就職先」は昔ほどではないにせよ、まだ密接に関連を持っていることは確かですから、そういう意味では、大学へ行き、立派な「学歴」を手にすることは、幅の広い選択肢を手にすることになるのだとは思います。

遊園地でいう、フリーパスを手に入れるようなものですね。どのアトラクションにも乗れる可能性が手に入る。

さて、「学歴」の価値はまあある程度認めるにして、中身、そのコンテンツはどうなのでしょうか。

今回は、大学といってもいろんな大学がありますので、学校側ではなく、生徒側、受け取る側の姿勢の観点からみてみたいと思います。

みんな「よし勉強するぞ」と思って大学に一度は入ると思うのですが、結論、
今の日本の現状だとほとんどの大学生は遊んでると思います。(少なくとも僕が学生の時はそうだったと思います。数年前ぐらい)

これといってやりたいことも決まっていないので大学に行く。
言い換えると「未来の選択肢を先延ばしにする」ために大学に行っている人が多数派です。

「特に明確な目的が無い=ただ遊んで卒業する」
という学生の方が圧倒的に多いです。

あくまで僕の目から見てですけども。遊んでいたり、大学の中だけで生活していると大抵「自分と向き合う」ということをしないので、やりたいこともはっきりしないまま就職活動の時期を迎えます。

就職活動の1年間で、いろんな企業をみて回るだけで、じゃあ本当にやりたいこととか、自分に向いている道はコレだと確信を持てるのかと言えば、そんなことはない。

それが、絶対に悪いことだとも思いませんが「あ〜もったいないな」とは思います。
別の生き方、別の道もあるんじゃないのかなって。

大学は、国立だと年間60万とか、私立だと年間100万以上するわけで、それが4年間続く訳ですよね。

本当に日本中の親御さんには頭が上がりません。自分で学費を稼いでいる学生や、奨学金を借りて、将来返していく人もすごい根性だなと素直に思います。みんな真面目ですごい。

でも、少し考え直してみて、いろんな道を探ってみるのも良いんじゃないかなと思います。

「他のみんなもそうしているから」と行って、それが正しい理由なんてどこにも無いですからね。
疑問をもたずに大学へ進む、疑問をもたずに奨学金を借りる、それってもったいないなと思います。

学歴というフリーパスを手に入れて絶対に大企業へ行きたいんだ!という人や、
この大学でこの分野を学びたい!という明確な目的がある人は大学へ行って良いと思います。
ちゃんと勉強するんだったら、大学という場所は非常に価値を高められる場所です。

しかし、ほとんどの学生が「無目的で、遊んでいる」という事実がある。

例えば、目的もなく大学に行くくらいなら、1年か2年、他の選択肢を考えてみるのもアリだと思います。

1年間まるまる自由があって、しかも仮に100万使えるとしたら、だいぶ冒険できるでしょう。色々なことができます。遊ぶにしたって、別に大学へ行かなくたって遊べますしね。
いざ、就職するにしても大卒じゃなくても就職できるとこは今の時代、選択肢は多いですから。

以上、ぼやきのような内容になりましたが、まとめると、
大学には
①「学歴」を手に入れる
②「学び」を手に入れる
③「時間(就職するまでの猶予)」を手に入れる
という価値があります。

そして、
①の「学歴」は、価値は下がっているが、まだ有効なフリーパスである。
②の「学び」に関しては、生徒側の姿勢次第で0にも100にもなる。
③の「時間」は、遊ぶため(青春時代の思い出をつくるため)と、将来の選択肢を決めるためという二つの意味合いがあると思うが、大抵は前者しか満たされない。

こういう特質があります。

それらを考えたら、
「みんなが大学へいくから」といった程度の理由で、無目的に大学へいくことはリスクすらあると僕は思います。時間とお金のコスパがすごい悪いです。

だから、大学へいくならきちんと目的を明確にして「学びの深い大学生活を送る」か、
もしくは、「大学へ行かない何か他の選択肢を検討してみる」か、
そのどちらかにすべきと思います。

今日は大学に関するテーマでした。
これにて失礼します。いつもありがとうございます。
また明日!

これから先、人類が追うべき指標はなんなのかを考えよう

こんにちは。石川大貴です。

さて、今日は前回記事の続きです。
記事を読んでない方は先にそちらを読んでね。
(社会は、人間の「欲」に応えようとしてきた集積である)

前回では、

「こういう世界では、欲張りであることは悪いことじゃないよね」

なぜなら、

「世の中は、”欲”によって突き動かされていくから」

という話をしました。

人間が色んな欲を持ち続けているから、世界の誰かがその欲を満たすための発明をしてきました。
そうやって人間社会は発展し、人類の集合知として集積されてきました。

そういう背景を持ってして考えると、
「ビジネスの本質は、人間の欲に迎合していくこと」だと僕は考えてます。

簡単に言えば、ビジネスするならば「人が欲しがるものを作れ」って話です。
それもたくさんの人が強〜く欲しがるものを作れば作るほど、個人や会社は儲かります。

まずは、想像しやすい今の身の回りの生活を思い浮かべてみてください。
身の回りに何があるか。どんな「欲」があなたにあるか。

まずはやっぱり「衣食住」のビジネスはとても強いわけです。
生きて行く上で絶対買いますからね。今日も皆さん食べ物を買いましたよね。
食欲は数ある”欲”の中でも、絶対に外せない優先度の高い欲望です。

一方で、例えば「妊娠中の妊婦がマタニティフォト を撮りたい!」みたいな欲望は、そもそも持つ人も少なければ、優先度としては低いはずです。お金に余裕がなければ、他のことにお金を使うはずです。

そういう意味で、「生活必需品」を抑えたプレイヤーはとても強いってことですね。そうそう潰れません。(でも、「競争がある」のはまた別の話ね)。やっぱりなんだ言っても、衣食住のフィールドで戦っている企業は売上も半端ないし、めちゃくちゃ強いわけなんです。

なんとなく、「この世は欲で動いている」のイメージがわかってきたかな?

一方で、「世間に迎合せずに自分がつくりたいモノを作れ」的な、職人気質あるいはアバンギャルドな芸術家のような考え方もあるとは思います。それはそれで僕も大好きです。その心意気は素敵ですし、時にそこから人の心をグッと掴むような大作が生まれることもあるでしょう。

ですが基本的には「人の本能的な欲」に則していないモノはどんな売り方をしようが、長く売れないと思っています。世間に全くもって迎合しないでモノを作ることは、博打に近い(あくまで、経済市場に乗せる、お金を発生させるという視点で今は話しています)

やはり「売りたい」と思うならば、どうしても人間の欲に応えていく必要があります。

つまりは、世の中というのは誕生してこのかた
「人が欲しがるものを作ったものが得をするゲーム」の中で動いているわけです。

欲しがるものを作るほど、誰かに喜ばれるし、早い話がお金持ちになれるって話です。

このメカニズムはめちゃくちゃ強い力学であって、誰がなんと言おうと世の中はそのゲームルールの中で動いています。

人の欲→満たされる→人の欲→満たされる→人の欲→満たされる

人類史を通して、この無限ループがズー〜ーっと続いてることになりますね。それもあちらこちらで。

頭の良い人ほど、または野望の強い人ほど、
人々が欲しがるモノを懸命に作って、世の中に価値を提供していきます。
どんどんビジネスが生まれて行く。

私たちは、そんな誰かが生み出してくれたモノを消費して生きているわけです。

あるいは、会社で働く人は、ある製品の生産工程の一部となって誰かの欲を満たすモノを生産しているわけです。

だいたい全ての大人が生産者であり消費者です。

そのメカニズムが連綿と続けられてきた集積の上に成り立っているのが、僕たちが生きている今の世の中。

ことに、日本において言えば、めちゃくちゃ便利な生活です。
便利どころか、小さな欲やマイナーな欲まで満たしてくれるサービスが世の中にありふれています。もっと突っ込んで言えば、地方よりも都市部の方が、よりきめ細かなサービスやモノであふれかえっています。

そう考えると、勘が良い人は
「あれ、人間の欲って全て満たされてそのうちなくならないのかな?」って疑問が湧くと思うのですが、
答えは、「無くなりません」です。

これは、歴史を見たら明らかなことで、市場経済に乗った社会において「もう、このまま現状維持でいいや。何も成長しなくていい。何も新しいものはいらない。」という仙人のような境地に達した社会はないからです。それが、資本主義の宿命とも言えます。

それで、僕が言いたいことはここからで、
「このままいったら世の中はどうなるの?」という未来に対するクエスチョンです。

頭を柔らかくしてご自身でぜひ想像して見てください。この流れのまま社会が進んでいったらどうなりますか?
人間の欲があっては、沢山のビジネスマンや研究者がその欲に応えようと頑張って行きます。

ビジネスでは人の欲に応えて、売ろう売ろうするモチベーションが働きますから、
坂を転がした雪だるまみたいに、放っておいたら止まることは絶対になくてどんどん膨らんでいきます。資本は増殖し続けるんです。富は増え続けるんです。

途上国と先進国の両方でどっぷりと浸かっているからこそ感じることかもしれませんが、
日本の生活水準は相当上がっていると思います。かのアダムスミスも「”必需品”の基準は上がるのだ」と言及しています。僕たちは当たり前すぎて気づきませんが、めちゃくちゃ豊かな生活を送っています。(経済的にね)

フィリピンの「普通」と、日本の「普通」は全然違います。
1900年代前半の日本人の「普通」と、2020年の日本人の「普通」も全然違うわけです。

でもね、「どっちが幸せなんだろう」と言われれば、僕はわからないな〜と思うわけです。

確かに、圧倒的な欠乏状態では、「安心安全に普通に生きていくことすら難しい」状態ですので、
そこからは早々に脱するべきだと思います。

腹一杯メシが食えない、病気のリスクがでかい、戦争や事件に巻き込まれる危険がある、家族を守れない。
世界をみれば、まだそういう国がたくさんあります。僕もほんの一部を見てきました。それは、絶対に解決するべきです。

日本は、概して国民の大多数の人が「ある程度豊かな生活を得る」ことにすでに成功しています。

そこから先はもはや満足度の問題であり、必ずしも
「成長」「規模」「売上」「金持ち」「名声」「地位」「所得」
そう言ったような指標で測るのは、危ういのではないか?と僕は思っています。会社にとっても、個人にとってもそうです。

例として出すのはとても恐縮ですが、わかりやすいので言及させてもらうと、日本の名経営者「孫正義さん」は誰がどう見ても「成功者」だと思いますが、測る指標が違えば、「成功者」の定義も変わってきます。孫さんが成功者と言えなくなる可能性だって、見方によってはありますよね。
(あくまで、例として出しているだけだよ。)

田舎でお金はあまり使わず、自給自足して、地域の人とは沢山繋がりがあって、毎日コタツで過ごしてるおっちゃんが
実は「成功者」である可能性だってあります。

僕が話しているのは、
「これから未来、人類が追うべき指標はなんなのか?」
という話です。

そして、
「人類は本当に幸せになっているのか?」
という問いです。

豊かじゃない時代は、みんなで一つのゴールで良いんです。

強い日本を作ろう、豊かな日本を作ろう。戦争のない国にしよう。自由で安全な国にしよう。

まだ豊かじゃない時代(地域)では、そういう共通ゴールがあります。

希望を持って、野望を持って、せっせと頑張ることが共通の幸せの価値観になり得ます。
そういうモチベーションが、国民総じてある程度豊かな状態まで国を引き上げます。

実際に、世界中の先人たちのおかげ様で、今の私たちの豊かさがあります。それは感謝しなければいけませんね。

でもそこから先は、未知の領域であり、よーく考えなきゃいけない。一人一人がね。

成長し続けることが本当にいいのか。
次から次へと出てくるモノを、消費し続けることが本当にいいのか。
結局メルカリに出すことになるのに、新しいブランドものばかり購入することが本当にいいのか。
高給職を得ようと、奨学金を使ってまで都市の大学へ行くことが本当にいいのか。
生活コストのかかる都市に住むことが本当にいいのか。
お金を得るために、家族友人との時間を犠牲にして働くことが本当にいいのか。
大きな家や車を買うためにローンを借りて、働き続けることが本当にいいのか。
四六時中働きに出て、結果ほとんど家庭にいないことが本当にいいのか。

僕が、『これからの時代は
「意味」「生きがい」「価値観」「哲学」「幸福観」
そういったものが大事になってくるだろう』と口癖のように言っているのにはそんな背景があります。

世の中のメカニズムは、否が応でも我々の生活に対して、抗えない重力を及ぼしてきます。
ビジネスは相変わらずたくさん消費させようとしてくるし、人間社会は相変わらずもっと豊かになろうとしてくる。

なにも僕は資本主義を否定しているわけではありません。資本主義が機能してきたからこそ、人間の欲があるからこそ、一人一人が自己の利益を追求してきたからこそ、これだけ社会は豊かになったことはまぎれもない事実だと思います。そんな資本主義には、リスペクトすらあります。素晴らしい仕組みだと思います。

しかし、欠陥も多すぎる。
資本主義に替わる優れたシステムは今のところ見当たらないが、矛盾や問題点が蓄積してきている。

フェーズがもう変わってきています。
一つは、日本は総じてもう十分豊かになったから。
もう一つは、日本では人口がぐんぐん減っていく時期に入ったことが変わり目の一番大きな要因です。

「欲によって動く」社会のひずみがこれからどんどん出てくるんじゃないかと思っています。つまりは、「次を試す時期」なんじゃないかなと。

僕の未来の希望としては、「みんな幸せになれたらいいよね」というシンプルなものなので、あなた個人の生き方についてもよ〜く考えてみて欲しいです。

本当の幸せってなんだんだろう

あなたが追いたい指標ってなんなんだろう

ってね。

世の中や周りに流される必要はありません。常識に沿う必要もありません。答えは自分の中にしかないですし、その賛否を判断するのも自分ですから。

経済の話なのに、すごく人間味のある話になりましたが、今日はこれでおしまいです。
お読みいただきありがとうございました。またあした!

社会は、人間の「欲」に応えようとしてきた集積である

おはようございます。石川大貴です。

みなさん、週刊少年ジャンプは読みますでしょうか?

今連載中の「Dr.Stone」という漫画を知ってますでしょうか。

個人的に、この作者がかなり面白いなーと思ってまして。マンガとしてのストーリーもそうなんですが、おそらく良く勉強されてる人だな〜と感じるコマが多々あります。

ワンピースの尾田先生とかも、おそらく相当いろんなことを勉強していて、週刊ジャンプに載るような漫画家は、ものすごく勉強していているんだろうな〜と思っているところです。

Dr.Stoneを読んだことのない方のためにざっと説明しますと、

物語は、原因不明の「何か」の現象によって、人類の全てが石化してしまうところから始まります。

石化したまま何億年もの途方も無い時間が立ったので、文明は全部なくなってまさに原始時代と同じ状態みたいになりました。

地球には、何にも無くなりました。文明も社会も、人も。

そんな時に、一人の少年だけ石化が解けます。

その少年が、めちゃくちゃ頭の良い科学少年で、あらゆる知識を使って、これまで人類が発明してきたものを、一気に時代をワープする勢いで発明していくという筋書きです。

ラーメンとか、コーラとか、爆弾とか、化学物質とか。

石化を解く方法も見つけ、仲間を増やしながら、戦争などもありながら、色んなものを発明して、人類を再び発展させていくって話です。

その今週のジャンプのDr.Stoneの中でこんな感じのセリフがありました。

「こういう世界では欲張りでいることは悪いことじゃないよね」

このセリフは、あるキャラクターに向けられて発せられた言葉です。

そいつは、頭はキレるやつでとにかく欲張りなやつ。
今の原始的な社会では、毎食サカナものしか食べられないので、「毎日肉が食いてー!」と思いたちます。それから、気球を開発して地図を作りながら、獲物が豊富にいる場所を発掘します。

次は、「食料市場ができたら、回り回って自分がガポガボ金儲けできるぞ!」と思い立ち、稲穂(イネ)を探す旅へ出かけようとしています。

そんなキャラクターに向けられた、
「こういう世界では欲張りでいることは悪いことじゃないよね」という言葉。

これが、結構深いなーと思っていまして。

「我々の世の中というのは、”欲”によって方向付けられてきた」と言っても過言ではないと思っています。

もっと美味しいものを食べたい。
肉を食べたい。
肉以外の野菜も食べたい。
毎食お腹いっぱい食べたい
寒いのが辛いのであったかい服や家が欲しい
家族を守りたい
偉い地位が欲しい
お金が欲しい

時代によって、”欲 “の形は変わるものの人類が生まれてこのかたズー〜ーっと人間には”欲”がつきまとっています。

発明の活力のとなるのは、もとを辿れば大抵は人間の”欲”です。

つまりは、人間が欲を持つ方向に社会は進んでいくということになります。

だから、美味しいものがこの世にどんどん出来ているわけです。

言ってしまえば、人間の”欲”に応えようとしてきた集積が、今の世界です。

そう考えると、
「こういう世界では欲張りは悪いことじゃないよね」
は、めちゃくちゃ深いわけです。「こういう世界では」を翻訳すると、「圧倒的に欠乏した世界」のことです。

満足に食べれない、安心安全に生きて行くことが難しい時代。

人類の歴史を見ると、ほとんどの時代がそんな欠乏時代だったわけで、今のように「みんなが普通に生きていける」時代になったのはごく最近の話です。食料が不足してたし、病気に負けてたし、戦争があった。

そこから色んな人が、発明して「人類の集合知」が上がってきたのです。Dr.Stoneの最初に石化が解かれた主人公は、そんな「人類の集合知」を保有しているので、何万年もかかってきた進化をすっ飛ばして社会を進化させていけるとも言えますね。

野望を持つこと、欲張りであることは、発明のモチベーションそのものになりますから、こういう時代では「欲張りさん」は必要なんですね。それが社会を付き動きますからね。

きっと、今後のDr.Stoneの中でも、この欲張りキャラクターはきっと大活躍して行くと思います。(でも、そしていずれ破滅するかもね)

ということで、
今日の結論は、「この世は人の欲で動いているんだよ」という社会のお話でした。

また明日!

「起業家」と「企業で働くサラリーマン」は全然違う!

こんにちは、石川大貴です。

さて、今日はビジネスの話です。

どちらかと言えば、「これから起業を考えてるひと」向けのお話です。

ぼくは、「起業」と「大企業」の業務をどちらも経験したことがあります。

それでやはり、企業のなかで働く人と起業家という生き物は、全然様子が違うな〜と感じました。

まず起業家は、千手観音にならなければいけません。

起業家の業務は、単一ではなく、常に流動的です。

人が恒常的に足りないのがベンチャーなので、発生する業務は経営メンバーで吸収することも多いです。

もちろん、専門性を要する業務、自分たちで能力が大幅に足りない業務、事業を成長させる上でスピードや質が求められる業務などは、費用に見合うだけの効果が見込めれば積極的に外部へアウトソースします。

それでも、やらなきゃいけないことは沢山残ります。

僕の経験を振り返ってみても、事業計画の作成や、登記などの手続き系から始まって、ウェブサイトのラフ作成、リスティング広告の運用、広告用クリエイティブの作成、SEOの向上、採用活動、社内の育成と調整、お客様の対応、飛び込み営業、社内のトラブル対応、競合先の調査、収支計画の作成、ウェブサイトのアクセス解析、戦略策定、経理処理などなど。

初めてやる業務だらけでしたが、それなりのレベルではできるようになったと自負しております(ホンマか笑)

とにかくベンチャーは、事業のフェーズによって次から次へ必要な業務が発生してきます。

初めて起業する人にとってはどんな業務が待っているのか予測することもなかなか難しいと思います。

千手観音になって、とにかくなんでもやらなきゃいけない。それが起業家です。

知らないです。やったことがないです。当たり前ですが、そんなことは言ってられません。

自分で考えて、自分で学んで、自分で実践して、自分で改善していかなければいけません。社内には教えてくれる人はいないわけなので。

なので、ベンチャーで重要なスキルというのは、実は「学習能力」そのものだったりします。

なぜなら、業務が流動的であり、次々と出てくる業務に柔軟に対応していく必要があるからです。学習能力が高ければ、まあなんでもやっていけるからです。

企業は、この逆と捉えてもらったら大体その通りのイメージだと思います。

そもそも企業というのは、分業化が進んだ先に生まれた仕組みです。

人間社会そのものを見てもそうですよね。

もともとの原始的な時代では、まず家族、親族単位で行動していて、そこから時間軸が進むにつれて、村ができて街ができて、都市ができていくわけです。

みんながみんなの家族単位でそれぞれの家族が、道具を作って、狩りにでかけたりするよりも、村社会全体単位で、道具を作るのが得意な人が道具をつくって、狩りをするのが得意な人が狩りにでかける方が生活は豊かになります。効率が良いからです。

「作った道具」と「狩りで得た獲物」を交換すればお互いに、よりハッピーになりますよね。
人には、今も昔も向き不向きがあります。大昔だって、手先の器用な人間と、スポーツ万能な人間がいたはずです。

道具作りに専念すれば、それだけ経験の蓄積も増えるので技能レベルもあがります。新しい道具だって発明されるかもしれません。狩りに専念すれば、狩りの習熟レベルはぐんぐん伸びます。新しい手法や新しい獲物も開拓できたかもしれません。

いつの時代にか、誰か天才的な村長さん一人が、「よし明日から分業しようぜ!」ってひと振りして始まったわけではありません。

そもそも世の中は、富を求めるならば分業されていくという仕組みの上にあるので
「それぞれの人間が、それぞれよりよい生活を求めたら自然と分業制になった」って話です。

これが分業です。社会は、自然と分業化していくんです。
仕組みとしてそうなっていて、分業のプロセスを経て発展していきます。そして、1700年ぐらいから始まった産業革命以降にこの分業化は、トンデモない勢いで一気に進みました。

企業ではある程度大きくなっていくと分業化を進める方が合理的です。つまり、「あなたはこれだけやって」、「あなたはこっちをお願いね」、「あなたはこっちね」ってゆう話です。
逆にいうと、「そこから逸脱するなよ」「分際をわきまえてね」と悪くいうとそういう一面もあります。

仮にも、みんながみんな好き勝手に動いて、分業せずに個々が横断的に様々な業務に手をだしたら会社全体としての出力は下がります。個々の責任感や充実感は増すのかもしれませんが。数十人規模などまだ小さい規模なら可能かもしれませんが、それ以上大きくなったら無理な話です。

そんな社会の仕組みや、企業の仕組みを背景にして考えるとよく分かります。

分業制である企業の中では、業務は「単一的」になっていくし、「固定化」していきます。
色々手を出すより、一つのことに集中して時間を注ぎ込む方が効率的ですからね。自然とそうなります。むしろ、それが健全といっても良いかもしれません。だから、起業家が千手観音ならば、企業人は大仏さまですね。「二本の手で十分だからちゃんと専門化して、その分野だけで良いからちゃんと高い成果だしてね」って話っす。

転職する人の多くが「大きな歯車の一部になるのが嫌だ」と言う人が多いですが、それもそのはず、当然です。大企業からしたら社員は一つのパーツに違いないわけですし、もっと言えば社会からしたら、職業ということ自体が一つのパーツなわけですからね。そうやって社会はできてる。逆に、分業しなかったら全体として豊かな生活はできなくなります。巡り巡って、自分にも返ってきます。

話がいつも通りそれましたが、
起業家と企業人ってだいぶ違いますよね。

ここから何が言えるかというと、だから

「起業で成功したいから、一度企業の中で修行する」という人がよくいますが、
ぼくはナンセンスな選択かなと思います。

だって、全然違うもん。

「起業がしたい」のであれば、さっさと起業した方が良いと思います。失敗するにしても、はやく起業の失敗をするべきです。

もちろん企業の中で長年修行したとして、得たズバ抜けた一流のスキルは武器にはなるでしょう。
営業とかITとか。でも、さきほど言った通り起業の中で必要な力は流動的であり横断的なので、企業の中でそれらを全部養っていくのは厳しいと思います。

だから、結論としては、

「これから起業を考えている若い人は、どうやったら最短で起業できるかを考えた方が良い」
ですし、
「いま企業の中で働いていて起業したいなと思ってる人は、いますぐにでも辞表を出して起業したら良い(できなければ週末起業とかしたら良い)」です。

理由は、起業と企業の中で働くことは全然違うから。はい、以上!

ただし、例外があります。
①「どうしても思い入れの強い業界があって、その業界で起業しようと思ってる」場合と、
②「事業をやる上で相当キーポイントとなるスキルが明確である」場合です。

まず①ですが、「業界知識」というのは起業の成否に関わってくる無数の要素の中でもめっちゃ重要な一つです。業界の中でドップリ浸かって、誰も知らないような業務特有の知識を知ってれば、それだけでイケイケのビジネスモデルができる可能性があります。間違いなく強みになります。逆に、業界に関してあまりに無知だと、起業した後に「業界知識」を学習していくはめになるので、特有の業界構造のワナにハマってしまうリスクもあります。「うわ〜、知らなかったマジか!このビジネス上手くいかないじゃん!初めから知っておけば…」と残念な感じになることも。なので、業界を決め打ちしてる場合は、まず企業に入って働けば深く業界を知れるので、戦略としては極めて有効かと思います。スキルも身につくし。

そして、②の「事業をやる上で相当キーポイントとなるスキルが明確である」場合では、例えばですけど、ブロックチェーン関連で起業したいなどのケースです。この場合は、その知識とスキルそのものが、他社との優位性、事業の成否に大きく関わってきますので、まずその分野でゴリゴリの一流になるのは戦略としてアリです。「学ぶ」という意味では、分業制の権化とも言える企業の中にはたくさんの知恵が詰まってますし、教えてくれる先輩もいる、しかも給料も貰えるわけですから、使わない手はないでしょう。特定のことを学ぶ環境としては、最高なんですね。

さて、なんとなくイメージは掴んでいただけたでしょうか?

今日は起業人と企業人という観点でのおはなしでした。少しでも参考になれば嬉しいです。ではまた明日!今日も一日頑張っていきましよう!

「孤独」は自分の成長をつくり、「友人」は幸福をつくる

こんにちは。石川大貴です。

今日のお話は、孤独と友人について。

僕は大学を中退してからというもの、本当に友達がいませんでした。

フィリピンへ行っていた時も、日本人で唯一つるんでいたのは一緒に住んでいた30代後半のおっちゃんだけでした。日本へ帰ってビジネス頑張ってる時も誰とも会わない生活をしていました。

今の奥さんとも遠距離恋愛で、3年半の遠距離で会ったのは合計3日間だけです。とにかく生活のほぼ全ての時間を「自分の成長」のためだけに使っていました。

優先度を考えて、「時間を何に使うのか」の明確な判断軸を持っていたので、
「友人に会う」ことはあえてしませんでした。

4年くらいはそういう生活を365日続けてました。

そうなると必然的に友達はいなくなるわけですが、ここ最近家族ができたこともあり、
少しずつ(本当に少しだけど)友達と普通に会ったりし始めました。

そんな生活をいざしてみると、これはこれで「かなり幸福度が高いな」と思い始めています(これが当たり前の感覚なのかな笑)。どちらも経験したからこそ自信をもって言えることです。

・一緒に食事をする
・お互いの家を行きあう
・もらい物をしたり、何かをあげたりする
・お互いのイベントごとがあったら自分のことのように喜び、つらいことがあったら心配してくれる

全て僕がこれまで捨ててきたものだったので、この何気ないことがとても幸せに感じます。

「孤独」と「友人」

今回言及しておきたいのは、「孤独になること」は人生の中ではとても大事な意味を持ってくるということです。

今のデジタルネイティブの若者は、常に誰かと繋がっている時代です。
「孤独」であることを経験する人が減っているように思います。

若い時の孤独の数年間は、本当に有意義な時間を僕にくれました。

不思議なもので色々と動き回っている中で、「あ、僕も友達全然いないっす」みたいな人に会うことも多くて、そういう人は例外なく「どこか面白い」人でした。何かしらの「芯」を持っていると感じる人で、実際優秀な人が多かったです。

孤高の期間は、自分だけの世界観を作り出します。

周りになびくこともなく、自分のための時間もたくさん生まれるからです。
「自分」が確立されていく、孤独であることは人として成長するための条件にすら思えます。

孤独と友人。

どちらも素敵な時間をくれますが、死ぬまで孤独でいるのも相当覚悟がないときついと思うので、友人は少しずつ作って大事にしていくことも幸せにつながると思います。

いつの時代も、幸福になるのが人生の目的だと思っています。

人生のライフステージに合わせて、孤独である時期と、大切な友人との付き合い方も考えていきたいものですね。

大学に行くことに意味はあるか考えてみる

こんにちは。石川大貴です。

さて、今日のテーマは「大学」です!

 

日本には確か私立・公立合わせて800ぐらいの大学があったかと思います。
確かそのくらいだったと思います。とにかく、日本には沢山大学があります。

数だけの話でいえば、実はこんなにたくさんの大学はもう必要ないと、僕は思っています。

ご存知の通り日本の人口は減り続けてます。2018年、つまり昨年を機に、大学入学する人数は確実に減っていきます。人口動態的に、間違いなくそうなります。

おそらく大学は、存続の危機にさらされる試練の時期でもあると思うので、潰れるなり、形を変えるなり、何かしらの変化が起きてくると思っています。

大学の歴史というのは、結構面白くて、本当にもともとの起源はヨーロッパだったかと記憶してます。12世紀前後くらいだったと思います。諸説ありますが、「ギルド」のような形で自治組織として作られたのが大学の走りです。つまり、純粋に「自分たちで色々学ぼうよ」ってノリで作られたものですね。

そこから世界へ広がっていく過程で、各地の社会事情に合わせて「大学の仕組みや役割」は異なっていきます。

1700年頃に徐々に産業革命が始まって、19世紀、20世紀には一気に商業社会、工業社会へ変わっていくわけですが、その中で特にアメリカで大学は栄えました。
アメリカでの大学は、今の日本の大学のイメージに近いと思ってもらっても良いと思います。
(ただし、日本よりもちゃんと勉強させるし、厳しいっす)。
似てるのは当然で、日本の大学制度は主にアメリカ式の大学制度を輸入したものだからです。

社会の変化を見る上で、「大学進学率」は一つの指標として面白いです。
日本では、1960年とかそこらでは大学進学率は相当低かったです。確か20%も行かなかったはずです。(さっきから、ぼんやり記憶で話してるのでざっくりと聞いてねw)

つまり、エリートだけが行く場所です。
大学は、高給な仕事につくために必要なスキルや能力を身につける前段階の準備、その教育機関として機能していたわけです。

お金もかかるし、
(「お金」というのは、学費だけじゃなくて、学ぶ間の時間の猶予も含めて。だって大学に行かない人はすぐに働きに出て収入を得られるわけなので、学ぶには生活費、時間の猶予が必要です)

しかも試験のハードルも高い。
誰もが行ける場所ではありませんでした。しかし、その分「高い」能力を身につけるのにある程度の機能を果たしていいたのだろうなと推察します。

そのあとは、みなさんご存知の高度成長期に突入します。
1960年代から、日本の「大学進学率」はぐんぐんと上昇していきます。この数十年で大学の数もどんどん増えていきました。

それだけ、商業・工業が成長して、「高給な仕事」の需要が増えてきたとも言えますね。
とにかく、高給な仕事につくため、社会にとっても使える高能力の人材を作るために「サラリーマン養成機関」として、大学が機能してきたのだろうと、僕は思っています。

大学進学率はぐんぐんと伸び続けて2000年代には50%を超え、近年では60%にも届く勢いです。
二人に一人以上が大学へいく時代になっているのが今の世の中です。ちなみに、先進国はだいたい「大学進学率」は50%を超えています。お隣韓国も60%超えていたような気がします。

つまり、大学は大衆化してきた、ということです。

さて、ここまで社会全体の話をしてきましたが、ここで話を僕個人の例に一気に引き離します。

今日考えたいのはズバリ「大学に行くことは意味があるのか」です。

みんなが気になることだと思いますし、今の時代よく考えた方がいいだろうと思っています。

僕の子供も「大きくなったらどうさせるか」は考えておきゃなきゃいけないなと思ってます。

じゃ、話をしていきます。

僕は、1年の浪人を経て東京外国語大学へいきました。
外国語ではNo1の学校なので結構レベルは高い大学だと思います。

それで、僕は7年間ほど在籍しのちに大学を中退しました。うち3年ぐらいは休学してました。

中退した理由は、「自分がやりたい方向性が定まってきて、大学にいることは時間がもったいなくなったから」です。

ただ中退したからと言って、安易に「大学は意味がない」と結論づけるつもりはありません。

まず
①選択肢の幅が広がる
②時間の猶予が得られる
③興味があれば学べる
の三点で大学には価値があると思います。説明していきます。

①選択肢の幅が広がる

言わずもがな、これは就職の話です。レベルの高い大学へ行くほど、いわゆる高給の企業や大企業に入れる確率は高くなります。東京外大でも「良い」就職先に行く人が沢山いました。今の時代でも学歴は立派に機能していると思います。「学歴だけで判断するなんて!」みたいなことがよく叫ばれますが、仮に僕が採用担当だっとしても、学歴は一つの指標として加味します。まあ、当然の話だと思います。受験をパスしてきた、少なくとも試験や論文を乗り越えてきた、という意味である程度の訓練は受けてることを意味します。全く何もしてこなかった人間と比べるならば、まだ信用があるのは当然っちゃ当然です。大手の採用担当も大卒なはず(=自分も同じ苦労をくぐり抜けてきた)ですから、そうなるのは当たり前です。
(でも、大学行ってない人でも、例えば「中学生の頃から自分で作曲にハマって曲を作りまくって、この前テレビにも出ました」みたいな変人がいれば僕は問答無用でそちらをとります)

②時間の猶予が得られる

これは結構でかいと思います。僕がこれを活かせたパターンですね。普通大学へ行くということは、「働くまでに少なくとも4年間の時間的猶予が得られる」ことを意味します。そうじゃない人は、すぐに働いて収入を得られる訳ですが、大学へ行く人はそうではありません。収入もないくせに、学費も生活費もかかります。機会損失がある代わりに、時間を得られます。
高校を出るまでに、「自分がやりたい方向が定まっている」人はかなり少ないと思います。僕もそうでした、ボッーとして生きていたので何も考えてませんでした。日本だと、こういう人が大多数だと思います。チコちゃんにみんな怒られるのが日本です。その場合には、大学へまず行って、 在学中に「自分の方向を定める」ことは戦略としては大ありだと思っています。ただし、最悪なのは「方向も定まらない、勉強もせず何も学ばない」ケースで、僕はこのケースが今の日本で一番多いんじゃないかと思っています。学費は、国立だと年間60万ぐらい、私立だと倍の年間120万ぐらいかかるわけです。要は、ただ遊んで時間を浪費するためにそれだけのお金をかけてるようなもんだと僕は思っています。それなりの所に就職するんだったら、別に大学に行かなくたっていいじゃんと思います。それに働く前に「遊ぶこと」が目的なのであれば、1年ぐらい集中して、日本でも世界でも自由に飛び回って遊んだ方がよっぽど効率が良いと思ってます。遊びは、やりすぎると大体飽きます。
つまり、「大学へ行って時間を浪費する」パターンが最悪で、これは絶対に避けたいなと思うわけです。

大学がまだ「サラリーマン養成機関」として機能していた時代、社会にまだまだモノがなく豊かではない時代でしたから、「豊かになろう」がみんなのゴールでした。わかりやすい時代です。みんなで一つのゴールを目指すわけです。

その頃は企業のライフサイクルも長かったです。「一度企業に就職すれば定年まで働ける」は、普通にみんなが持っていた感覚でした。しかし、現代は企業の寿命がだんだんと短くなっていて、昔は企業の寿命が60年とか言われてましたが、今では10年単位で会社も生まれ変わります。新しい企業が出ては、古いのが衰退して行く。確かに変化の激しい時代です。
そうなると、「一度企業に就職すれば定年まで働ける」は成立しません。つまり、職能(仕事に必要なスキル)も一つではダメだし、新しいことをどんどん学んでいかなきゃ行けない。

そういう意味では、大学のうちに少なくとも1つ専門性を身につけておくという経験はとても大きな軸になります。年をとって変化しなきゃいけなくなったとしても、軸が一つある人間は他のことだって学んで行けます。強いです。

あるいは、大学のうちに様々なことに挑戦して、複数のことをしっかりと勉強・経験することもすごく有意義だと思います。これからの時代にもあっています。

そのどちらもせずに、何も勉強しない、何も経験しない、ただ部活をやってバイトをやって、遊んで、卒業は最悪です。めちゃくちゃお金が勿体無いと思います。

僕も子供が大きくなったとき、高校卒業してまだ「自分の方向性」が定まってなくて、本人が「大学へ行きたい」と行ったら、進学は考慮します。
ただし進学した場合は、大学の「外へも出る」ように促します。僕がやりたい方向性が見つかったのも、大学を休学してフィリピンへ行ってからでした。留学でもないし、語学学校でもありません。ただ、好奇心に任せて動いていたら偶然導かれるように、自分の方向性が見つかってきました。学校の中には予定調和しかないので、とにかく外に出るように環境を整えてあげます。

あるいは、子供が特に「時間の猶予」だけが欲しいのであれば、他の選択肢も考えると思います。時間の猶予を得るために大学へ行かすのは、はっきり行ってコスパが悪い。(優等生で真面目に大学でも勉強を続けて、一流企業に就職するような子なら別ですが、多分チャランポランな僕の息子はそうならないと思うので。)
海外に興味があれば、とりあえず海外へ放り込むし、例えば音楽とか絵画とか、あるいは職人とかなんでも良いけど何か興味があるのであれば、修行できるような、本物に触れられるような環境に放り込む(ことを提案する)と思います。

③興味があれば学ベる

これは、大学の中身自体の話ですね。僕は、「大学の授業自体には価値がある」と思っている立場です。ただし、一番重要なのは「興味があれば」という枕言葉です。

本人に興味がなければ、前述のとおり大多数の大学生はダラダラします。チコちゃんに怒られるパターンです。ただ「単位を取るために」勉強するだけです。これははっきり言ってめちゃクソ意味がないと思います。知識も残らないし、別に興味もないから脳みそも喜ばないし、自発性ももてない。ただの作業になります。だから、子供がその分野に強い関心興味を持っていれば、大学は価値を発揮しますし、そうでない場合は「ほぼ学ばないよ」と思ってもらって良いと思います。

なんだかんだ言っても、大学にいる教授は(どこの、どのレベルの大学であっても)その道を何十年も突き詰めてきた専門の人です。変人です。
その人が話す講義は、興味を持って聞けば面白くないはずがなく、学べることはたくさんあるでしょう。ちなみに、僕は自分の学校はかなりサボってましたが、他の大学の授業に出てた時期もあります。歌舞伎や能の講義とか、企業の歴史とか。どんな分野であっても、学べることは確かにあります。

だから、僕の子供も高校までにすでに特定の分野に強い興味を示せば、その大学へ進めることは考えますね。あるいは、専門学校でも良いです。ただし、そうじゃない場合は、先ほど言った通り、「大学進学で時間的猶予を得て、外で色々経験させる」か、「大学以外の選択肢を考える」ですね。

以上、いつくかの観点で「大学は意味があるのか」をみてきました。

ご自身のケースに当てはめてみて、ぜひ考えてみていただけると僕も嬉しいです。そのあとの人生に大きく道が変わってくる選択だと思います。幸せな人生になることを祈っています^ ^

では、今日はこれで。また明日!

ロボットがペットになる未来がくる!?

こんにちは。石川大貴です。

クリスマスの夜に書いています。
今日はただの、世間話的な内容になります。

昨日はたまたま情熱大陸をみました。ロボットエンジニアの林要さんでした。あのペッパーくんを開発した超一流のエンジニアさんです。

彼らが今つくっているのは、「ラボット」と呼ばれるロボットだそうです。

このロボットは、何もしないそうです。

いままでの文脈とは全く異なる思想で作られている印象です。

ロボットというのは、基本的には人間社会において自動化を進めるためのものです。役に立つものです。

作業をよりラクにしてるくれる、より高速で、より優れた質で作業をやってくれるのがロボットです。

ロボットがあることによって、私たちの生活はより便利になるか、よりラクになるかのどちらかです。

「痛みがなくなっていく」という表現が適切かもしれません。人間社会は、ロボットによって段々と無痛文明、つまり、不便さが解消された世界、痛みが消えた世界へと向かっていきます。

ところが、彼らが作っている「ラボット」は、その文脈とはまるで違います。

ラボットは、何もしない。ただ側にいるロボットです。幸せになるためのロボットなんだそうです。

便利にするためでも、ラクにするためのものでもありません。

ペットの感覚に近いかもしれません。いつもそばにいてくれる存在。愛着をもつ家族のような存在。

「ラボット」は、生き物に近いような感覚で開発されているらしいです。

体温があったり、呼びかけたらこっちを向いてくれたり、いろんな表情をしたり、人見知りをしたりもするそうです。

転んだら自分では起き上がれないので、起こしてあげなきゃいけないんだって。ふふ、面白いですねー。

本当にめちゃくちゃ高レベルの技術力で作られてるんだなと思います。

こういうペットに近いようなロボットや小型のコミュニケーションロボットは昨今の日本では、実はたくさん作られています。

これは、日本特有の動きなのだとも関係者から聞いたことがあります。

海外では、日本ほど多くのベット型ロボットや家族型ロボットは存在しないそうです。
どこか思想の違い、文化の違い、アニメの影響や、人型ロボットドラえもんとか鉄腕アトムとかの影響とかもあるのかもしれませんね笑。本当のところは分かりませんが。

ビジネス的に、世の中の人が、ただ側にいてくれる「ラボット」のようなものを求めているのか、求めていないのかも正直わからないなと僕は思います。

僕自身はは必要ないなとは思いますが、日本の超トッププレイヤーである林さんが事業を進めていて、莫大な投資も集めていることから、「ラボット」というサービスが世の中に埋め込まれる未来も近い将来ありえるのかもしれませんね。

「問題」は発明されるものであって、新しい市場は誰かの手(ビジネス)によって作られていくものです。

側にいる存在なしでは寂しく感じて、一家に一台「ラボット」が飼われる(買われる?)時代もくるかもしれません。

変化していくこと自体は、とてもワクワクしますし、日本独自の流れなのであればとても面白いことだなと思います。

一方で、昨日の情熱大陸をみながら「ん〜」と頭を抱えるようなモヤモヤ感も感じました。

ここから先は完全に僕個人の感想です。そして、ビジネスうんぬんというより人間としての話です。

愛着の持てる家族型ロボット「ラボット」。

実際にさわりもせずにあれこれ言うのは筋違いだなとは思いつつも、
僕はあまり美しいものではないのかなと感じます。

というのも、生物が根本的な生きる過程からは外れているモノだと思うからです。

どれだけ生き物に寄せようと、それはモノです。

自然にまばたきするように、体温を感じるように、人見知りをするように、手間がかかるように、設計されているわけです。

そこに決定的な一線があります。

赤ちゃんが生まれ、だんだん大きくなり、大人になって自分の子を産み、子を育て、年寄りになって、死んでいく。

生き物は、この過程を経ることが自然だと思います。地球が生まれて以来、ずーっと行われて来た生物のもっとも根源的な過程です。

今は結婚しない選択もある時代ですから、自分の子を持って、育てるという過程がない人もいるかも思いますが、やがて死んでいきます。

最初と最後はみんな同じです。致死率100%です。そして、いつどういう運命で生まれ、死んでいくかは誰にも分かりません。

ペットも同じだと思います。同じ生き物です。

ここに何か決定的に大事なことがあって、家族の愛着というのはそういった生命の自然の過程の中で生まれていくものなんじゃないかと思うわけです。

人が生きると書いて人生ですから、この基本的な生きる過程が抜けてしまっては、もはや人生ではないと思うわけです。やっぱり生きていてこそ人間の人生になるし、ペットも同じだと思います。生きていてこその生き物です。

昨日の番組の中でたしか、ラボットは「一人家族が増えるような感覚」、といったような言葉を発してしたような気がしますが、プログラムされた人工物がただ側にいることには全く美しさを感じないのです。家族の愛着とは決定的に違うと思う。

手間がかかるというレベルではなく、家族はめんどくさいものだと思います。ペットもそうだと思います。

けんかもするし、面倒みなきゃいけないし、病気にもなるし、相手のことが分からず理解し合えないこともあるし。そして、死ぬし。

でも、一緒にいてたまらなく嬉しい瞬間もあります。死んでしまった時にこれまで経験したことのない悲しさが襲います。

例えば、人生や生き物にはいろんなシーンがあります。

クリスマスの朝、子供がプレゼントを開けている光景。
余命宣告されて残された時間を家族と戦う光景。
赤ちゃんが生まれた時の光景。
カップルが喧嘩している光景。
ペットの猫をやさしく撫でている光景。
ペットの犬が病気になり最後の瞬間をみんなで看取っている光景。

その逐一が、僕には美しくうつります。

それがなぜなのか?

それはよくわかりませんが、自然的な日常の姿に、そのはかなさに、僕は美しさを感じます。

そうあるべくして作られたモノに、それと同じ美しさを感じることはありません。

人工物に対して美しいなと思うことはもちろんあります。スペインのサグラダファミリアなんかはとても美しい。建築美を追求した人間の結晶だと思います。その努力と探究心と建築家の美学に心を奪われます。今回の「ラボット」に感じる美しさも、どちらかというとこれと同じ種の感動です。

技術としての高さ、技術者たちの途方も無いような苦労。まだないものを創っていく冒険と挑戦。それ自体はとても素晴らしいことだと思いますが、建築物に感じるのと同じ美しさです。家族に感じる美しさではありません。

ですので、「ラボット」を「家族」と呼ぶのには僕にとってはあまりにも違和感があります。自分の子供には絶対に買い与えないと思います。

たとえ、家族型ロボットが日本に普及される未来が来たとしても、そのあと揺り戻しがきて、

「やっぱり家族っていいよね、ペットっていいよね」

となって、家族を持つ人が増える、人との付き合いが増える、実際の生き物のペットを飼う人が増える、という流れが僕が考える一番美しい未来かなと思いました。

まあ、実際どうなるかはわかりませんけどね。

てなことで、今日はロボットと人間に関する空想話でした。

メリークリスマス!家族、友達、もしくはペットとハッピーなクリスマスをお過ごしください!

また明日。

 

 

 

今の時代、「結婚」は選択肢である

こんにちは。石川大貴です。

妻が切迫早産で突然入院することになったので、毎日付き添っている病院でブログを書いています。

早産の可能性があるかもしれないから、それを出来るだけ抑えるために即入院とのことだったのですが、よくある話ではあるみたいですね。

こうして自分たちで経験してみないとわからないことですが、
やはり子供を産むという行為は命がけなんですね。実際に昔はたくさんの人が出産の過程で命を落としていたわけで。

「結婚して家族になり、子供を産み、育てる」という人類史上ずーーっと行われきた、この人間のもっとも根本的な行為に対して、畏敬の念というか、慈しみみたいな気持ちがスーッと湧いてきている毎日です。

最近は街中で「家族」を見るだけで、なんかホッとします笑。僕にとっては、結婚前後で、なんだか世界の見え方が変わったみたいです。

子供の頃は基本的に両親に守られているいるのでまあ気づきませんが、こうして自分で苦労を積み重ねていくと「大変さ」がわかってきて段々と「有難さ」がわかってきます。

映画をみていても大体のパターンが、「家族」を守るためにパパがテロリストと戦ったり、ゾンビから逃げたりしてますもんね笑。「家族」はもっとも普遍的なテーマなんだと思います。

さて、今日は「家族を持つ人と持たない人」という話です。

おそらくこれからの日本は今よりももっと「家族を持たない人」も増えていくと思います。

一昔前は、「家族を持って幸せになる」は社会の共通の価値観だったと思います。
まあ、今もその傾向は強いとは思いますが、様子が変わってきています。具体的な変化として二つあると思います。
①女性も普通に働く人が増えてきた
②お一人でも幸せに生きられる社会になってきた
それぞれ説明します。

①女性も普通に働く人が増えてきた

これはどこの国でも経済が発展していくと起きる現象です。女性の社会進出ですね。
なぜ発展すると女性の社会進出が進むのか?

複数要因があるのはそうですが、「人は本質的に仕事をしたい生き物だから」が一番大きい要因なんじゃなかろうかと思ってます。まあ持論ですが。

みなさん忙しくしているので経験したことがない方もたくさんいるかもしれませんが、「何もやることがない」というのは想像以上に辛いです。

なんかの心理学本で読んだことがありますが、真っ白な何もない部屋に実験者を入れて、何日過ごせるか、どうなるのか経過をみるみたいな実験があったのですが、全員が何日目かでギブアップしたらしいです。僕もニート生活をしていた期間もあるのでなんとなくわかります笑。

それで、やっぱ女性だって働きたいわけです。子育てもあるけど、本質的にやっぱ働きたい。
人間とは、そういう根源的な欲求を抱えている生き物です。

あとは、その方向に向かって社会が進むだけです。

社会は人間の感情や本質的な性向にそって、時間をかけて変化していくものです。

くそまずい食べ物しかなかったら、なんとかして誰かが美味しい食べ物を作りだろうとします。

めちゃくちゃ痛い症状が出る病気が蔓延したら、それを防ぐ薬を誰かが必ず開発します。

それと同じです。

女性も働きたい。あとは、その方向に向かって動くだけ。

会社側が女性向けの採用を増やしたり、誰かが女性差別は反対だ!と訴えてその記事が世の中に出たり、託児所が増えたり。一人一人の行動の集積で社会全体が「女性の社会進出」へと進んでいきます。

②お一人でも幸せに生きられる社会になってきた

こっちはめちゃめちゃ便利な世の中になったからという話です。

もうコンビニさえあれば別に生きていけるし、DVDとかネットフリックスとかアマゾンとか一人向けのエンタメも圧倒的に昔より増えてます。今は一人で飯が食える店もいっぱいあります。

本来、歴史的には「家族」を持つことが重要な意味は「生存確率を高めるため」だと思います。

生物学的に言って、ヒトは必ず死ぬわけなので、子孫をできるだけ残さなければいけないし、種はは個体が増えれば増えるほど強くなります。

協力や役割分担が見事にできるのは、人間が他の動物よりも優れている点です。

映画でも、一人でいるよりも、複数人でいる方が生存確率が高いですよね
(さっきからどこかウォーキングデッドの話をしているが笑)。

太古の昔は、食料も不足してたし、危険も今よりたくさんあったので、家族を持って集団で生きることは合理的に正しい戦略だったはずです。一人では死んでしまう。

で、現代において「生存確率」というのはちょっとおかしいので、「幸福度」に置き換えて考えると良いと思います。

幸福度に置き換えて考えると、一昔前の日本は家族を持っていた方が幸せに生きられたんじゃないかと思います。

さっき挙げたような、お一人でも楽しめるエンタメや食もなかったし、生活も一人でいると不便です(何かにおいてコストがかかる)。

家族と一緒にいれば、料理だって安く作れるし、物も共有できるし、働き手が複数になるし、何かと助け合える。家族があって、親戚があって、コミュニティがあって。その中にいることが一番幸せだった、逆にそこから外れて一人で生きることは結構しんどいことだったと思います。

そこから今のような世の中に変わってきたわけです。

世の中のサービスや商品が多様化して増えてきたこと、ネットが普及したことも大きな要因でしょう。

一人でも困らず生活していける、趣味も見つかる、生きがいもどこかに見つけられる、一人でも十分幸せに生きられるってことですね。

つまり、結婚が「必ずするもの」ではなく「選択肢の一つ」になってきているという話です。

誰と結婚するかいつ結婚するかの話ではなくて、そもそも結婚するかしないかを選ぶということですね。

結婚は、たくさんのかけがえのないものを得られますが、失うものもあるのは事実だと思います。

僕も、結婚をして生きていくか、結婚しないで自分の目標だけに突き進んで生きていくか、真剣に悩んだ時期がありました。結果、僕は結婚する道を選び、苦労もありつつ、今はこの上ない幸せを感じる毎日です。

これからを生きる若者も、この選択とはよーく向き合った方がいいと思いますね。
疲れたので、今日はもう終わります!さようなら〜。

これからの時代に「思考力」が必要な理由

▪️これからの時代、絶対に必要な能力は何か?

こう聞かれたら、私は「思考力」だと答えます。専門的な深いスキルを身につけることももちろん大事ですが、私は考える力を一生を通して最大化していきたいと考えています。

「いまの時代、なぜ自分の頭で考えることが必要なのか?」

これを考えてみたいと思います。

▪️20世紀までの日本

20世紀までの日本は、自分の頭で考える必要性はそれほどなかったのではと思います。

それは、答えが分かる時代だったからです。

話は、明治維新の時代。
ずーっと鎖国をしていた日本が開国します。日本は「よし!これから世界に打って出ていくぞ」と意気込んでいました。それまで鎖国をしていた日本は、圧倒的に進んだ欧米諸国を見て、「やばい、俺たちも追いつかないと!」と焦ったんですね。

日本を動かす要人の半数ぐらいの人が、岩倉使節団として欧米各国に実際に訪問し、進んだ国の社会、教育、政治から、文化にいたるまで様々な分野を観察してきました。

「うわー、すげーこんなの見たことないわ」当時の彼らにとっては、興奮冷めやらぬ旅だったのだと思います。想像してみてください。ネットが全然ない時代ですからね。ものすごい旅をして実際に見て触れて学んできたわけです。

つまり、欧米諸国の進んだ文明を手本にして、発展に成功してきた国
それが日本です。

工業化社会を迎えた19・20世紀には、より優れたモノを、より安くつくることが優位性となりました。

日本では人口も増え続け、まだまだ国民は豊かではない(モノを持っていない)時代。

人も増えている、必要なモノが揃っていない、あれもこれも欲しい!!
要するに、モノが沢山売れる時代です。

モノがたくさん売れるので、大量生産、大量消費社会に突入します。
それだけ商品を大量に作るということは、規模の経済が働きます。

効率性を上げるのは、日本人の得意分野。
海外に行くとよくわかりますが、キメの細かさ、繊細さ、やはりmade in Japan商品のクオリティーは非常に優れています。多くの国民が総じてここまで精巧さを追求できるということは、他の国の人にはなかなかできない日本の強みです。
そうして、より良いモノを、より安いモノを、改良に改良を重ねる企業がたくさん出てきました。

しかし逆に言えば、
ゼロから新しくモノを生み出す必要性というのそんなになかったんですね。

戦後20年足らずで日本は世界のトップクラスに肩を並べました。
これができたのが、先人方の本当に素晴らしいところ。日本の矜恃です。

しかし、それが今ではどうなっているのか。
世の中の流れが大きく変わってきてます。幾つかの変化を取り上げます。

世界はいま、とんでもない時代を迎えているのです。

今回は、「なぜ自分の頭で考える力が必要なのか」
それを考えてみる記事でした。

20世紀には、改良志向で、より良いモノを作ればよかった。逆にゼロから生み出す必要性がそんなになかった。

そして、時代の流れが変わり始めています。

▪️日本の人口減少

一点目の変化は、日本の人口が減り始めたことです。

自明のことなので、改めて取り上げる必要もないかもしれませんが、絶対に外せない視点です。

人口が減るということは、労働力が減り、消費も減るということです。そうすると、経済が成長することはできなくなっていきます

”数の力”というのはそれほどにでかい。
例えば、日本の1%を相手に商売したら120万人、一方でインドで1%の客に商売するとなんと1200万人、一人100円のモノを売ったとしても、1億2000万と、かたや12億ですよ。まさに桁違いです。

働いたり、子供を生んだりできる人の数を生産年齢人口と言いますが、これは、日本では毎年110万人近く減っています。平均年齢は50歳ぐらいですね。
ちなみに、現在、経済成長真っしぐらのフィリピンを例に挙げると、平均年齢は20歳ぐらいです。当然ながら生産年齢人口も爆増中。数十年前の日本みたいですね。

人口減少は、一般にどこの先進国をとっても見られる現象です。
国が豊かになって成熟するほど、経済成長率は落ち込んでいくのが一般的です。

日本の人口は減少し、すでに低成長(マイナス成長)の時代を迎えました。

▪️全員がすでに”豊かな”日本社会

二点目は、モノが溢れる豊かな社会になったことです。

”豊かな”とカッコをつけているのには、大きな意味があります。
これは、「精神的な豊かさ」を言っているのではなく、あくまで、「物質的な豊かさ」を指しています。

実は戦後以降日本では、幸福度調査というのがずっと行われているのですが、そのデータによると、日本人が「幸せだ」と思う数値はずっとほぼ横ばいです。そこに、GDP経済成長のグラフを乗っけると非常におもしろい。
つまり、経済はどんどん豊かになっているのに、人の幸福度はずっと変わっていないのです。

話が逸れていきそうなので、それはさておき・・、
モノがすでに行き渡っている世の中になったということです。
これが何を意味するかというと、もはや今まで通り「大量生産・大量消費」というわけには行かなくなります。

同じモノをより安く、より良く、効率的に作ったところで、大量に買ってもらえることはできないからです。
テレビも、洗濯機も、自動車も、洋服も、パソコンも、なんでも必要なモノは大体すでにほとんどの国民が持っているわけです。

いくら改良を積み重ねたところで、そう簡単には買ってもらえません。

日本は”豊か”になり、モノがたくさん売れる時代ではなくなりました。

▪️世界の大転換点 

3点目は、世界がとんでもない転換期を迎えてしまったことです。

この3つ目こそが「なぜ自分の頭で考えなければいけないのか」の核心的な理由です。

世界の歴史を見ると、いくつかの歴史的な転換点がありました。

”技術(テクノロジー)の発達”というのは、基本的に他の何かしらの技術を参考にして生まれるものです。厳密に言うと、本当に全くの無から生まれる”オリジナル”の技術というのは、ほぼありません。
これは、いつの時代もそうです。(昔よりも今の方が特にそうです)

例えば、文字の誕生。
はるか昔、文字が生まれた時代、この時代はすでに、世界中のあちこちに人類が無数に散らばっていました。しかし、全くの無から初めて文字を生み出した民族というのは、非常に非常にごくわずかです。

ほとんどの民族で、他の民族の文字が伝来してから、それを借用するか、それを参考にして独自の文字が作られています。
つまり、技術が伝来すると、次の技術が生まれていくということを意味します。

そして、ここから次に何が言えるかというと、人類10万年の歴史を振り返ると、

”情報の伝達スピード”というのが、社会の発展にはものすごく重要な要素である」

ということです。
少し掘り下げてみます。

農耕社会の時代というのは、基本的に徒歩での移動です。
つまり、情報が伝わるには、直接出会うしかない。歩くのはとっても時間がかかります。文字が他の地域に伝来するのにもものすごい時間がかかっているのはそういうことです。

さらにその前に遡って、文字を持たない時代はどうだったしょうかね?
文字がないので、情報を残すことすらできませんよね。
「これを彼に渡しといて」と書くこともできないし、「私が得た知識を残しておこう」とすることもできません。
文字がない時代は、めちゃめちゃ伝達効率が悪かったことが予想できますね。

ずーーっと説明していくと終わらなくなるので、すっ飛ばしますが・・・(笑)
勘が良い方は、だんだん分かってくるのではないでしょうか。

文字が生まれて、馬を使うようになって、鉄が生まれて、蒸気船が生まれて、蒸気機関車が生まれて、自動車が生まれて、飛行機が生まれて・・・

想像してみてください。それぞれの時代で情報が伝わるスピードというのはどれくらい違うでしょうか?

上述した、それぞれの時代と時代の転換点を迎えるまでにどれくらいの時間がかかっているでしょうか?

文字が生まれてから馬を使うようになるまで、馬を使うようになってから鉄が生まれるまで・・・

そうです。。。
文字が生まれてから馬を使うようになるまでは、とんでもなく長い期間がかかっています。
一方で、自動車が生まれてから飛行機が生まれるまでは、わずか数百年。

こうして”情報が伝わるスピード”というものが、それぞれの転換点を経て加速度的に早くなってきたのが今のこの世界です。

技術が伝来すると、次の新しい技術が生まれます。

つまり、情報が早く伝わるということは、それだけ社会の発展も加速度的に進むということになります。

そうして出てきたのが、20世紀の”インターネット革命”です。

これはもう本当に世界が変わる転換点でした。このインターネット時代、情報が伝わるスピードは?・・・さあどうでしょうか?

答えは、”一瞬”です。

これがどれだけとんでもないことかは、これまでの歴史を俯瞰してみると分かりますよね。情報技術が瞬時に世界中に伝わるわけです。
ということは、次々と新しい情報技術が生まれ続けていくということを意味します。だから、今の世の中は変化の激しい時代なのです。

実際に、インターネット革命を迎えた1996年以降この20年の変化というのは、これまでの歴史に比べて、比じゃないスピードで変わってきています。これからの世の中も一気に様変わりしていきます。100%そうなります。

多くの人が気づかないうちに、だんだんと住む世界が一変していくということが起きるでしょう。本当におもしろい時代に生まれたなと思います。私自身、起業の世界に身を投じ始めて、ひしひしと実感していますが、今のテクノロジーの変化スピードは凄まじい。まさに人類の進化とも言える歴史の転換期と言えるでしょう。

もはや、予測ができて、答えが単純に分かる時代ではないのです。

欧米諸国の真似をしてもうまくいくような時代ではありません。
ただひたすら効率性を求めて、より良いモノをつくれば成長する時代ではありません。
一つ答えが分かったら、それが通用し続けるような時代ではありません。
これからの社会は、環境が刻々と変わり続けていきます。日進月歩ならぬ、秒進分歩の世界です。世界中の情報が行き来し、より複雑な世の中となっていきます。

だからこそ、「自分の頭で考えて答えを探していく力」が必要なのです。

1つだけ、具体的なテクノロジーの変化を挙げるとするならば、AI(人口知能)の台頭です。AI技術自体は、まだまだ進化の途中ですが、我々が生きているうちに、AIやロボットと共存(正確に言うと、 AIが意志や生命を持つのはまだまだ別次元の話なので、”共存”という言葉を使うのは間違いだが)する世の中が確実にきます。
誰にでもできるような単純作業や、ルーティーン化できる作業はロボットの得意分野です。

これを「そんなのふざけるな」とか「そんな時代になるか」など言う人もいますが、そういった時代はそう遠くない未来に来るでしょう。このテクノロジーは、パンドラの箱であって、否が応でも確実に進んでいきます。

しかし逆に、これはチャンスです。
嫌な仕事や、パターン化できる仕事はすべてロボットに任せて、人間は、人間にしかできない仕事に集中できるわけですから。

そこでやはり再び言えることは、「考える力が必要だ」ということ。

日本は、人と同じであることを良しとする空気があります。
学歴偏重で、できるだけ多くを暗記して、難しい試験に通ることが優秀とされます。
そうして、大企業に勤めることが、安定した道と信じられてきました。
問題も、答えも教えてもらうのが、日本の教育です。
言われたことを誰よりも上手くこなせる。今あるモノよりももっと改良して、よりよいモノを作れる。

これらは、確かにこれまでは機能してきたかもしれません。
しかし、もうそのような”優秀な人”は、沢山はいらないのです。
日本が、この世界の変化に対応していけなければ、どんどん沈んでいきます。

それは、僕たちの息子・娘世代、孫世代が豊かな暮らしができなくなるということを意味します。危機感を持っている日本人は少ないと思います。

自分の頭で考えて、自分で新しい価値を生み出していける人、そういう人間が、これからの日本にもっともっと必要です。
これからの世界を豊かにしていくのは、そういった人間だと思っています。この時代に生まれたことは奇跡ですよ。こんなに可能性が広がっている時代はなかった。世界は、いまとんでもない歴史の真っ只中にあります。

それだけ世界にインパクトを与えられる可能性のある時代だということです。

世界をもっともっと豊かにしていける。人々の人生を劇的に変えていくことができる。いつか、理不尽な宿命を背負って生きる人がうまれない世の中が来る、僕は、そう信じています。

価値観は人それぞれですが、日本人ももっともっと夢を見て良いと思います。宇宙にも行ける時代です。なんでもできますので。

以上が、「日本において、思考力が必要な理由」です。

そして、

「自分のやりたいこと、幸せとはなんなのか、それを考えた方が良いよ」

という理由でもあります。このブログのタイトル「Think Happiness」もそこからきています。
時代に取り残されず、本当に”豊かな”人生を送るためのコツなのかなと思います。

恵まれた立場にいる人がどんなことをしなければいけないのか?

こんにちは。石川大貴です。

今日は、世の中についてのお話です。

この世には「恵まれた人」と「恵まれない人」がいる

まずは、恵まれた立場にいる人と、恵まれない立場にいる人の話。

早い話が恵まれた人というのは、お金持ちのことです。

世の中は、平等ではありません。

みんなが、違う場所、違う家族のもとに、違った条件で生まれてきます。

正直にいうと、筆者の場合は、だいぶ恵まれた家庭環境に生まれた方だと思います。

何不自由なく育てられたし、心理的にも経済的にも、まあ余裕がある環境の中で育てていただきました。そのこと自体は、家族に、環境にとても感謝しています。

ともすると、
恵まれた環境にいる人の中には、勘違いをする人もいるように思います。

僕は、フィリピンに住んでいた時があります。

夜遊びスポットの観光ガイドとしてあちこち回っていたこともあるので、「勘違いをしている人(=外国人観光客)」を図らずもたくさん見てきました。

現地の人を見下し、横柄な態度をとる外国人。

ごく一般的な人であっても、日本人はフィリピンへ行くと、相対的にかなり金持ち、ということになります。つまり「恵まれた立場」になります。

現実的にフィリピン現地の中間層や下位層の生活に比べると、かなり自由度が高いことになります。

良いものを食べ、良い服や靴を買うことができる。
なんでも買うことができ、色々な場所へ行き、色々なサービスを購入できる。

だから、リタイア後にフィリピンへ移住して、年金で生活している人も沢山います。

ちなみに一例を挙げると、
現地のショッピングモールで働いていた10代後半のフィリピン人たちと外へ遊びに行ったら、
「タクシーに生まれて初めて乗った」と言われました(当然支払いは日本人である僕です)

それが、現地の普通の生活水準です。

恵まれた立場にいること。
それによる「優越感」みたいなものが、僕自身の中にはゼロだったのか?と問われれば、それは時々感じていたように思います。

特に向こうへ行った当初は、それが強かったのかもしれません。正直なところ、「金持ちになってなんでもできる」という感覚に、ものすごく楽しさを感じていたように思います。

しかし、冷静に考えるとなんとも薄っぺらい、それが勘違いでしかない、ということに気がつくのにはそう時間はかかりませんでした。

現地の生活をディープに見たことや、横柄な日本人や外国人観光客を沢山見ているうちに、僕の「勘違い」は薄れていったのだと思います。

僕は、途上国で、貧困層の暮らしぶりや、
過酷な環境で育ってきた人の人間性に深く、触れてきました。

彼らの生き方に対して、「到底理解ができない」「教育を受けていないから仕方がない」なんて、上から目線で見てしまったり、ほんの一面だけを見てしまうこともありました。

でも、僕は世の中というものを、何もわかっちゃいなかったわけです。

だいぶ話が横道にそれてしまいましたが、
世の中には「恵まれた立場にいる人」と「恵まれない立場にいる人」が確実にいるんだよ、ということです。

恵まれた/恵まれない環境と、仕事について

ここで、生まれた環境と、仕事の話をします。

身近なことで考えてみましょう。

恵まれない環境にいる人、つまり、お金がない人は、生活のためになんとあろうと働かなければいけないから、必然的に仕事をします。明日食うメシ代を稼ぐために、働きます。

特に余裕がない人ほど、すぐに生活費を稼がなければいけないから、
誰でもすぐにできる肉体労働や単純労働の仕事につきやすいという傾向があります。

例えば、その対極にいるのは、わかりやすいのは医者や弁護士などです。
医者や弁護士の場合、必要な能力を身につけるまでには、多大な「費用」と「時間」と「労力」がいります。技能も資格も必要ですので。

それだけの技能があるので、社会的に信用されるし、希少価値があって、つまりは給料も高くなります。

それらの「費用」と「時間」と「労力」を払える人だけに、医者や弁護士になるチャンスがあります。

元々「才能」があるかどうかという問題の以前に、それだけの費用と時間の猶予を確保できるのかという「環境」の問題があるわけです。

金持ちの子供が、金持ちになる理由は、ちゃんとここにあります。

一方で、お金がない人に、そんな余裕は通常ありません。

ましてや、学校にもいけなくて、子供の時から働き始める人もたくさんいます。

途上国になると、小学生から働き始める子もいます。

そうした人は、すぐにお金が必要だから、すぐできる仕事について、
ゆったりと、勉強している余裕なんてありません。

勉強できる「費用と時間の猶予」がないので、すぐにつける仕事にありつくことになります。

「すぐにつける仕事」ということは、高い技能が必要なわけでもない、資格が必要なわけでもない、実績が必要なわけでもない、誰にでもできる仕事に他ならないので、それは労働プールが広く、つまりは、給料が安かったり、雇用形態が悪かったりします。

恵まれた立場にいる人は、自由があり、広い選択肢があります。
資本家になることだってできます。そうなれば、富はもっと膨らんでいきます。

恵まれない立場にいる人は、自由が少なく、選ぶ選択肢も少ない。
末端の労働者階級として生活をしていく場合が多くなる。ということになります。

世の中の「生産活動」と「消費活動」について

ここでまた話を変えて、世の中全体の仕組みについてお話します。

世の中は、「生産活動」と「消費活動」の、この二つで成り立っています。

例えば。私たちが、普段お肉を食べられるのはだれのおかげなのか??

そんなことは意識しないと思いますが、それを考えてみましょう。

私たちはお肉を購入するとき、そのプロセスとしては、顔をあわせるのはお肉屋さん(もしくはスーパーの)店員だけです。

しかし、よくよく考えてみると、そこに行き着くまでには、たくさんのプロセスを経ています。

牛を育てる人がいて、牛のえさを作る人がいて、牛のえさを運搬する人、牛を売る人、牛を殺す人、それをさばく人、どこで売るか決める人、トラックでお肉屋さんへ運ぶ人などなど、出していったらキリがありません。

その一つ一つが、いわば「生産活動」です。

そして、その裏には基本的にすべて人間の「労働」があります。

資本に、人間の労働が加わることで、様々な価値が生まれ出てきます。商品が生まれます。これが「生産活動」です。

一方で、お肉を買って食べるのは、その「生産」された商品を「消費」する行為です。

これだけ世界人口が増えて、社会が豊かになった今の世の中では、人間がオギャーと産声をあげたその瞬間から、この人間の生産-消費システムの中に組み込まれます。つまりは、資本主義です。

我々は何をするにしても「消費」をしないと生きていけないわけです。

言ってしまえば、全ての子供は20歳ぐらいになるまでは、ほぼ皆が「消費専門の」人間です。

そして、ここで大事なのですが、世の中の「生産活動」の大部分を支えているのは、汗水垂らして働いている「労働者」です。

彼らの労働がなくては、私たちの生活に普通にあるものの、ほとんどが手に入らなくなります。

なぜ、僕たちは肉が食えるのか?

それは、さっき言った生産プロセスの中で、沢山の「労働者」が汗水垂らして働いているからです。

もっと突っ込んだ話をすると、「消費活動」。こちらの方も実は、たくさんの商品を買っているのは、一般大衆の「労働者階級」です。

汗水垂らして働いたお金で、何かしら他の商品を買う。消費する。

お金持ちだけが消費をする社会では、この生産-消費システムは成り立ちません。

「資本家」がいなければ、確かに資本主義は成り立ちませんが、沢山の「労働者」もいなければ実は成立しない。

どちらもいなければ回らない。資本主義とは、そういうシステムなのです。私たちが生きているのは、そういう世の中です。

だから例えば、
日本からフィリピンへ行く若者(当時の私)。確かに、相対的にお金持ちで恵まれているのは間違いないわけですが、自由度が高いのは、家庭環境のおかげ、それ以上でもそれ以下でもありません。

日本に生まれたから、豊かな家庭に生まれたから。運が良かったから。ただそれだけ。

しかも、先述した通り、子供というのは、「消費」専門の存在です。

何も生み出していない分際(生産活動をしていない)で、「お金持ちであることに酔いしれる」なんて勘違いも甚だしいわけです。

誰のおかげで今の生活があるのか。豊かさを享受できているのか。何もわかっちゃいない、いかにバカだったかがわかります。
(ただ、ガイドをしていて沢山見ましたが、何歳になってもそういうバカな大人というのが、いっぱいます)

恵まれた人と恵まれない人の「分断」について

だからこそ思うのですが、
恵まれた環境に生まれた人が、いったい何をしなければいけないのか?

これは、人としてとても大事なテーマだと思います。

特に、日本に生まれただけで、僕たちは「大吉」を引いたようなものですからね。

「こうありたい」と願望を持ち、適切な努力をすれば、大抵のことは叶います。

現代は、社会全体としてはとても豊かになってきましたが、一方
「恵まれた立場にいる人」と「恵まれない立場にいる人」、この分断が非常に強くなってきているように感じます。

現実に格差は広がり、雇用は不安定で、立場は弱く、求められるスキルも流動的で、チャンスは少なく、希望も持ちにくい。

僕は個人的に、「資本主義」自体は、完璧ではないにせよ、素晴らしいシステムだとは思っています。

とても効率が良く、社会全体に沢山の富を生み出してくれたという事実は、歴史を見れば明らかです。格差がなければ、社会(今のような”豊かな”社会)は成り立ちません。

ただし、「分断」が大きくなり、放置しておく。これは非常に問題だと思います。

「恵まれない立場にいる人」の中には、現実に多くの問題を抱え、困っている人が大勢います。

また別の観点で見ると、社会全体を見た時の環境問題などの大きな問題が、時限爆弾のように膨らんでいる最中であること。これも、非常に大きな問題です。

「恵まれた立場にいる人」は、お金のために子供のうちから働く必要がない。勉強を妨げるものは何もない。選ぶことができる。その自由度の大きさ。

さて、恵まれた立場にいる人がどんなことをしなければいけないのか?
これは、とても大事なテーマだと思います。

みんなが違った環境で生まれて来る。

日本に生まれた人も、フィリピンに生まれた人も、自分に与えられた環境をどう活かして、どのようなことを生み出していくのか。それは、誰もに与えられている平等の条件ですが、僕には「恵まれた者としての宿命」みたいなものがどうしてもあるように思えてなりません。

最近では、学校教育のうちから、SDGsなどのトピックを目にすることも多くなってきました。よりソーシャルな課題に取り組む人も増えてきたように思います。

若者の関心が外に向かう傾向が強まっていることは、とても良いことだと思います。

「恵まれた立場にいる人」と「恵まれない立場にいる人」の間にある「分断」を埋めてくれる人。社会全体として膨らんでいる大きな課題に立ち向かう人。

そこに生きがいを見出し、かつ明晰な思考と行動力できちんと結果を出していく。
そんな人が未来に沢山出てくると幸せな世の中になるのかな、なんてことを思っています。