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大学に行くことに意味はあるか考えてみる

こんにちは。石川大貴です。

さて、今日のテーマは「大学」です!

 

日本には確か私立・公立合わせて800ぐらいの大学があったかと思います。
確かそのくらいだったと思います。とにかく、日本には沢山大学があります。

数だけの話でいえば、実はこんなにたくさんの大学はもう必要ないと、僕は思っています。

ご存知の通り日本の人口は減り続けてます。2018年、つまり昨年を機に、大学入学する人数は確実に減っていきます。人口動態的に、間違いなくそうなります。

おそらく大学は、存続の危機にさらされる試練の時期でもあると思うので、潰れるなり、形を変えるなり、何かしらの変化が起きてくると思っています。

大学の歴史というのは、結構面白くて、本当にもともとの起源はヨーロッパだったかと記憶してます。12世紀前後くらいだったと思います。諸説ありますが、「ギルド」のような形で自治組織として作られたのが大学の走りです。つまり、純粋に「自分たちで色々学ぼうよ」ってノリで作られたものですね。

そこから世界へ広がっていく過程で、各地の社会事情に合わせて「大学の仕組みや役割」は異なっていきます。

1700年頃に徐々に産業革命が始まって、19世紀、20世紀には一気に商業社会、工業社会へ変わっていくわけですが、その中で特にアメリカで大学は栄えました。
アメリカでの大学は、今の日本の大学のイメージに近いと思ってもらっても良いと思います。
(ただし、日本よりもちゃんと勉強させるし、厳しいっす)。
似てるのは当然で、日本の大学制度は主にアメリカ式の大学制度を輸入したものだからです。

社会の変化を見る上で、「大学進学率」は一つの指標として面白いです。
日本では、1960年とかそこらでは大学進学率は相当低かったです。確か20%も行かなかったはずです。(さっきから、ぼんやり記憶で話してるのでざっくりと聞いてねw)

つまり、エリートだけが行く場所です。
大学は、高給な仕事につくために必要なスキルや能力を身につける前段階の準備、その教育機関として機能していたわけです。

お金もかかるし、
(「お金」というのは、学費だけじゃなくて、学ぶ間の時間の猶予も含めて。だって大学に行かない人はすぐに働きに出て収入を得られるわけなので、学ぶには生活費、時間の猶予が必要です)

しかも試験のハードルも高い。
誰もが行ける場所ではありませんでした。しかし、その分「高い」能力を身につけるのにある程度の機能を果たしていいたのだろうなと推察します。

そのあとは、みなさんご存知の高度成長期に突入します。
1960年代から、日本の「大学進学率」はぐんぐんと上昇していきます。この数十年で大学の数もどんどん増えていきました。

それだけ、商業・工業が成長して、「高給な仕事」の需要が増えてきたとも言えますね。
とにかく、高給な仕事につくため、社会にとっても使える高能力の人材を作るために「サラリーマン養成機関」として、大学が機能してきたのだろうと、僕は思っています。

大学進学率はぐんぐんと伸び続けて2000年代には50%を超え、近年では60%にも届く勢いです。
二人に一人以上が大学へいく時代になっているのが今の世の中です。ちなみに、先進国はだいたい「大学進学率」は50%を超えています。お隣韓国も60%超えていたような気がします。

つまり、大学は大衆化してきた、ということです。

さて、ここまで社会全体の話をしてきましたが、ここで話を僕個人の例に一気に引き離します。

今日考えたいのはズバリ「大学に行くことは意味があるのか」です。

みんなが気になることだと思いますし、今の時代よく考えた方がいいだろうと思っています。

僕の子供も「大きくなったらどうさせるか」は考えておきゃなきゃいけないなと思ってます。

じゃ、話をしていきます。

僕は、1年の浪人を経て東京外国語大学へいきました。
外国語ではNo1の学校なので結構レベルは高い大学だと思います。

それで、僕は7年間ほど在籍しのちに大学を中退しました。うち3年ぐらいは休学してました。

中退した理由は、「自分がやりたい方向性が定まってきて、大学にいることは時間がもったいなくなったから」です。

ただ中退したからと言って、安易に「大学は意味がない」と結論づけるつもりはありません。

まず
①選択肢の幅が広がる
②時間の猶予が得られる
③興味があれば学べる
の三点で大学には価値があると思います。説明していきます。

①選択肢の幅が広がる

言わずもがな、これは就職の話です。レベルの高い大学へ行くほど、いわゆる高給の企業や大企業に入れる確率は高くなります。東京外大でも「良い」就職先に行く人が沢山いました。今の時代でも学歴は立派に機能していると思います。「学歴だけで判断するなんて!」みたいなことがよく叫ばれますが、仮に僕が採用担当だっとしても、学歴は一つの指標として加味します。まあ、当然の話だと思います。受験をパスしてきた、少なくとも試験や論文を乗り越えてきた、という意味である程度の訓練は受けてることを意味します。全く何もしてこなかった人間と比べるならば、まだ信用があるのは当然っちゃ当然です。大手の採用担当も大卒なはず(=自分も同じ苦労をくぐり抜けてきた)ですから、そうなるのは当たり前です。
(でも、大学行ってない人でも、例えば「中学生の頃から自分で作曲にハマって曲を作りまくって、この前テレビにも出ました」みたいな変人がいれば僕は問答無用でそちらをとります)

②時間の猶予が得られる

これは結構でかいと思います。僕がこれを活かせたパターンですね。普通大学へ行くということは、「働くまでに少なくとも4年間の時間的猶予が得られる」ことを意味します。そうじゃない人は、すぐに働いて収入を得られる訳ですが、大学へ行く人はそうではありません。収入もないくせに、学費も生活費もかかります。機会損失がある代わりに、時間を得られます。
高校を出るまでに、「自分がやりたい方向が定まっている」人はかなり少ないと思います。僕もそうでした、ボッーとして生きていたので何も考えてませんでした。日本だと、こういう人が大多数だと思います。チコちゃんにみんな怒られるのが日本です。その場合には、大学へまず行って、 在学中に「自分の方向を定める」ことは戦略としては大ありだと思っています。ただし、最悪なのは「方向も定まらない、勉強もせず何も学ばない」ケースで、僕はこのケースが今の日本で一番多いんじゃないかと思っています。学費は、国立だと年間60万ぐらい、私立だと倍の年間120万ぐらいかかるわけです。要は、ただ遊んで時間を浪費するためにそれだけのお金をかけてるようなもんだと僕は思っています。それなりの所に就職するんだったら、別に大学に行かなくたっていいじゃんと思います。それに働く前に「遊ぶこと」が目的なのであれば、1年ぐらい集中して、日本でも世界でも自由に飛び回って遊んだ方がよっぽど効率が良いと思ってます。遊びは、やりすぎると大体飽きます。
つまり、「大学へ行って時間を浪費する」パターンが最悪で、これは絶対に避けたいなと思うわけです。

大学がまだ「サラリーマン養成機関」として機能していた時代、社会にまだまだモノがなく豊かではない時代でしたから、「豊かになろう」がみんなのゴールでした。わかりやすい時代です。みんなで一つのゴールを目指すわけです。

その頃は企業のライフサイクルも長かったです。「一度企業に就職すれば定年まで働ける」は、普通にみんなが持っていた感覚でした。しかし、現代は企業の寿命がだんだんと短くなっていて、昔は企業の寿命が60年とか言われてましたが、今では10年単位で会社も生まれ変わります。新しい企業が出ては、古いのが衰退して行く。確かに変化の激しい時代です。
そうなると、「一度企業に就職すれば定年まで働ける」は成立しません。つまり、職能(仕事に必要なスキル)も一つではダメだし、新しいことをどんどん学んでいかなきゃ行けない。

そういう意味では、大学のうちに少なくとも1つ専門性を身につけておくという経験はとても大きな軸になります。年をとって変化しなきゃいけなくなったとしても、軸が一つある人間は他のことだって学んで行けます。強いです。

あるいは、大学のうちに様々なことに挑戦して、複数のことをしっかりと勉強・経験することもすごく有意義だと思います。これからの時代にもあっています。

そのどちらもせずに、何も勉強しない、何も経験しない、ただ部活をやってバイトをやって、遊んで、卒業は最悪です。めちゃくちゃお金が勿体無いと思います。

僕も子供が大きくなったとき、高校卒業してまだ「自分の方向性」が定まってなくて、本人が「大学へ行きたい」と行ったら、進学は考慮します。
ただし進学した場合は、大学の「外へも出る」ように促します。僕がやりたい方向性が見つかったのも、大学を休学してフィリピンへ行ってからでした。留学でもないし、語学学校でもありません。ただ、好奇心に任せて動いていたら偶然導かれるように、自分の方向性が見つかってきました。学校の中には予定調和しかないので、とにかく外に出るように環境を整えてあげます。

あるいは、子供が特に「時間の猶予」だけが欲しいのであれば、他の選択肢も考えると思います。時間の猶予を得るために大学へ行かすのは、はっきり行ってコスパが悪い。(優等生で真面目に大学でも勉強を続けて、一流企業に就職するような子なら別ですが、多分チャランポランな僕の息子はそうならないと思うので。)
海外に興味があれば、とりあえず海外へ放り込むし、例えば音楽とか絵画とか、あるいは職人とかなんでも良いけど何か興味があるのであれば、修行できるような、本物に触れられるような環境に放り込む(ことを提案する)と思います。

③興味があれば学ベる

これは、大学の中身自体の話ですね。僕は、「大学の授業自体には価値がある」と思っている立場です。ただし、一番重要なのは「興味があれば」という枕言葉です。

本人に興味がなければ、前述のとおり大多数の大学生はダラダラします。チコちゃんに怒られるパターンです。ただ「単位を取るために」勉強するだけです。これははっきり言ってめちゃクソ意味がないと思います。知識も残らないし、別に興味もないから脳みそも喜ばないし、自発性ももてない。ただの作業になります。だから、子供がその分野に強い関心興味を持っていれば、大学は価値を発揮しますし、そうでない場合は「ほぼ学ばないよ」と思ってもらって良いと思います。

なんだかんだ言っても、大学にいる教授は(どこの、どのレベルの大学であっても)その道を何十年も突き詰めてきた専門の人です。変人です。
その人が話す講義は、興味を持って聞けば面白くないはずがなく、学べることはたくさんあるでしょう。ちなみに、僕は自分の学校はかなりサボってましたが、他の大学の授業に出てた時期もあります。歌舞伎や能の講義とか、企業の歴史とか。どんな分野であっても、学べることは確かにあります。

だから、僕の子供も高校までにすでに特定の分野に強い興味を示せば、その大学へ進めることは考えますね。あるいは、専門学校でも良いです。ただし、そうじゃない場合は、先ほど言った通り、「大学進学で時間的猶予を得て、外で色々経験させる」か、「大学以外の選択肢を考える」ですね。

以上、いつくかの観点で「大学は意味があるのか」をみてきました。

ご自身のケースに当てはめてみて、ぜひ考えてみていただけると僕も嬉しいです。そのあとの人生に大きく道が変わってくる選択だと思います。幸せな人生になることを祈っています^ ^

では、今日はこれで。また明日!