今日は、キャリアのお話。
筆者は、昔バスケットを12年やっていました。
小学校から始めて大学でも部長を務めました。
10年以上やってみて気づいたことの一つは、
「どう考えても人には向き不向きが存在する」ということです。
これは特にキャプテンとしてチームのみんなを見てきた中で感じたことです。
個々のメンバーの努力量は、それぞれ全然違います。
たとえ同じような努力量であっても、メンバーによって力にものすごく差が出ます。
個々の得意とするボジション、能力も全然違います。
マネージャーに目を向けても一緒で、仕事の仕方は全然違ってきます。
この世に同じ人間というのは一人としていません。
生まれ持った特徴や性格、育ってきた環境、親から言われてきた言葉、勉強してきたインプット、これまでやった経験、出会った人、持っているスキル、考え方、皆それぞれ違っています。
当然のことですが、あらゆる要素が人には付きまとっていて、それらは人によって異なる。
そのため、その人その人によって向いているコトとそうでないコトが存在します。
こんなことを言ったら元も子もないですが(笑)
そもそもバスケットに向いている人とそうでない人も存在するわけです。
これは仕事でも全く一緒です。
例えば会社には、経営者と社員がいます。
どちらが優れていて、どちらが劣っているのか、ポジションだけでそれが決まるわけではないと筆者が考えています。
一流の経営者もいれば、一流の社員もいる。
ただ、それだけです。
リーダーに向いている人もいれば、誰かの下で働くのが向いている人もいるのです。
一流の経営者、一流の秘書、一流の料理人、一流の警備員、一流のゴミ清掃員、みんなどれもすごいのです。
筆者の、「向き不向き」の定義です。
「向いているとは、それに必要な技能を習熟するのに人よりも少ない時間と労力でできる仕事」
「向いていないとは、それに必要な技能を習熟するのに人よりも膨大な時間と労力を要する仕事」
自分の向き不向きに気づいていない人は、いっぱいいます。
自分で勘違いしている人も、いっぱいいます。
向いているコトをしている人は、その人が持つ最大限の力を発揮できます。
それをすること自体が楽しいので、努力を努力とすら思わず平気でできてしまいます。
楽しいと思ってやっているので、効率も当然良い。
成果が出てくれば、ますます成長も早まる。
このような好循環の中を生きていくことになります。
逆に向いていないポジションにいる人は、いくら努力をしても、いくらやり方を変えてみても、”乗ってこない”状態がひたすら続きます。
楽しくもないし、なかなか成果も出ない。
もし極限まで努力した人ならば、最終的に「あぁ敵わないな」ということを悟るはずです。
向いていないコトで努力をすること自体を悪いことだと言いたいわけではありません。
ポジションを選べない時は多分にありますし、そこで頑張るからこそ気づくことや得られることは確実に存在するでしょう。
特に若い時にはそういったことも多いはず。
しかし、長いスパンで考えた時のライフプランは別の話です。
そこに居続けることは、自分にとって、そしてチーム全体にとっても損失以外のなにものでもありません。
自分自身で何が自分に向いているのかを理解することは、人生を充実させるうえで非常に重要な要素です。
リーダーである人間も、各メンバーの特徴や能力というものを的確に感じ取り、個々の向いているポジションに振り分けることが役割になってきます。
「何が自分に向いているのか?」は、自身で気づくこともありますし、他人からの評価で気づいていくこともあります。
ただし、経験したことがないことに対しては、いくらこの問いを問いかけた所で答えは出てきません。
例えば、それが就職活動をする学生が悩む理由の正体です。
もし「その企業に就職した理由はなんですか?」と学生に問い詰めてみたら、極論を言ってしまえばその答えは、”なんとなく”に集約されると思います。(だって、やったことがないんだからわかるわけないじゃん。)
仕事を既に経験していたり、人生でやりたいことが明確に決まっていたりする学生はごく稀です。
様々な経験をしながら、「何が向いているのか?」を自分に問いかけ続ける。そうしていれば、いづれどこかで答えが見つかってきます。(そもそも、そう簡単に見つかったら”本当に向いている”ことじゃない)
そうであるならば、くよくよ悩んでいる暇があったらさっさと決めて何でもやってみる方が上です。
そういう人間の方が圧倒的に強いです。
動いているうちに、自分の向き不向きが分かったり、やりたいことが見えてきたりするのです。
そうして自分の”適材適所”を知ることが、よりよいキャリアにつながっていくことでしょう。