環境適応力-成長したければ環境を整えよう

■成長を望む人たち

「まだまだ成長したい」
「もっと違う自分になりたい」

そう願う人は、ビジネスパーソンだけに関わらず、主婦や学生などの中にも多くいるだろう。
自己啓発系の本もよく売れる時代である。

しかし、肝心の成長するためにはどうしたら良いのか?
手段は沢山ありそうだが、その中でも何を実行すれば良いのかわからない。

今日は、「環境」という面からこのテーマについて考えてみたいと思う。

■種における生存闘争

まず第一に、全ての生物において根幹をなす考え方として、ダーウィンの「種の起源」が取り上げられるだろう。教科書にも出てくるあの有名な本である。我々にも大いに関係していることだから、ぜひ認識しておくと良いかと思う。

全ての生物種は、生存闘争の中で生き残りをかけて戦っている。

いま我々が目にすることができる動物や植物の姿形は、何も神様が意図して作ったわけでは全くない。

その裏には、連綿と続いてきた進化の歴史があり、それは生存闘争の中で累積してきた変異の結果なのである。

もちろん人間も例外ではない。

例えば、ヨーロッパのとある地域にて、アカマツの木が生えていない荒野がある。
(アカマツの木は、日本でも至る所で目にするあのマツの木の種)

その場所をよく調べてみると、沢山のアカマツの低木が生えていたことが確認された。

実は、それらのアカマツは芽を出し木を大きく成長させようと必死に戦い続けていたのだが、ウシがその芽を全部食べ尽くしていたのだった。

試しに人間の手で、その周り一帯を柵で囲ったところ、アカマツは無事に成長し始めた。

つまりここでは、アカマツの生殺与奪の権利はウシが握っていたことになる。
ちなみに、ウシの生殺与奪の権利は、食物となる牧草であったり、体に住み着く寄生虫が握っていたりもする。

このように、全ての生物種は何らかの生存闘争にさらされている。

気づいていないのは、その関係(食物連鎖)が、網の目のように複雑すぎて、普段の生活では認識することが難しいからである。

他に身近な例を挙げると、
美容室などによく置いてある観葉植物で、フィカス・ウンベラータというものがある。

ハート型の葉っぱをしており人気なのだが、これはもともとアフリカ低地に原生している植物である。アフリカのそれと比べると、日本のフィカス・ウンベラータの葉っぱは3倍ぐらい大きい。

その理由は、もともとアフリカでは太陽の光を大量に浴びることができたが、観葉植物として室内に置かれればそういうわけにはいかないからだ。

その環境に適応して、少ない太陽を効率的に吸収すべく葉っぱが大きく進化したわけである。

これも、生存闘争の結果である。

■起業と生存闘争

生存闘争の概念は、あらゆる世界において通ずるので頭に入れておくと良いかと思う。

筆者は、一度ビジネススクールで勉強した後に、起業の世界に足を踏み入れた。

以前の記事(起業のスタートラインに立つ条件とは?)で記述したように、
起業の世界というのは、この生存闘争において非常に厳しい戦場であるにちがいない。

スタートアップで、0→1で何かを新しく作り出す難しさ。
少ないリソースで戦わねばならない難しさ。

大企業であれば、既に基盤があるので、それを維持すればひとまず今すぐ死ぬということは少なかろう。
また、どんな問題であっても、強大なマネーの力に任せれば解決できるという一面も往々にしてある。(大企業の世界における厳しさは、もちろんあるが)

厳しい闘いの中で、生き残れないスタートアップは文字どおり死ぬことになり、必要とされない企業は自然と淘汰されていくこととなる。

自分のことを振り返ってみると、
これまで少ないながらも様々な勉強や経験をさせてもらってきた中で、一番鍛えられたのは起業の世界にいた時だったように思う。

次々と、巨大な壁が自分たちに向かって押し寄せてくる上に、それらを一瞬でかき消すような魔法の杖も手元にない。

知識や技能が足りなければすぐにでも勉強し、相手に勝つために工夫の知恵を絞る。
自分たちの頭で考えて、自分たちの手で闘っていくしかない。

いったん、手を止め、頭を止め、闘うことを止めてしまえば、それは直ちに「死」という結果を意味するから、必然的にそうするしかないのである。

まだまだ足りぬ部分ばかりなのは自覚しているが、
それでもふと後ろを振り返ってみたら、険しい道を走っていたんだなぁと一瞬だけ郷愁の念にかられるほどであった。

■環境適応力を利用する

以上から言えることは、こんなところだろうか。

⑴人間も「環境」の力による作用を極めて大きく受ける
⑵成長したければ、厳しい環境に身を置けば良い

筆者も、「環境」の力は常に意識してきた。
環境の力というのは、それほどに大きいものなのである。

具体的には、主に4つの観点で考えてきたように思う

・スキルの観点
・文化の観点
・志向性の観点

「スキルの観点」とは、先述した起業の話がまさにそうである。
行きたい方向が決まっているならば、早くその世界に飛び込んでしまうのは一つの手だ。さらに厳しい環境であればあるほど、必然的に、それも早いスピードで、そのスキルが身につくことになる。「自分が得たいスキル・能力は、どの場所であったら一番早く得られるのか」という観点で環境を選ぶと良い。

「文化の観点」とは、要は時間の使い方や習慣、行動の振る舞いなどの話である。
これらを上質なものに変容させたいのならば、これも環境の力を利用するのが有効である。
例えば「時間の使い方」であれば、私も意志が強い方では決してないので、意図的に忙しい環境をまず先に作ってしまう。そうすれば、状況に上手く対処せざるを得ないから、下手な時間の使い方や余計な習慣は削ぎ落とされて、洗練させていくことができよう。
また、時間の使い方が非常に上手い人ばかりがいる、要はプロフェッショナルな現場に身をおけば自分も自然とそうならざるを得なくなる。

「志向性の観点」とは、人間の性向のことを指す。人としての大きさ、とでも言えようか。
”人としてのあり方”も、環境の力を大いに受ける。
自分のレベルを上げたければ、高いレベルの人がいる場所に行けば良いのである。付き合う人間、身を置く場所によって、自分自身の志向性は全く違うものとなっていくであろう。

ちなみにこれは、「割れ窓理論」と言って心理学でも説明できる。

ある都市で、窓の割れた車を一台放置したままにしてみたそうだ。そしたら、その街で次々と凶悪犯罪が増えていった、という実験結果が出た。

似たような例もある。ある都市であらゆる箇所に放置されていた落書きを全て消して、綺麗にしてみたそうだ。そしたら、犯罪率が著しく低下した、という結果が世界中で見られた。

つまり、悪事も”伝染”していたわけだ。

人間は、どこまでいっても環境適応動物である。人間の能力、スキル、習慣、性向、あらゆることが環境によって左右される。

だから、もし自分を変えたいのであれば、レベルの低くてぬるい空間から抜け出す必要がある。

われわれ人間を含む全ての生物種にとって、「環境」の力がどれほど大きいかわかっていただけただろうか?

確かに、生まれた場所や両親、国の政情など、個の人為的な力ではどうにも変えられない環境も沢山ある。しかし、変えられる環境も沢山ある。

特に今の時代は、その変動域はどんどん拡張しているように思う。

物理的に、海外などに気軽に行けるようになったこともそうであるし、
バーチャルな空間でいつでも誰とでもコミュニケーションできるようになったことも大きい。
オンラインで学習ができるサービスも山のように出てきている。

一言で言えば、「情報(知識)・人・場所」へのアクセスの自由化だ。

つまり、自分の意志しだいで、いくらでも身を移し、環境は変えていける時代になりつつあるということである。

「自分を、どこに身を置けば良いのか」をよくと考えて、実際に行動に移しさえすれば、
あとは慣性のように成長していくことができるはずなのだ。
成長したいと思うなら、まず環境を整えることから考えてみると良いかもしれない。

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